【子育て・不登校】子供は大丈夫!私が本当にそう思えるようになったワケ。 | 不登校兄弟2人のママが伝える、親も子も自分らしく軽やかに生きる方法。

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【子育て・不登校・夫婦関係・生きづらさ】なんだかしんどい、我慢ばかりしている気がする、どうしてうまくいかないの?…こんな思いを抱えていませんか?心の仕組みと自分を知ることで、目の前の世界は一変します! UMIカウンセラー(訓練中):まわたり まい

こんばんは。


UMIカウンセラー(訓練中)

まわたり まいですブーケ2




只今、私がUMIで自分と向き合い


具体的にどのようなことをしたのかを


お伝えしております♪



UMIで自分と向き合うとどうなる?? 




本日は、第一段としてこちらから。



【子供を信頼できない】



子供を信頼するって、どういうことだと思いますか?



この子は人に優しくできるとか、



友達とうまくやっていけるとか、



私たち親がやってきたように


順当に学業やら部活やらに取り組み


将来は仕事につき結婚するだろう…とか??





我が子が不登校になって私が行きついた答えは、




どんな時も、その子なりに考え


周囲の人の助けも得ながら


進みたい道や術を見つけて進んで行くだろうと思えること。




だから、この子は大丈夫と思えること。




私が導くとか、助けるとか、育てあげるとかではない。



この子が自分の人生を作り上げていくのだと


信じることができる気持ちなのだと思います。






以前の私は、この子供への信頼を


頭ではしているつもりでも


本当に信じることができていなかったんです。







信じることができない理由は2つありました。




一つは、子供たちの課題らしきものにフォーカスしていたから。




特に長男は赤ちゃんの頃から


私にベッタリで保育園でも小学校に入っても


泣いて先生に引き剥がされていました。




友達と打ち解けることにも、


とても時間がかかりました。




また、あらゆることで自分の望みどおりに


行かないと怒って泣いて譲らず


私の足にまとわりつきました。






そして、もともと心配に思っていたところへ


不登校になりいくつかの機関で相談し聞いた話で


私の心配はさらに掻き立てられました。





○不登校を選ぶ時点で、何かしらの発達課題が

 ありそう。

 衝動性・こだわり(しつこさ)・適応能力に

 課題があるかもしれない。


○発達課題があるとして、不登校や暴力などは

 その子に合った対応がされなかった際の

 二次障害であるということ。


○当時、小3からの対応はギリギリライン。

 このまま大人になったら大変なことになる子も

 いると、事例を聞かされたこと。




私は、


「いやいや、課題のある子がみんな


そうなるわけじゃないでしょ?!


今までの私と長男をよく知りもしないで決めつけないで!」


という、怒りと悔しさが湧いた一方で



これからどうなってしまうのかという


不安や恐れが拭いきれずに心の片隅に


いつもありました。





同時に、


どうしてこんなに大変なんだろう


なんでこんな目に合わなきゃいけないの


こんなはずじゃなかったのに…


という被害者的な思い。




子供に課題があったとしても、


私が受け止められなかったせいで


長男の見たくない行動を引き出してしまった


という加害者的な思い。




こんなもので、私の心はグチャグチャでした。







そして、


子供を信頼しきれないもう一つの理由は、




私がやってきた子育ては間違えていたんだ


私のやり方では子供に悪い影響を与えてしまう



このような過去に抱いた思いから、


暴力が無くなってからも


外側からの意見に囚われていたのです。




もう自分では何が正解かわからない、


つまりは、


私自身を信頼できなくなっていたんですね。







一つ目にあげた子供に対する不安は、

世間では発達障害と呼ばれるかもしれません。



名前をつけるなら発達障害かもしれないけど、

どんな人にも苦手なこと得意なことがあるように

誰もが持っている個性なんですね。



その個性のプラス面に光を当てれば

才能や魅力になるし、



マイナス面に光を当てれば

障害や問題行動ということになる。




ですが、

当時の私は自分自身を信じられないために

子供との接し方がわからなくなっていた。



子供を受け止められずに癇癪や暴力へ繋がること

受け止められないことで更に子供を傷つけることを恐れて、


子供たちの個性のプラス面とマイナス面

どちらを見ていくのかが決まっていなかったのです。




だから、子供は大丈夫だと、

子供自身を信じることができなかったのですね。







ここまでわかったなら、

まずは決めればいいですよね。




私は子供たちのプラス面を見ていきたい

子供たちを信頼できる自分になりたいと

思いました。




そして、そうなるためには

自分自身への信頼を取り戻すことが

不可欠でした。




自分自身を大丈夫だと思えないから、

子供たちのことも大丈夫と思えないのです。




自分自身への信頼を取り戻すためには

こんなことをしていきました。



○自分のどんな思い(被害者的な思いも

 加害者的な思い)も感情(怒りや悲しみ)も、

 自分だけは否定せず受け入れる。

 常に自分は自分の味方となる。
 

→ノートに書き出したり、声に出すことで
 イメージのなかで相手にぶつけきる。

→最後は「そうだよね」って自分が寄り添い、
 どんな自分も受け入れ味方になる。




○正解を求めた行動をやめ、

 自分のための行動をしていく。

→自分は本当にそれをしたいのか、
 相手の気持ちではなく自分の気持ちに
 意識を向けて、
 間違えてもいい!傷つけてもいい!
 と開き直ってやってみる。



実際には、こんなことがありました。



ある時次男が学校へ行きたいと言い
 
長男は「ママ行っちゃだめ!」と言ったんです。


私の前に立ちふさがり、しがみついたり、

車のドアを閉めさせません。



でも、次男の学校へ行きたいという気持ちに

応えたいと思い、力ずくで長男を押し退け

車に乗り込みドアを閉め、少し離れたのを見て

ゆっくり発進させました。



長男は裸足のまま150メートルほど

車を追いかけ走ってきていました。




私、やった。自分の思いを通した。



でも、こんな強引なやり方でいいんだろうか…

長男を傷つけたかもしれない!

また、あの睨みつけるような目付きで
私を見るようになるかもしれない!




なんとか自分の意思を通した達成感のような気持ちと、

端から見たら虐待と思われるんじゃないかという

激しいやり合い、

長男が裸足で追いかけてくる姿。



次男と学校に着いたあとも

私の心はざわざわしていました。







そしたらね、

長男、あとから一人で学校まで来たんです。



びっくりしました。



次男のいる教室で遊んで一緒に帰りました。



それからも、

私が買い物へ行くとき

長男が出掛けたいというとき

何か買ってと言うとき

色んな場面で私はどうしたい?と問いかけ

実行しました。




でも、私が恐れていたような結果には

ならなかったんです。




いつの間にか私と長男の攻防は

一切無くなっていました。






このやり方でいいのか?


どうするべきだろうか?


間違えてない?



そんな意識で行動しているあいだは、

やっぱり間違えたと感じるようなことが

現実化します。



無意識にわざわざ間違えたと感じる部分を見たり、

大丈夫か…大丈夫か…と自分の意思を

決めきれずに動いていることで

行動が後手後手にまわったり、

相手を気にするあまり言動が裏目に出たりして、

うまく行かない現実を引き起こすんです。





でも、親子とはいえ違う人間同士のやり取りで

何が正解かなんて考えてもわからないですよね!




そんなことより

自分はどうしたいのかを自分が知ることで、

それをすると決めて行動することで

ちゃんと相手にも伝わるんだ、

理解してもらえるんだということがわかりました。




しかも、自分の意思で動いたという実感がある。


この実感が、私への信頼を取り戻していきました。




私自身が徐々に大丈夫と思えるようになると、

先ほど書いた通り、

長男が理解してくれるという面が見えてきました。




また進むと、今度は長男は理解した上で

じゃあ自分はこうするよ!というように

自分のしたいことをするようになっていきました。



長男の魅力の一つとして、

楽しむための発想力と

それを実現する行動力が

私の目にキラキラと見え始めたんです。



以前は、長男は

思いどおりにならないと癇癪を起こすと思い

問題に感じていました。



それが自分の意思を貫く強さとなり、

時に周りの人も巻き込み

楽しい時間を作り出す才能に変わったんです。



そうやって付き合いたい人と楽しく過ごす

長男を見ていたら、

人とのコミュニケーションが苦手??

それって本当??って思う。



長男は自分が信用できる相手に心を開き

まっすぐに接することができる子だったのです。




長男の個性のプラス面が私の中でも

長男の中でも開花していきました。




この子は大丈夫だ。



本当にそう思うことができました。





子供は大丈夫。


子供を信頼する気持ちは、

お母さん自身が自分を信頼し、大丈夫と

思えているからこそ感じることのできるもの。




お母さんが自分を知り

自分を大切に、自分のための行動をしていること、

そうやって自分の意思で生きているという感覚、

自分の人生を生きていけるという感覚を

知っているからこそ、

子供もそうなると思えるものなのですね。




長くなりましたが、最後までお読みいただき
ありがとうございました^^