氏神・産土神参り1 上野さんの場合 氏神編 | 吉翁のブログ

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神の言葉を聞く事が出来るおやじです。スピリチュアルな世界にようこそ。

夏至の祈り神事に参加して下さいました上野さんという女性、彼女が氏神参りを一緒にして欲しいという依頼を受けました。

 



氏神様や産土神様との間に入り、神言葉を降ろしす『氏神参り』をやっていますが、その依頼です。

なんでも、嫁いだ家の土地、その氏神様には、ちょっと変わった風習があり、その事を神に聞きたいとの事でありました。

滋賀県東近江市ですが、天満神社があり、祭神は菅原道真公であります。

 



その神社では、氏子であっても女性達は、正月から約2~3週間は参拝をしてはいけないという事で、新年になって初めて参拝が出来るのが、第三日曜になるというのです。
これは推測だが、1月15日ぐらいかな?たぶん。現代だから第三日曜に設定しているのでは?

この地域は滋賀県でも比較的田舎でありまして、田園と小高い山がある地域です。
過疎化の町ではあります。田舎ならその風習の謂れを知っている年寄りがいるかと思うのですが、どうやら古い時代からの風習の様ですし、その意味を知る人は居ないという事でした。

確かにおかしな風習です。新年になっても氏神の神社に、初詣へ行けないなんて、良く判らない風習であります。故に、なぜ?そうなのか?を知りたいという事です。

その氏神である天満社の前に来ましたら、あら、ビックリ!不思議な形の結界の綱が引かれていました。これは何だろう?

 



その結界の綱は、横一線に綱が引かれ、そこに垂(たれ)がいくつかぶら下がっており、この形はたまに見かける形ではありますが、この地の物の異色に思う物は、その中央に薩摩藩の島津家の家紋である丸十字を象った物があるからです。

島津家の家紋?ここは島津家関係の場所なのか?この地の歴史が判らないから、なんとも言えないが、明らかに島津の家紋です。

後から調べた事ではありますが、ネットでは滋賀県には九州の薩摩藩島津氏から分家した越後島津氏系の江州島津氏が居たそうだが、江州島津氏は琵琶湖の北東が拠点であった様で、今回行った場所は琵琶湖の南に位置する東近江市になりますから、関係があるか無いかは判りません。領地の飛び地の可能性もあります。

神社は村社でありますので、とても質素ではありましたが、神楽殿が立派でありました。

境内社は、本殿の前にひとつ祠があり、中は見る事が出来ない様になっていましたので、なにが祀られているかは判りませんでした。

 



まずは挨拶をすると、前守りとして祠を設けたのだとその祠の神は教えて下さいました。
北の天満宮の造りも、前守りがいくつかあり、それを真似たのだそうだ。

本殿に参拝。

 



まずは自己紹介をしまして、この地になぜ来たのかを説明致しました。

「氏神参り」であります。私が指導する氏神参りは、日々の生活において、この地に住まわせて頂いているお礼を申す事と、お守りして下さる事の感謝を述べて頂きますので、それを口上して貰いました。

神からの言葉は、この依頼者の女性が良き女性であり、この地に来た事で活性化しているとお褒めの言葉を申されました。

また、島津の家紋の話になり、大昔に九州の島津の者達がこの地に入り土着した内容を語って下さいました。やはり薩摩藩の島津とはおおきに関係があるという事でありました。

調べた江州島津氏の事もそうですが、その島津家の流れの子孫がここに移り住んだという事の様です。そして、この事の詳しい話を知る者は、もういないであろうとの事でした。

彼女が最も知りたいのは、正月から数日間、この土地の氏子であっても女性は初詣が出来ない事の謎です。それも神に聞きました。

『神言葉』

「その事は、昔々の話ではある。ある僧侶、能力がある者がこの地に来た時、この地はとても大事な、また霊験あらたかな土地である事を感取り村の者に伝えた。

しかしその者が、完全な間違いでは無いのだが、その時代によっておなごが一歩さがらねばならぬ世の時代、その尊き所を、おなごがズケズケ入る事を禁じたらどうか?

またその発端となったのが、ここの村娘と男との逢引きもあってな、その事があり、女人禁制というところで、その策を当時の長者が判断したという事じゃ。

正月早々、男とおなごが、草むらの中、山の中、いい事をする事はまかりならん。おなごは一歩下がって、そして男は一歩前に出て祭事をせよとお達しをした。

それがおまえが言う事の発端である。

なにも女人禁制を完全に決めたのではない。後からおなご達がここ入り、世話をし、神と対話し、それは許されておった。

今の世の中にしても、正月に来て、二日三日に来ても、九日に来ても、いつでも来て祈りをしてくれる事が、神としては嬉しき事。

故、その決まりを破ったとしても、神はなにも罰する事は無き事。伝えておきまする。
古きから村の決まり事でありまする。そこは守るか?守らないか?は、それは今の生きる者達で決めればよろしいかと思いまする。いかがであろうか?」

という神言葉でありました。

霊験あらたかな土地?

 

そうなんだ?と、これも後から調べた事ですが、この地の小高い山は龍体でありました。

 

 

地図で航空写真を見てみると、鈴鹿山脈から琵琶湖方面へ流れる山筋で、その筋は太古の昔に力を持った巫女軍団であり、西日本の神を束ね、天皇家の裏に回った鏡族が住んだ場所、竜王町へと繋がる龍脈だったのです。なるほどではあります。

いろいろな風習、そこへ行きついた意味、全てはなるほどと思わされました。

つづく