昭和48年ごろの池間島と現在の池間島の風景を比較してみました。
まずは下の写真のヒャーンツガマから。
ナカマグス=池間漁港からヒャーンツガマを通り家路を急ぐアキャウダ(仲買人)たち↓↓

現在のヒャーンツガマ↑↑↑

ヒャーンツガマの漢字表記は[速道:速い道](注:この場合のガマは愛称)とあります。
が、私の見解は[昔道:昔の道]です。
昔のことを池間島の方言では「ヒャー」または「ンキャー」と発音します。
早い(速い)も方言では「ヒャー」ですが
速い道の意味がわからないのです。

この道は池間島創成期以来ある道のようで、
創始の集落・ウイバラ地区から、池間島第2の集落ナカバリ地区と第3の集落ムッドゥマイ地区へと分かれていく道でもあります。

写真↓↓の右側の道がウイバラ地区から降りてくる池間古道。
左にいくと広大な砂浜で豊かな漁場へ。
この漁場は昭和40年代まで存在していました。
小高い丘の裏がウイバラ地区です↓↓↓

下の写真は海岸側から撮影したものですが、
左に行くとウイバラ地区、右に行くとナカバリ、ムッドゥマイ地区へと続きます↓↓↓
ウイバラ地区の[大主神社通り]が上の道なら、いわばこちらの通りは下の道。
わざわざ崖の坂道を通らなくても海沿いの平坦なこの道を通って2つの集落へ行けるのです。
それを可能にした道がヒャーンツガマです。

ヒャーンツガマを上がった下の写真の道を右に行くとムッドゥマイ地区、左に行くとナカバリ地区へ↓↓↓

古代の池間島の道に名前が付けられていたかは不明です。

私の見解の理由は、
池間村の人口が増えて前里村が新に創設され、
さらに人々の往来は大主神社通りをメインストリートとして利用していった。
次第に人々は裏通りである[ヒャーンツガマ]は漁に使う道として利用するのみになり、
ヒャーンツガマは生活道路としての役目を満たせなくなった。
そうこうしているうちにヒャーンツガマはそれこそ[昔の道]として認識され、
島の人々の会話はこうなった↓↓↓
「インウリーヤーンナーヒャーヌンッチュトゥーリッタイ」
訳:海に行って家に帰るときは昔の道を通ってきたよ。
時代の流れと共に言葉も短縮され、
ヒャーヌンツがヒャーンツへと変化したのでは?
というのが私の見解です。

何かの名称はそれなりの歴史があり理由があると思います。
坂道になっているから下りはどうしても早足になってしまう。
なので早い[速い]=(ヒャー)道=(ンツ)で、ヒャーンツガマと呼ばれた!
は安易すぎると思われて仕方ありません。

ちなみに池間島にはヒャーンツガマより傾斜角度が厳しい坂道はいくらでもあります。

ヒタティンミから学校裏へ通っていた道は、
それこそ転げ落ちそうなくらい急傾斜でした。
ジャランミから学校へ行く〃上道〃と呼ばれた坂の道などはもう坂道にあらずです。

夢でこの坂道が越えられなくて何度学校に遅刻したことか(笑)

ただ、一方で安易なことが起因でその地の通称が決定する場合も多々あります。
なので「これは間違い」と言うのも乱暴です。

現行の漢字表記を尊重しながら、これからも皆様には丁寧に説明して行こうと思います。

第2弾は連続写真でお届けします。