「やさしい会社がいい」
「自由な会社で働きたい」
最近、よく聞く言葉である。
私は決してそうは思わない。
会社は居心地の良さを
提供する場所ではないからだ。
成果を出す場所、
価値を生み続けるための組織である。
給与は自動的に支払われるものではない。
その人がこれから出すであろう成果を信じ、
先に支払っているのが給与なのだ。
つまり会社は、
社員に投資をしているのである。
だからこそ、社員には責任がある。
時間を守る、
約束を守る、
役割を果たす。
それができないまま
「自由に働きたい」と言うのは違う。
責任なき自由は、ただの甘えにすぎない。
働きやすさとは、厳しさがないことではない。
ルールと基準があり、
その中で安心して力を出せることだ。
何でも許される会社ほど、
不安で働きにくい場所はない。
経営者の仕事は、
社員に迎合することではない。
会社を続けるために、
筋の通った判断をすることである。
やさしさも自由も、
強い土台があってこそ意味を持つ。
まずは成果と責任。
その先に
本当のやさしさと自由があると考えている。
社長という仕事は とにかく予定が多い。 考えることも山ほどある。 予定は常に埋まり、 一人で考える時間さえ 後回しになりがちである。 それでも私は、 基本的に誘いには乗るようにしている。 会食や勉強会、ゴルフなど。 一見すると今の仕事とは 直接関係がなさそうな場にも、 できる限り顔を出す。 なぜか。 それは社長の仕事には、 「人と会い続けること」も 含まれていると思っているから。 人との雑談の中から、 思いがけないヒントが生まれたり、 どなたかを紹介してもらったり、 数年後につながる縁が 静かに芽を出したりする。
その瞬間は 意味がわからなくても、 後になって 「あの時間があったからだ」 と思うことは少なくない。 忙しいときほど、外に出ることが重要。 これは私なりの習慣である。 ただし、 何でもかんでも付き合えばいい、 という話ではない。 年齢を重ねるほど、 はっきりしてくることがある。 それは「時間の質」は 人で決まる、という事実だ。 会うたびに愚痴ばかり。 誰かの悪口で場をつなぐ。 こちらの時間や 立場をまったく考えない。 そうした付き合いは、 どれだけ義理があっても、 どこかで線を引く必要がある。 時間は有限で、社長の時間は 会社そのものだからだ。 付き合いを切る、 というと冷たく聞こえるかもしれない。 実際には、「距離を調整する」 というほうが近い。 無理に会わない。 深く関わらない。 それだけでいい。 忙しくても誘いに乗る。 しかし、 時間の無駄になる関係は持たない。 この両立には、少しの勇気がいる。 だが、 何を大切にし、誰と時間を使うかを 選ぶことも、社長の大事な仕事である。 良い縁には、 きちんと時間もお金も使う。 そうでないものは、静かに手放す。
その積み重ねが、 会社の空気や自分自身の姿勢を つくっていくのだと思う。
大きな問題に向き合うとき、
私はあえて時間をかけすぎないようにしている。
まずは、さっくりと答えを出す。
完璧でなくていい。
精密でなくてもいい。
「いったん、こちらに進む」という
方向だけを決めるのである。
経験を重ねるほど、
大きな問題ほど
長く抱えても答えは澄まない、
と感じるようになった。
考えすぎるほど迷いが増え、
本来の論点が
ぼやけてしまうからだ。
だから私は、
大きな課題ほど
粗くても一度形にする。
すると不思議なことに、
行動が先に動き出し、
思考が後から整ってくる。
方向が決まると、
問題の輪郭がはっきりし、
必要な情報だけが
自然と集まり始める。
一方で、
小さなことには
しっかり時間をかける。
小さな違和感、
日々の手順、
誰も気にしていないムダ。
こうした部分を丁寧に整えると、
組織の質は
静かに、しかし確実に変わっていく。
多くの場合、
大きな問題の正体は、
小さな未整理の積み重ねである。
日常の細部が整い始めると、
以前は大問題に見えたことが、
いつの間にか
自然に解けていることも多い。
大きな問題には、
まず方向を決める。
小さなことには、
手を抜かず向き合う。
この順番を間違えると、
人も組織も疲弊してしまう。
経営も
(大きく言うと!)人生も、
結局は扱う順番が
大事になってくるのだと思う。
会社の勢いは、社員の明るさから生まれる
会社に勢いがあるかどうかは、
オフィスに入った瞬間の空気でだいたいわかる。
社員の表情が明るい会社は、
やはり強い。
数字が先に良くなるというより、
雰囲気の良さが結果を引き寄せている、
そんな印象を受けることが多い。
明るい雰囲気は、
会社のエネルギーになる。
前向きな会話があり、
意見が自然に出て、
お互いを応援しながら仕事が進む。
こうした空気の中では、
挑戦もスピードも
無理なく生まれてくる。
その空気をつくるのは、
やはり社長である。
社長が険しい顔をしていれば、
社員は様子を見る。
社長が前向きな言葉を使えば、
社員も「やってみよう」と動き出す。
組織は、上から流れる“気”に
大きく影響されるのである。
社員が生き生き動くために大切なのは、
「任せる・信じる・やってみせる」
この三つだと思っている。
任せれば責任が生まれ、
信じれば力が引き出され、
やってみせれば人は自然とついてくる。
これは年齢や立場に関係なく通用する。
反対に、
管理や指示が増えすぎると、
社員は考えなくなる。
安心がなければ、
挑戦も生まれない。
社長が社員を信じ、
社員が社長を信頼する。
その関係性ができたとき、
会社には明るさと勢いが同時に生まれる。
明るい会社は偶然ではない。
社長の日々の言葉と姿勢が、
少しずつ積み重なってできるものなのである。
日曜夜、静かに机に向かう時間がある。
予定の合間ではなく、
あえてつくった沈黙の時間である。
2026年のスケジュールを広げ、
月ごとの流れを眺めていると、
いろいろな思いや
アイディアが自然と浮かんでくる。
すぐに形になるものもあれば、
まだ言葉にならないものもある。
しかしこの
「ぼんやりと考えている時間」こそが、
未来をつくるための大切な下準備
ではないかと思う。
ピーター・ドラッカーは
「成果をあげる者は、
静かな時間を大切にする」
と語っている。
忙しさの中では、人は処理に追われる。
本当に考えるべきことを
後回しにしてしまう。
予定を詰め込めば詰め込むほど、
未来は見えにくくなる。
だが、スケジュールや頭の中に
余白をつくると、思考は前に進み始める。
この時間は、
もっとも有意義で、
もっとも価値のある時である。
お客様が新しい案件について話し始めるとき、
私はいつも、その企業が放つ独特の輝きを感じる。
「こんなことをやってみたい」
「次はこういう市場を狙いたい」
そう語る瞬間、
社長の表情には希望と覚悟が入り混じり、
企業の未来が一瞬、くっきりと姿を見せるのである。
この“未来の気配”に触れると、
私はいつもワクワクする。
経営とは苦労も多いが、
未来を描く時間だけは、
まるで新しい空気が流れ込んでくるような
清々しさがある。
しかし、
私はただ一緒に夢を見るだけの立場ではない。
どの道筋が現実的で、
どこにリスクが潜み、
何を避け、
何を優先すべきか。
そこには当然、厳しさも伴う。
「その方向はあっているが
まずはここを先に整えておくべき」
「そこへいくための勢いはいいが
現実を考えた時にこれは足りない」
といった、耳に痛いことも伝える。
ときには
せっかくのアイデアを
一旦寝かせる判断をすることもある。
それでもなお、
私は未来を語る時間が大好きである。
なぜなら、
未来を語れるということは、
その企業にまだ伸びる余白があり、
社長が前を向いている証拠だからだ。
未来を考えるという行為そのものが、
企業を1ミリ前に進める。
そしてその1ミリは、
積み重なっていくと
驚くほどの変化を生む。
結局、経営のすべては
未来に向けた準備である。
今日の改善も、
明日の投資も、
ときに悩むその時間でさえ、
未来をより良くするために存在している。
だからこそ私は、
お客様が未来を語り始める瞬間を
大切にしたいと思う。
その表情の明るさ、
言葉に宿る熱、
少しだけ高揚した声。
そこにこそ、
企業がこれから進むべき方向が
自然と現れてくるからである。
未来を考えるために今がある。
その当たり前のようでいて深い真理を、
私は日々の対話の中で
改めて教えてもらっているのである。
私はまず、人の話をきくことが仕事だ。
経営者であれ社員であれ、
悩みや不安、未来への思いを語るとき、
その人の内側には言葉にならない何かが必ずある。
それを受け取るには、
こちらの心が静かであることが必要である。
最近、これをいっそう強く感じている。
長くこの仕事をしていると、
「この業界ならこうだろう」
「この地域ならこういう気質だろう」
と、つい枠をつくってしまう。
しかし実際に向き合うと、
その枠に収まることの方が少ない。
同じ業種でも社長の背景はまるで違うし、
同じ地域でも会社の空気感は大きく異なる。
人も会社も、それぞれである。
だからこそ私は、
話をきくときはできるだけ無でいたいと思っている。
先入観を持ったまま耳を傾けると、
相手の言葉を自分の型にはめてしまい、
本当の気持ちを取りこぼす。
「わかったつもり」になった瞬間、
対話は浅くなるのである。
無で聴いていると、
言葉の奥にある温度やためらい、
迷いの気配がすっと伝わってくる。
その一瞬に、
「ああ、話の本丸はここだな」と感じることがある。
本人さえ言語化していない思いが
ふと浮かび上がることもある。
人の話を聴くとは、
その人の世界の扉をそっと開けてもらう行為である。
こちらが余計な荷物を持っていてはいけない。
空っぽであるからこそ、
相手は安心して心を見せてくれるのである。
無で聴く。
そこから生まれる対話こそ、
この仕事の醍醐味である。
いま、日本の中小企業は二極化している。
毎年成長を続け、社員もお客様も
活気にあふれている会社がある一方で、
同じ市場にいながら停滞し、
元気を失っている会社も少なくない。
この差はどこで生まれるのか
「軸があるか、ないか」である。
元気な会社には、必ず
“揺るがない中心”がある。
それは、立派な理念や難しい戦略ではなく、
もっとシンプルだ。
「どんな価値を、誰に、どう届ける会社なのか。」
この一点が明確で、
判断も行動もすべてそこに貫かれている。
だから環境が変わってもブレないし、
むしろ変化をチャンスに変えていける。
一方、元気を失う企業の共通点は
“軸の曖昧さ”だ。
市場が変われば方向を変え、
社員の声に引きずられ、
目先の売上に振り回される。
結果、社員は何を大事にして働けばいいのか
分からなくなる。
判断基準がない組織は、必ず迷走する。
中小企業がこれから生き残るために必要なのは、
立派な投資でも最新テクノロジーでもない。
まずは“軸”をつくることだ。
「当社は何を大切にし、どこに向かうのか。」
社長が腹の底から決め、
それを一貫して社員に示し続ける。
軸が明確になれば、現場の判断も早くなり、
無駄な混乱が消える。
社員同士の連携もスムーズになり、
組織に“流れ”が生まれる。
元気な企業は、
奇跡で成り立っているのではない。
強い軸をもとに、
同じ方向へ積み重ね続けた結果である。
いまこそ、
中小企業は原点に立ち返るべきだ。
自社の軸は何か。
どこがブレているのか。
問い直すことが、次の10年を決める。
軸のない企業は揺れ続ける。
軸のある企業は、必ず進み続けると思っている。
12月も半ばに差し掛かり、
街には年末の空気が漂い始めている。
2025年も残りわずか。
年の終わりだからといって、
何か劇的に変わるわけではない。
カレンダーがめくられるだけで、
人も会社も急に別人のように
進化することはないのである。
重要なのは、時間の区切りではなく、
この一年で本来やるべきことに、
どれだけ向き合えたかという事実である。
年末になると、人はつい“総括”したくなる。
しかし、私はむしろ、
今年やると決めていながら、
まだ着手していないことは何か。
考えるべきことで、
後回しにしてしまったものは何か、について考える。
優先すべきは、華やかな振り返りではなく、
手をつけていない核心部分に
光を当てること。
経営とは、
派手なイベントや節目で動くものではなく、
淡々と取り組む姿勢の積み重ねで
未来をつくっていく営みである。
だからこそ私は
12月、年末だからと力むのではなく、
普段通りに淡々と仕事をして過ごす。
むしろ、静かに自分の思考を整え、
残している課題を
ひとつひとつ確認していく時期にしたい。
やるべきことに向き合うとは、
決して特別な行為ではない。
放置した課題に手を伸ばすこと、
必要な決断を先送りにしないこと、
来年に持ち越すのではなく
“今年動く”という小さな覚悟を持つことだ。
それだけで組織の流れは確実に変わる。
世の中は年末ムードに包まれているが、
経営者は浮足立つ必要はない。
時間の区切りに振り回されず、
やるべきことに丁寧に向き合い続ける姿勢こそが
会社の軸になる。
2025年の残りの日々も、
特別なものにしようとする必要はない。
静かに、淡々と、しかし確実に前へ進む。
それが、未来の成果を支える最も確実な歩みである。
出張が続くと、
移動そのものが仕事の一部になる。
だが私は、この移動時間が嫌いではない。
車窓から見える町並み、
空港や駅で出会う人の表情。
その土地ごとに違う温度や空気感に触れることで、
経営者としての感覚が研ぎ澄まされるように思う。
地方へ行けば、
時間の流れが少しゆっくり感じられることがある。
逆に都市部では、
歩く速度すらビジネスの緊張感を映し出している。
人の姿勢、話し方、店の並びや看板の色。
これらはすべて、
その地域の経済状態や
価値観を物語る“生きたデータ”である。
経営とは、机上だけで完結するものではない。
市場は人であり、
土地の空気がそのまま消費のリズムをつくっている。
移動するたびに私は思う。
その土地の雰囲気を読む力こそ、
経営判断の質を左右するのだと。
今日もまた次の仕事へ移動をしている。
新しい土地の空気に触れ、
そこから何を感じ取れるか。
それが次の一手につながるのである。







