12:15 薬王寺に着く。
平等寺から22.4km。
第二十三番 医王山薬王寺
高野山真言宗
ご本尊 薬師如来
開基 行基菩薩
御詠歌
皆人の 病みぬる年の 薬王寺
瑠璃の薬を 与えましませ
薬師如来真言
おん ころころ せんだり
まとうぎ そわか
仁王門
国道に面して立つ単層の仁王門を入ると、左方向に白壁で導かれる整然とした石畳の参道があり、33段の女厄坂が続く。
金剛力士像
金剛力士像
女厄坂を登ると絵馬堂が在り、右手に鐘楼・医王殿・納経所がある。
絵馬堂に据えてある石臼は真言を唱えつつ、入れてある香を杵をもって自分の年の数だけ搗けば、身・口・意の三業の罪悪を破滅し、無病延命が得られると伝えられている。
石畳の参道
女厄坂
42段の男厄坂を登りきると境内で、右手の奥に還暦の厄坂61段がある。
段数は男女の厄年に因んで造られ、石段には一石一字ずつ記された薬師本願経が埋められていると伝えられ、女厄坂、男厄坂の石段に履物が滑りそうになるほどに硬貨が置かれている。
石段を上がる時に、1段1段に年齢の数だけ硬貨を置いて、お参りし厄払いをする為である。
絵馬堂と石臼
男厄坂
境内の正面に本堂が建っている。本堂の左に大師堂が建ち、その向かいに十王堂と地蔵堂がある。
本堂の裏に肺大師があり、肺病に効くという霊水が湧いているという。
右手奥の還暦厄坂を上ると本寺の象徴と言ってもよい、赤・青・白と色鮮やかな瑜祇塔が特異な姿を見せている。
還暦の厄坂
瑜祇塔は密教の独特な塔でドーム状の塔を覆う屋根の上には、仏の5つの知恵を表す五つの相輪が載っている。この塔は昭和39年に建立された。
瑜祇塔
寺伝によれば神亀3年に、聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建され、弘仁6年には平城上皇の勅命によって、弘法大師が本尊として薬師如来を刻み再興したと伝えられる。
嵯峨、淳和天皇等の信仰は篤く、歴代天皇が厄除け祈願の為、勅使を下向させている。
本堂
薬師如来像
文治4年、火災により堂塔を焼失、この時に本尊の薬師如来は奥の院の玉厨子山に自ら飛んで、焼失を逃れたという伝説がある。
その後、後醍醐天皇が厄除け祈願寺として再建し、新たに薬師如来を刻んで開眼供養を行っていると、元の本尊もこの時に飛んで帰り、後ろ向きに厨子に入り、自ら厨子を閉じたとされ、「後向き薬師」と称される。元の本尊は以後秘仏となった。
この為、この寺には本尊が二体ある。本堂の裏から「後向き薬師」をお参りする遍路もいる。
大師堂
肺大師
嘉禄2年には土御門上皇も訪れて、天皇の祈願所として栄えたが、天正年間に長曽我部の兵火で焼失。
阿波藩主・蜂須賀家政が再興したが、その後も2度の焼失と再興重ねて、現在の本堂は明治41年に再建された。
地蔵堂
鐘楼
境内には歳の数だけ鳴らして願いごとをする厄災消徐の鐘や、町指定天然記念物の大楠が聳え、近くにある魚藍観音像が持つ籠の中では、鯛や海老の像が跳ねている。海の幸に恵まれたこの土地らしい。
魚藍観音像
厄災消徐の鐘
また参道には司馬遼太郎の「空海の風景」と、吉川英治の「鳴門秘帖」の碑が建てられてある。
どちらの作品にも薬王寺のことが少し触れられているからだろう。
空海の風景
鳴門秘帳
この薬王寺は現在も厄除けの寺としても有名で、亡くなった父母、私も、家内も、娘達も前厄、本厄、後厄に参拝したことを懐かしく思い出す札所である。
日和佐の町を望む
境内から日和佐の街を見下ろすと、左に流れている北河内谷川、この川が海に注ぐ河口の左側が大浜海岸、右手に区切り打ちで利用したJR日和佐駅、右手の前方の小高い山の上には日和佐城が一望できる。
楠の大木
薬王寺の傍の国道沿いには、薬王寺温泉と道の駅・日和佐がある。
薬王寺温泉の由来は大師が42歳の厄年に薬王寺を開創せられた時、山腹より湧き出た霊水を見つけ諸病に卓効あることを試み、病に苦しむ人々に温浴を教え薬水として、服用を勧め多数の人々を救われたと伝えられる。
大師のご威徳を永遠に讃える為に「薬王寺温泉」と名付けられた。
JR日和佐駅
四国のみち
「道の駅・日和佐」は県内の交通や気象などに関する「情報ステーション」や物産館のほか、地元の新鮮な野菜や果物、特産品が並ぶ産直館などがある。
道の駅 日和佐
また、一度に約20人が利用できる足湯も在り、遍路にも喜ばれている。
駐車場の一角に「いやしの門」が在り、日和佐は室戸阿南海岸国定公園の中心で、太平洋に面し情緒豊かな美しい町です。
気候温暖で人情豊か、風光明媚な土地として人々の心を癒し、安らぎを与えてくれる癒しの町の意味からこの門を「いやしの門」と名付けました。
いやしの門
長旅の疲れを癒して戴く場として場内に足湯を設けて、四国を巡礼するお遍路さんをお出迎えするという、気持ちも込められています。 と記されていた。
私も癒しを戴き、広い足湯に浸り休憩する 。
「道の駅 日和佐」を発ち、、国道55号線を進むと一時間程度で日和佐トンネルに着く。
歩道の照明システムは、工夫されていた。センサーと照明が間隔をおいて2基連続して有り、歩行者がセンサーの下まで行くと次の2基の照明が点灯し、これを繰返している。
消費電力の節約にもなるし、歩行者の存在が一目瞭然に分かる。全長690mには歩道にガードレールも有り、安心して歩けた。
日和佐トンネル
日和佐トンネルを抜けると、「かめ遍路休憩所」と書かれた看板のある「ヘンロ小屋39号・日和佐」が新築されている。
小屋は日和佐のウミガメをモチーフにして、屋根には6角形の杉板を張りつめています。土地、施工材料など一式は地元の方々から、寄付して頂いた。
ヘンロ小屋
15:00 山河内駅の近く
の打越寺に着く。
縁起によると慶長3年(1598)、藩主・蜂須賀家政が主要な街道に沿った真言宗6ヶ寺を、当時困難を極めた遍路・旅人を助けるための駅路寺に制定した。打越寺はその駅路寺6ヶ寺のひとつである。
山門
駅路寺開創400年を記念して大師堂を建立、弘法大師と脇侍に不動明王・愛染明王が祀らているが、今は無人の寺のようであ。
大師堂
参拝を終え、国道を小松大師堂に向かい、水車の基石に「南無大師遍照金剛」と刻まれている休憩所で暫らく休憩をする。
休憩所と水車
山河内を過ぎると、両側に山が迫ってくる。
緩やかな寒葉坂を下って辺川の集落に着き、国道から遍路道に下りて民家の中を進むと、右手の小高い所に「小松大師」がある。
小松大師堂
薬王寺から11.9km。
番外霊場 小松大師
本尊 弘法大師
小松大師の由来によれば370年程前、大坂難波の里の石工が来客から、「三尺あまりの弘法大師坐像石仏」の注文を受けた。
彫刻して仕上げ、引渡しを待っていたところ、夢枕に立った弘法大師から再三にわたり、「石仏を阿波小松の里に送るように」との霊告を受け、船便に託してこの地に送り届けて来た仏像であり、霊験あらたかと伝えられている。
今日はここで野営する。
第9日目の歩行距離
34.0キロ
計 230.3キロ