平成27年5月6日
(水) 第5日目 ②
桟敷の切れ目の路地を右折して進めば、すぐ右手に長勝寺がある。
13:00 第三十三番・
長勝寺に着く。
愛染寺より1.2km。
本尊 大日如来
大日如来真言
おん あびらうんけん
ばざら だとばん
御詠歌
悟りなば法のみ声と 聞こゆ
なり 松吹く風も水の流れも
不動堂から本堂へ
長勝寺は大きな寺院で、山門を潜るとすぐ左に旧本堂、正面に旧本堂と庫裏をつなぐ納経所がある。
無量寿殿
納経所を抜けた左手に無量寿殿が建ち、石段を上ると整備された庭に本堂が建っている。
本堂
延宝4年(1678)に恵吽上人により開基され、文化年間に(1804~1818)、道睴上人が現在の大師堂を建立した。
本尊・大日如来は像容に10世紀の特徴が顕著な、金剛界大日如来像である。
本地堂に国指定の重要文化財「伝池田八幡本地仏坐像」が3体安置される。
頭部は仏像だが首から下が神様の坐像でいずれも桧の一本造りで、全国でも屈指の像である。
他に国の重要文化財である梵鐘と重要美術品の宝篋印塔も保管されている。
境内の風景
参拝を終えて、保安寺に向かう。来た道を市街地に向かい国道436号線に合流して、市街地を抜けて土庄方面に進む。
小さな峠を越えて、東蒲生から国道縁に立つ案内板に従って右折し、400m程歩くと保安寺はある。
13:50 第四十番・
保安寺に着く。
長勝寺より2.5km。
本尊 十一面観世音菩薩
十一面観世音菩薩真言
おん まかきゃろにきゃ そわか
御詠歌
み仏の み手にひかれて ゆく
人の 保つに安き 心なるらん
鐘楼門
高い石垣と白壁を右に見ながら坂を登って最後に石段を登ると鐘楼門がある。
棟に鯱瓦が載り、彫刻も細やかで壮麗な造りの鐘楼門を潜ると、白梅の奥に唐破風の玄関、客殿は入母屋造り本瓦葺き、右手に一段高く寄棟造りの本堂が建っている。
本堂
ここには「鐘の緒の戒め」という逸話がある。
大正6年3月26日、岡山県から団体で来た遍路の中に19歳の娘がいた。
読経し、帰りに鐘を撞いたところ娘の髪が緒に絡み付いて娘は気を失った。
両親が髪と緒を解こうとしても一向に解ける気配はなく、最終的には髪を切ってしまった。正気を取り戻した娘は、遍路の途中に盗みをしたことを告白する。
またその父もかつて同じ罪を犯していたという。
親の因果が報いとなって表出し、大師の戒めにあったという話である。
巡拝時の行いを見直すきっかけになればと、本坊左に「鐘の緒の戒め拝観所」を設置している。奉納された髪を拝観できる。
涅槃像
年中行事の「諸病きゅうり加持」は毎年7月、8月の土用丑の日に行う当山独特、島内随一の行事で弘法大師によって中国から伝えられたと云われる。
諸病にご利益があり、数々の霊験に授かる者多いと云われる。
へんろ転がしの道
保安寺裏側から遍路道を佛谷山に向かう。この遍路道、距離は400m~500m程で短いが、「へんろ転がしの道」とも呼ばれる難所の一つで、滑りそうな急な部分が多かった。
町道に出て暫らく進み、「佛谷山参道」の表示から左折して登っていく。
14:20 第四十一番・
佛谷山に着く。
保安寺より1.6km。
本尊 薬師瑠璃光如来
薬師瑠璃光如来真言
おん ころころ せんだり
まとうぎそわか
御詠歌
み仏の 誓いも深き 谷水は
病をいやす 薬なりけり
山門
佛谷山は佛谷山三学院と号して、通称「島薬師」と呼ばれて、本尊は薬師瑠璃光如来が祀られている。
保安寺の奥の院で標高400mの山頂近くに在り、深山幽谷の霊場である。
金剛力士像
金剛力士像
石造の金剛力士と両側に玉垣が並ぶ参道を100m程進み、山門を潜って石段を登ると本堂がある。
本堂
内陣
本堂内は洞窟になってその昔、弘法大師が修行中、護摩を焚き病人の治療に努めたと云われる。
洞窟の石は当山独特の白い柔らかな石で、「薬師石」と呼ばれ病気平癒、身体堅固等のご利益が多いと受けて帰る者が多い。
また、洞窟内の岩よりしみ出ずる清浄水「薬師水」は、病の薬なりと何時とはなしに巡拝者によって云いと伝えられている。
鐘楼
東屋の休憩所
参拝を終えて、土道を西ノ瀧に向かう。
池田港の遠景
遍路道
眼下に瀬戸内海が開け、遙かに名勝屋島、五剣山の風光が望める景勝の遍路道であった。
やがて遍路道は山門を潜らず、直接境内に入る。
15:10 第四十二番・
西ノ瀧に着く。
佛谷山より 0.6km。
本尊 十一面観世音菩薩
十一面観世音菩薩真言
おん まかきゃろにきゃ そわか
御詠歌
法の声 我聞きにけり 汚れたる 心を洗ふ 滝の響に
境内の風景
車道から来ると、長く真直ぐな石段の両側に燈籠がずらりと並んでいる。
山門
山門を潜り、石段を登ると正面に鐘楼、左手に岩壁を背に赤を基調とした護摩堂が建っている。その奥に庫裡と本堂が建ち、眼下に池田湾が広がる。
本堂
護摩堂
ここは小豆島最古の寺と云われる、寺歴800年以上の島内最古刹である。
昔は瀧水寺と称し、弘法大師の開創と伝えられ、奥の院の岩窟に湧き出る霊泉は「大師の加持水」として有名である。
庫裡
鐘楼
昭和45年、山火事で本堂と鐘楼以外は焼失したが、昭和52年に諸堂が再建された。
居眠り小僧
険しい遍路道
参拝を終えて、急な参道をくねくねと暫らく下ると、町道に合流する。町道を横断するように車の通らない快適な遍路道を下る。
16:00 第三十五番・
林庵に着く。
西ノ瀧より1km。
本尊 阿弥陀如来
阿弥陀如来真言
おん あみりた
ていぜい からうん
御詠歌
神といい 仏というも 世を救ふ
慈悲より外の 御心ぞなき
林庵
山裾の斜面に広がる畑の中に、ぽつんと佇む素朴な庵。昔は亀山八幡宮が札所であった。
明治初期の廃仏分離令で札所は廃止しされたが、地域住民の総意により庵が建立されて、阿弥陀如来が遷座された。林庵は集落の名に由来する。
参拝を終えて、東の方角に畑の道を小さな案内板に導かれて、何度も右折左折を繰り返すと、墓地の傍に松風庵が見えてきた。
16:20 第三十九番・
松風庵に着く。
林庵より0.6 km。
本尊 地蔵菩薩
地蔵菩薩真言
おん かかかび
さんまえい そわか
御詠歌
塵ほどの 罪も残さず 吹き払へ 年ふる寺の 庭の松風
松風庵
この庵の年代は不詳だが、光明寺飛地境内地として円明上人の再興と云われている。ご本尊のお地蔵様は女性を思わす美しいお顔をしている。
境内の片隅にアラシヤマ(嵐山)と呼ばれる樹木がある。ヤマザクラ群サトザクラの栽培品種。
アラシヤマ(嵐山)
桜の名所であった京都の嵐山に因んで名づけられたと考えられるが、名前の記録は江戸後期からあり、現在栽培されているものは明治期の東京荒川堤から広まっている。花弁は質厚い大きな円形で、淡紅色。
花期は4月中旬。
松風庵の参拝を終えて、境内にテントを設営して野営の準備をしていると、堂守の方が来られた。
ここでの野宿は禁止しているが、どこから来たかと色々聞かれる。
運転免許証を見せたり、絶対に火は使わないと説明すると最終的に許して戴け、ひと安心。
第5日目の歩行距離
25.0 キロ
計 118.3 キロ