さよならソルシエの感想を書こうと思ったのですが、今回は恐ろしく歯切れの悪い文章になると思います。観てから10日以上経ってから書かなければならないくらい気持ちを平静に戻すのに時間がかかったという点から色々と察して頂きたいです。

あらすじはぼんやり書きます。DVD出ますし、原作ありますし……あ、でも感想では思いっ切りネタバレします!注意!!



画商、テオドルス・ファン・ゴッホ。切れ者として名高い彼はある日、戯曲家ジャン・サントロにある依頼をする。それは彼の兄である売れない画家、故フィンセント・ファン・ゴッホの人生を、その絵に見合う苛烈なものへと作り変えて欲しいというものだった――

ジャン・サントロはゴッホ兄弟と共に過ごしていた新進画家アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック、エミール・ベルナール、ポール・シニャック、ポール・ゴーギャンと依頼主であるテオに生前のゴッホ兄弟にまつわる話を聞いていく。

全く違うふたり。けれども、その愛情は確かにお互いを支えていたのだ。すれ違う想いは画壇との対立を通して少しずつ寄り添っていき、ゴッホ兄弟はひたすらに未来を見て進んでいた。しかしそんな折、フィンセントは突然命を落としてしまう。その兄が遺した作品を世に広めるため、テオは壮大な計画を立てたのだった。

穏やかで優しい兄は、炎の画家へ。野心溢るる激情家の弟は、献身的な弟へ。その周囲の人物像も少しずつ書き換えられ、炎の画家フィンセント・ファン・ゴッホが誕生した。そして、その「事実」をより深めるため、テオは最後の行動に出るのであった。



原作漫画は賛否両論。その「否」を唱える人々が呑み込み切れなかった部分が、私には何となく分かるような気がします。

テオには情熱があったけれど、絵の才能は兄よりも乏しかった。兄には類稀な絵の才能があったけれど、かける情熱はテオのそれには遠く及ばなかった。テオの求める新しい芸術を作り出す腕が兄には備わっており、己の絵の価値を高められない兄を支え押し上げる力がテオには備わっていた。
つまりこのふたりは二人三脚。テオの欲望を満たすためには兄の才能が必要で、兄の才能を高めるためにはテオの援助が必要だった。それなのに、兄は唐突にこの世を去ってしまう。テオにとって何よりも大切だった天才画家の兄という存在が、永遠に失われてしまった。

そうなった時になぜ「兄の人生を書き換えよう」と思ったのか?と考えると、行き詰ってしまうでしょう。テオは絵の価値を画家と紐付けようなどという考えを、そもそも持っていないのですから。けれど、こう考えれば納得が行くのです。
最後の手紙の返事を綴ったのではないか、と。

テオが人知れず帽子の下で燃やし続けた激情を、兄へ。兄が持っていた包み込むような穏やかで優しい性分を、テオへ。それぞれの才能をそのままに、性格をそっくり入れ替えると……炎の画家と献身的な弟が出来上がります。
こうして炎の画家が出来上がると、それと同時にテオはつまらない人間になります。新進画家を成長させ名を上げさせた策士と、ひたすらに兄を金銭的に援助し続けた弟では比べ物にならないでしょう。そうして自身の名を遺す手段を断ってまでも兄を飾り立て注目を浴びさせたかったその理由は、兄から向けられた想いと同じだったのでは。

兄に対して嫉妬も羨望も憤怒も愛おしさもどれも深く抱いてきたテオ。「兄を失って生きていけるのか?」という疑問は、作り変えられたテオだけではなく、自分自身にも向けていたのではないでしょうか。
だからこそ「テオドルス・ファン・ゴッホ」を殺し、ただ絵が好きな一人の男として自然の中へと戻って行ったのでは。兄にその道を選ばせるべきだったのではという自らの後悔を埋めるためなのか、それとも、そんな風景の中にこそ兄を感じさせるものがあるからなのか。

兄から最期に受け取った愛に満ちたメッセージへの全力の返答。哀しい魔法使いは、手の届かない相手への返事を時代に刻み付けた。そう思うと、テオの行動に一貫性を見出すことが出来るように思います。私にとっては、ですが。



最後にちょっとだけ不満。
生声が聞こえない席で観ると、ピアノに声が消されるわ声同士が消し合うわ、散々でした。まあブルーシアターなので仕方ないといえば仕方ないのですが、ここまで聞き取りに苦労する作品もそうそうないです。DVD編集、頑張ってください。
あともう一つ。ゴッホ兄弟が主軸なのは言うまでもないのですが、あらすじに苦労するレベルで新進画家たちの影が薄い。何ならワンシーンしか出てこない葬式に参列していた子の方が目立つ。おいおい…アンサンブル未満の扱いかよ…



以上です。
やっぱりええ声はええ劇場で聴くべきだなと思いました。