平成27年5月7日
(木) 第6日目 ①
野営地の松風庵を発ち、光明寺に向かう。
参道を戻り南の方角に進み、四差路で左折すると光明寺がある。
7:00 第三十八番・
光明寺に着く。
松風庵より0.3km。
本尊 阿弥陀如来
阿弥陀如来真言
おん あみりた
ていぜい からうん
御詠歌
極楽を こことも知らず 後の世
に 生るる国と 思いけるかな
石柱門
他の霊場と異なり、光明寺は池田平野の中心に在り、長閑な雰囲気がある。参道を進み石柱門を入るとすぐ右に鐘楼が在り、正面には本堂が建っている。
本堂
境内は広く稲荷社も祀られ、大きな柿の木もある。
本尊は恵心僧都作と伝わる無量寿如来で、寺宝に縦3m、横2mの極彩色の金胎両部大曼荼羅がある。
鐘楼
参拝を終えて、明王寺に向かう。光明寺から南に進み池田大川を渡り、県道252号線に合流して左折する。すぐに右折して路地道に入ると高台に明王寺が見えてくる。
8:00 第三十七番・
明王寺に着く。
光明寺より0.7km。
本尊 不動明王
不動明王真言
のうまく さんまんだ
ばざらだん せんだん
まかろしゃだ そわたや
うんたらた かんまん
御詠歌
動きなき 人の心の うちにこそ
このみ仏は いますなりけれ
石柱門・本堂
小さな石柱に「明王寺」と刻まれた石段を上ると、正面に本堂が建ち、右手に毘沙門堂が建っている。
毘沙門堂
鐘楼
毘沙門堂の前に鐘楼がある。寺伝よると元明天皇の頃、行基菩薩が四国行脚の途中に小豆島に立ち寄り、島民の豊楽と安全を願って、一刀三礼して刻んだ毘沙門天と弁財天を草庵に安置したと伝えられる。
修行大師像
その後、弘法大師が巡錫されて本尊の不動明王を彫刻られた云われている。
天井に般若心経
大正5年版の「小豆島霊場名所案内記」に不動明王の霊験が記されている。
嘉永年間に、ある者が殺生が禁じられている境内で捕らえた魚を食べた。
その夜、全身に原因不明の吹き出物が表れた。
本尊不動明王の前で土下座して懺悔し、心を入れ替えると誓ったところ、吹き出物は消え、元の身体に戻ったという。
ぽっくり観音
同じ境内に第三十六番・釈迦堂はある。
本尊 釈迦如来
釈迦如来真言
のうまくさんまんだ
ぼだなん ばく
御詠歌
今も世を 照らせる法の 灯は このみ仏の 光なりけり
釈迦堂
昔、釈迦堂は高宝寺と称し、無住となった江戸時代初期からは、同じ境内の明王寺が管理してきた。
大阪の四天王寺の分身と云われ、その証拠に昭和6年の解体修理時に見つかった文字瓦に「四天王寺方々」との銘があった。
室町時代の典型的な建築様式で、小豆島内で国の重要文化財の建造物はこの釈迦堂だけである。
堂内には弘法大師作と伝わる釈迦如来坐像が安置されており、内陣の厨子の彫刻などは芸術的価値も高く、年に1度、灌仏会の時に開帳される。
手水場に不動明王
参拝を終えて県道252号線に戻り、右折して中山地区に向かって北上する。
小さな峠峠を越えて伝法川を渡り、中山の集落外れから右手に入ると、正面の小高い処に浄土寺と地蔵寺堂の山門と石垣が見える。
9:10 第四十三番・
浄土寺に着く。
釈迦堂より3.0 km。
本尊 無量寿如来
無量寿如来真言
おん あみりた
ていぜい からうん
御詠歌
法の花 永遠に匂える 奥山の
御寺は時も わかずのどけし
山門
石段を上り山門を潜ると横に長い境内の正面に茅葺きの庫裏、左手奥へ進むと本堂が建っている。鐘楼は山門の左手前にある。
本堂
本堂は鉄筋コンクリート造、宝形造りの本瓦葺きで室町時代の様式を伝える優雅な建物である。
朱印
無住である為だろう、本堂前に朱印が置かれて、参拝者が自分で押して、納経料を賽銭箱に収める仕組みになっている。何とも、長閑な札所である。
鐘楼
同じ境内に
第四十五番 地蔵寺堂
本尊 地蔵菩薩
地蔵菩薩真言
おん かかかび
さんまえい そわか
御詠歌
呼子鳥 なく声すなり 奥山に
迷うこの手の 道しるべして
地蔵寺堂は浄土寺の境内にある。昭和24年(までは独立した寺院として円満院地蔵寺と称して、湯舟山から500mほど離れた西中山にあった。
本堂
開基は行基菩薩と云われ、本尊は弘法大師の作と伝われる地蔵菩薩と、大正3年版の「小豆島霊場名所案内記」に記されている。
不動明王像
もともと檀家が10戸ほどと少ないことと、戦後まもなくの農地改革が追い討ちとなり、寺の維持が難しくなった。
そのため、当時の浄土寺と地蔵寺の檀家が相談した上、浄土寺境内に移築されることが決まったという。
地蔵寺堂から西へ進むと春日神社に、国の重要有形民俗文化財である「中山農村歌舞伎舞台」がある。
この舞台は江戸時代後期に都で行われていた歌舞伎を農村の人々が真似をして生まれた農村歌舞伎を上演する所である。
現在も毎年10月第2日曜日に上演されている。
遍路道
参拝を終えて、湯舟山へ向かう。山門を出て塀沿いに右手の方向に山道を上がり、車道を横切って進むと湯舟山の石垣と参道が見えてきた。
湯舟山の遠景
10:00 第四十四番・
湯舟山に着く。
地蔵寺堂より1.3km。
本尊 千手千眼観世音菩薩
千手千眼観世音菩薩真言
おん ばざら たらま きりく
御詠歌
湧きいずる 岩間の水も 松風も
ともに御法の 声かとぞ聞く
鐘楼
「湯舟山蓮花寺」と刻まれた石柱と鐘楼を過ぎて、長屋門を潜る。
石灯籠と長屋門
木々に覆われた静かな境内からは、中山千枚田(棚田)の風景が一望できる。
小豆島にあって数少ない山に囲まれ海が見えない札所である。
本堂
本堂は一段高い処に建てられ、本堂右横に島内唯一の熊野権現がある。
夫婦真泊
夫婦真柏の祠
境内の少し荒れているが天を覆う千年杉、不思議な樹勢を現わす夫婦真泊が往時を忍ばせる。更に奥に進めば昭和60年環境庁より、日本の名水100選に選ばれた「湯舟の水」が湧き出ている。
湯船の湧水
湧水は棚田を潤し、地元住民の簡易水道水源地として利用されている。
中山の千枚田
中山の千枚田
湯舟山から湧水が流れる小さな水路に沿った遍路道を棚田を横目に下る。
車道に出て、西中山の集落を過ぎて遍路道に入り、暫く進み階段が上ると「栂尾山」である。
10:30 四十七番・
栂尾山に着く。
湯舟山より1.3 km。
本尊 十一面観世音菩薩
十一面観世音菩薩 真言
おん まかきゃろにきゃ そわか
御詠歌
山なせる 心の罪も 栂尾も 許させ給へ 南無観世音
木々に囲まれた参道を抜けると境内の岩場が見えてくる。境内には本堂、阿弥陀堂、岩大師堂、秋葉大権現社がある。
本堂
岩壁に小さな梵鐘が吊るされた山門が組み込まれ、本堂は岩窟の中にある。
「猿がいたずらするので、扉の開閉をきちんとしてください」と書かれた戸を開けて入る。
本堂に入り後ろを振り返ると、入口の外に肥土山の集落が小さく見える。
内陣
洞窟内は岩肌が湿って、ろうそくの灯りに修験の道場の神秘的な霊気が漂っている。奥仏殿に十一面観世音菩薩が祀られている。
岩大師堂
本堂から少し離れた処に岩大師堂が在り、秋葉大権現社もあると云われているが所在は分らなかった。
秋葉大権現社はその昔、付近で起こった山火事をこの場所で止めたことで、村民や多くの巡拝者の信仰が篤く、今もなお大切に祀れれていると云われている。
毘沙門堂へ
毘沙門堂へは山道を5分程下り、88段の石段を下ると境内に出る。
10:50 第四十八番・
毘沙門堂に着く。
栂尾山より0.3km。
本尊 毘沙門天王
毘沙門天王真言
おんべい しらまんだや そわか
御詠歌
法の道 譲る宝を 授かりて
我が身もやすく 世を送らばや
毘沙門堂
毘沙門堂は小川と杉木立に囲まれるように建ち、辺りは静寂で落ち着く場所である。本堂に左甚五郎作と伝えられる等身大の、毘沙門天様を安置されている。
内陣・毘沙門天
本尊脇には町指定有形民俗文化財である青面金剛像、木造三申を祀り、昔から庚申信仰が盛んであったことを物語っている。
参拝を終えて、歩きのみ通行可能な遍路道を下って、多聞寺に向かう。
11:10 第四十六番・
多聞寺に着く。
本尊 薬師如来
薬師如来真言
おん ころころ せんだり
まとうぎそわか
御詠歌
岩たたく 滝のしぶきは さながらに
るりの光と 世を照らすらん
鐘楼門
山門は鐘楼門になっており、梵鐘は土庄町指定工芸で、元は肥土山離宮八幡宮のために鋳造されたものである。山門を潜り石畳を進むと右手に庫裡、左手に地下に下る階段がある。
不動堂戒壇巡り
地下の内陣は護摩秘法を行う不動堂で、地上に上がると本堂の前に出る。
開創は行基菩薩と云われ、本尊の薬師如来も行基作と寺伝にある。
文亀2年(1502)頃、現在の場所に移転するまでは苗手四望に在り、東林坊と称していた。客殿には弘法大師像が安置されている。
本堂
境内から望むと眼下には、肥土山の集落があり皇踏山の美しい景色を間近に臨むことができる。
肥土山にも中山と同じく農村歌舞伎舞台がある。
貞亨3年、水不足で悩む村人のために庄屋が私財で作った溜池の完成を祝い、仮小屋を建て芝居したのが始まりである。現在も5月3日に上演している。
肥土山の地域に江戸時代より約300年続く「虫おくり」という行事もある。
稲につく害虫を「稲虫来るな、実盛うせろ」と唱えて松明で追い払う。
「実盛うせろ」とは篠原の戦いで斉藤実盛が最期を迎えたとき、乗っていた馬が稲の切株に躓いたところを源義仲の武将・手塚光盛によって討ち取られたことから、実盛が稲虫になったという昔話に因む。
参拝後、円満寺に向う。