池間島の昭和の風景第2弾はタヌイ(田上)地区、スキンマ(崎浜)地区、マイバイヒダをお届けします。

こちら↓↓の写真は1973年ごろのタヌイ地区の道です。
現在のタヌイ地区の同じ道です↓↓↓

こちらはタヌイ地区から見たスキンマ地区の家なみです↓↓↓(赤瓦屋根の家は旧石川家)
現在の石川家跡です↓↓↓

マイバイヒダです↓↓↓
テトラがありません。
この海はダイレクトに波がドカンと来ていました!
深い海からリーフをかけ上がるうねりときたらそれはそれは山のようでしたよ!
なのでウサズナン(ボディーボード)にいそしんでいました。
この頃ボディーボードという言葉はもちろんありません。
ましてサーフィンなんて聞いたこともありません(笑)
ちゃんとしたボードはなく[ビダク]といわれるサバニの底板を拝借(もちろん無断で)して
波に乗っていました。
リーフブレイクなので失敗して波に巻かれると
それはオソロシイ事態に!
先輩が瀕死の重症を負ったのもこの海です。
現在のマイバイヒダです↓↓↓
ユルすぎ!!(笑)
子どもの頃、この磯でギシグヤ(ムール貝の一種)を獲って海水ごと缶詰の空き缶にブッ込んみ、そのまま浜で茹でて食べていました。
今ではそのギシグヤも姿を消してしまいました。

次もマイバイヒダです。
写真に写っている人は海名人の金福オジイです。
ニヌムヤ(シマハギ)を投網で狙っています!

この場所は子どもの頃幾度となく歩いた場所ですが、岩が折れたり、割れたり、移動したり
、護岸ができたりで、なかなか特定できませんでした💦💦
でも見つけましたよー!

すったもんだでやっと特定できた現在の場所がこちらです↓↓
右側にある巨大な岩が移動してくっついていたり、先端の岩が折れてたり、護岸の下だったりで苦労しましたが、やっと特定できました。

子ども時代から池間島のあらゆる場所を駆けずり廻っていた経験がここにきてやっと活かされました(笑)
それにしてもテトラポット(波消しブロック)
の圧迫感ときたら、、、


最後はスキンマのアッウ゛ァバスナカです。
こちらは漁師たちがミジュヌ(マイワシ)を獲る網を干していた場所です。
現在のアッウ゛ァバスナカです↓↓↓
現在のアッウ゛ァバスナカはゲートボール場として活用されています。
[今日の池間島]で島の南西側の海として、
イケマッシやティビラガニ、ハーカビジなどを撮影している場所がこちらです。
ただ、正確にはそれらの海は西側の方角になります。
この写真の右側がティビラガニです。

昔の風景を見てなつかしく思ったり、
なんでこの風景を守れなかったんだろう!
なんて思ったりしました。

環境を残すことの難しさ!
進化し過ぎることの危うさ!
それを改めて感じました。

思い出や出来事を記憶に残すのもいいけど、
やはり記録に残すことは大事ですね。
記憶はあいまいですが、
記録をみると〃あの頃〃がより鮮明によみがえります。

池間島観光協会は〃池間島の記憶〃を[記録]に残します。

明日は池間島の昭和の風景第3弾をお届けします。