2024年5月16日(木)
晴れ☀️

長崎平和記念公園に行ってきました。

どこかわかりませんが、修学旅行中と思われる中学生が来園していました。


平和記念公園です⬇️

長崎平和記念像です⬇️

平和記念像について調べてみました。
記念像が完成したのは今から69年前の1955年(昭和30年)。1963年(昭和38年)生まれの私より8年先輩になります。

天を指差し突き上げた右手は上空で爆発した原爆の恐ろしさを表し


水平に広げた左手は平和を表現。


閉じられた目は戦争犠牲者の冥福を表しているということです。

戦争の恐怖と平和の尊さ、祈りを表す平和記念像の上半身⬇️

下半身にも意味があり、横に曲げられた右脚は原爆投下直後の長崎の静けさを表し

膝を立てた左脚は救った命を表しているそうです。

平和像の制作費は3,000万円、
像が座る台座は2,000万円、
3,000万円は国の内外からの寄付、
2,000万円は長崎市の予算で制作。

製作者は彫刻家の北村西望(きたむらせいぼう)氏。像のモデルは吉田廣一(よしだひろいち)氏。1954年(昭和29年)にフィリピンで行わた陸上アジア大会で旗手を務めた人物だそうです。吉田さんは同大会で重量挙げの日本代表として出場しているようです。

あの筋骨隆々の像は重量挙げで鍛えた吉田廣一さんの身体だった、、とされています。

私が同平和記念公園を初めて訪れたのは中学三年の15歳。そんな説明を聞いたかどうかも忘れてしまう45年の歳月。

長い、、、

さて、
昭和30年に完成した平和記念像。私が中学三年15歳で訪れた時は完成からすでに28年が経過していたんですね~

私たち池間中学校の修学旅行に合わせ、長崎平和記念像は造られた!
そう信じて止まなかった仲間広二(大笑)  
実におめでたい野郎です(大笑)

あらためて平和の尊さ、平和である日本に感謝したいです。併せて世界から戦争や紛争、内乱や罪なき民の虐殺などが無くなることを祈ります。

そして、身を挺して日本国を護ろうとした特攻の若き英霊たちが今も靖国にいることを、私たちはけして忘れてはいけません。