暮らしと算命学*「人生の分岐点」 | イケジイのおもしろ玉手箱

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暮らしと算命学*

「人生の分岐点」

 

日本国内では穀物の値上がりなど、資源の乏しい日本を直撃し収入の少ない国民を窮地に追い込んでいます。

今後もさらに厳しくなりそうなのが、少子化問題で日本のセーフティーネットが崩れ始め、いや、もう既に水面下では始まっているかも知れません。

 

政府の役割は「国民の命と財産を守る」と言うのが第一の政策課題でありながら、このまま国民を無視した政策を続けると、今後のどこかで「徳政令」や「日本沈没」と言った最悪の事態が待ち受けているかも知れません。

 

私たちは先ず自分たちの所得を増やすことに全精力を傾け、今日からでも「所得倍増計画」で、これらの難題を乗りこえなければなりません。

 

いわゆる「出費の備え」を拡充していれば、物価問題や所得の問題も解決され、生活水準も底上げすることも可能です。

私が推奨するのは、自分に合った「働き方を考える」ことであり可能な限り「新たな仕事」を手に入れることです。

 

①職住隣接で「交通費と時間の節約」

②複数の収入源を確保する

③効率性を高める仕事を選択する

④将来性のある仕事に就く

⑤独立・開業可能な仕事を目指す

⑥儲かる企業や農業の後継者不足を物色する

⑦都市部のマイカーは不要(必要経費の節減)

⑧リスキリングで所得倍増を手に入れる

 

もし、私が20代、30代の年齢だったら上記のように、「所得を増やす」ための努力目標を掲げるでしょう。

①の職住隣接は、私が長い間励行してきた対策で、交通費と時間の節約を金額で換算すると億単位になるかも知れません。

 

手っ取り早くできるのは②の「複数の収入源」でしょうか。

将来は社長や起業を試みたい人は、⑤の独立開業を目指すべきで多少の苦労は仕方ありませんが、比較的安易なのは⑥の儲かる企業や農業の後継者を目指すことでしょうか。

 

基本的な考え方は「所得と経費」の両面で対応できれば「所得倍増計画」は比較的スムーズに行えます。

 

*私の所得倍増計画

40歳代は、昭和のバブル期で、私も事業家として人生で最も輝いている時代でした。

金、地位、名誉、そして男としてのステータスとして、「左ハンドルの外車に乗ること」だったのですが、これも手にしました。

 

苦労して自分で育て上げた会社ですから、もう怖いものはありません。今後もこのような人生が続くだろうと、有頂天になっていたのも事実です。

 

2000万円で3DKの自宅(マンション)を購入ししたのが35歳の時、3年間でローンを完済し、10年後には同じ物件がバブル景気で、1億円もするほど値上がりしており、ローンを借りた銀行からは「あなたのような人は初めてです」と銀行も驚いていましたね。

 

年間10.5%の高金利で2000万円のローンを3年で返済するには、自宅の6畳間を事務所にし、会社に5万円で貸して賃貸収入を得ながら、夫婦で働き年収が1000万円を超えれば、稼いだお金は全て生きており、一時期は生活空間で狭い思いをしましたが、早く完済して楽になりたかったのです。

 

もしローンが払えない状態だったら、早朝の新聞配達でもしながらローン返済を計画していましたが、そこまでには至らず仕事だけで完済することができました。

 

しかし、儲かったとは言え、売って処分したら今度は住む家はありませんし、賃貸に入居しても家賃はべらぼうに高いですから、売るに売れないのです。

 

栄華はそう何時までも続くものではありません。

昭和64年の正月には、昭和天皇の崩御があり、平成天皇が即位されました。この頃から時代は大きな転換期を迎えることになります。

 

 

昭和から平成へと動から静へ

アナログからデジタルへ

 

今から約30年前に遡らなければなりませんが、昭和時代が「陽の時代」であれば、平成は「陰の時代」に転換します。

ちょうど時を同じくして、日本にも「パソコン=コンピュタ」が上陸してきました。

 

アナログ全盛時代の「デジタル到来」でしたから、それはもう現場はパニック状態です。

この頃から事業も衰退の道を辿りはじめ、苦労して開拓した得意先が1つ2つと消滅していく現象に見舞われました。

 

「このままでは危ない」と、危機に対応しようとしても、解決策は見つかりません。一方で、こんな便利な「コンピュータは絶対なくならない」と自分でも理解していましたから、逆にコンピュータと仲良くしなければ、生き残っていけないのではないか、と思いましたね。

 

しかし当時のコンピュータは、専門職で導入するには一式で500万円くらい投資が必要でした。

 

勉強のためと仕事で使うためには、パソコンに慣れ、何が作れるのかをマスターしなければなりませんが、操作や制作の技術を教えてくれる学校も人材もいないのです。

 

*頭はアナログで、操作はデジタル

50歳を過ぎた年齢で、これから未知の領域のデジタルへチャレンジする自分を見つめてみると、なかば滑稽に見えるかも知れませんが、なまじアナログ経験があるために、制作段階でアナログの知識が邪魔になるときがあるんです。

 

ましてや外国からやってきた外人さんですから、言葉の障壁やその意味すらも分かりません。それにもまして、日本や東南アジアでは文字は「縦組み」が中心ですが、外国は全て「横並び」であり、「縦社会」の感覚すらないのです。

 

現在でも新聞や出版物の本は、殆ど「縦組み」になっています。

制作側では、これは大きなネックとなり、トラブルの原因にもつながるのです。現場では、常にこんなリスクのある機械は使えない、と言うのが業界の常識でした。

 

安定してきたのはそれから10年後くらいです。

しかし、殆どのアナログ専門業者は廃業に追い込まれ、それまで発注する側だった印刷会社や出版社は、自社で設備と技術者を養成しなければ、会社の存続すら危うくなってしまいます。

 

私も意を決して、「パソコンを利用する立場に位置する」ことを念頭に、その後は生きる世界を別に開拓しなければなりません。

 

50歳半ばで、生きる世界を模索するのは簡単ではなく、将来の方向が全く掴めないのです。

 

「どう、生きたいの?」

「何をしたいの?」

「どう稼ぐの?」

「生きる場所は?」

「何ができるの?」

 

上記の問いに対して、ひとつも答えられない自分がそこにいるのです。これではまるで「生きている屍」そのものです。

人間が人生上において、ここまで追い込まれると正に「窮地」と言える状態で、後は「攻めること」しか考えつきません。

 

気付く前の段階では、住む環境を維持しながら小手先の変化で対応しようと、一種の「守備的発想」が主体を占めていたのでしょう。これでは大きな改革には結びつきません。

 

気持ちを切り替えて「攻める思考」になってから、遊び感覚で物事を見る余裕が出てきました。

そんなときに知り合ったのが、その後の私の人生を大きく変えてくれた、恩師である横浜の「山縣先生」でした。

 

新たな出会いは未来を変える

「恩師との巡り会い」

ビジネスの変化期、人生の変化期に直面していた私は、新たな方向性を模索しているときに知り合いの紹介で、お目にかかった「山縣先生」でした。

 

その時に初めて「占術界」の人材にお逢いしたのです。

ええ?? こんな世界があるの??

 

山縣先生にお会いしてから、私の心境も少しずつ占い界を理解する方向へとシフトしている自分がいるのです。

そうだ、手相でも勉強してみよう・・・

 

まさかこの私が「占い師」になれるとは思ってもいませんでしたから、手相でも勉強すれば、営業に役立つかも知れないと、単純にそう思っただけで勉強を始めたのです。

 

そこで、千駄ヶ谷の易占学院へ通い、毎週土、日の講座を18ヶ月勉強し、さらに気学の方位学も習得することができました。

手相、気学、そして算命学を順次学びながら、3年を経過したあたりで、山縣先生からお声がかかってきました。

 

*神は準備している人に「場を与える」

「今度イベントに出店するから、あなたも参加してみない??」

との打診でした。

 

当時は事業も細々と、やっと食べていける程度の仕事量でしたから、二つ返事で「是非とも参加させてください」と答えて決まりです。

 

先生から、手相はいつでも教えますよ・・・と言われましたが、

いえ、手相は勉強しました。

ぜひテストをしてみてください。

 

テストの当日、テストはお客様を直接鑑定するのです。

はらはらドキドキでしたが、先生の側で何とか3人を無難に消化しましたが、その後もお客様が立ち並んでおり、3人で終了どころかその後も立て続けに10人ほど鑑定してしまったのです。

 

お一人様1000円ですから、合計13,000円の売り上げです。しかも約3時間位の時間帯でこれだけ稼げたのです。

う~ん、かなり率が良さそうだな・・・と、そこは事業家の勘ですね。その場で現金を回収するから、リスクはありません。

実に美味しい仕事だなあと感じましたね。

 

「あなた、なかなか会話が上手ね~~」

「明るくテキパキと答えているから、大丈夫」

「ぜひ頑張りましょう」と。

 

大先生の立ち会いの下で無難にテストに合格し、晴れて鑑定士の仲間入りを果たしましたが、鑑定士は鑑定だけでなく、集客や接客技術も必要であり、総合的な能力が要求されます。

 

最初は目の前を通る人たちに「声かけ」から始まります。

「どう? 手相をやってみませんか?」

「開運手相、両手を見て1000円です」

「今なら、すぐに鑑定できますよ」

「行列ができると1時間は待たなければなりません」

 

それこそ、集客できなければ死活問題ですから、現場は必死です。

こうした集客をしているお店と、声も出さずにただ単に鑑定士が座って待っているお店とは、お客様の数が顕著に違ってきます。

 

「声かけ1年、鑑定3年」

「石の上にも3年」という言葉もあるように、鑑定士としてそこそこ食べていける実力が付くのに、これだけの年数がかかります。いや、3年以内に実力を付けなければ、鑑定士としては失格です。

 

集客のための「声かけ」も、お店のイメージ、鑑定士の質、良心的か否か、安心できるか、信用や信頼が持てるか、接客時にどれだけお店のイメージをお客様に与えるかも大きなポイントです。

 

これらの情報を、目の前を通る人たちに、3m~5mの歩く幅の間に伝えなければなりません。

 

さらに集客に重要なツールとして、手相の看板(足を止めさせる)、や手相入りのパンフレットを、行き交う人たちに受け取ってもらうのです。

 

こうした地道な努力を重ねることが、自然にお客様に伝わっていき信用と信頼を勝ち取ることができるのです。

後は鑑定士の腕の見せ所ですね。

 

因みに、私が「鳳占い」に入ってから、鑑定よりも本格的に集客に力を入れ、見る見るうちに売り上げも増え、鑑定士がたたき出す1日の売り上げもうなぎ登りで、連日最高売り上げを更新するような事態になってしまいました。

 

午前11時から夜8時までの実働9時間で、先生一人が鑑定する人数は60人~80人、中には飲まず食わずで100人を超える先生もいて、手相だけの売り上げで1日10万円を超える人も4~5人はいましたね。

 

そしていつの間にか「行列のできる店」との称号も頂き、マスコミの格好の餌食になっていきます。

 

一人勝ちの当店で個人的には同業他社から、妨害や嫌がらせなど受けながら、マークされていましたが、そこは集客のテクニックとして先駆者だったかも知れません。

 

私の入店当時は、他の鑑定所は数軒しかなかったのですが、その後は数が増え、どのお店も真似をして店頭で集客する姿を目撃するようになりました。

 

僅か20年くらいのうちに、横浜中華街での鑑定所は飽和状態になっていきますが、ここは「真似する中国人街」ですから、仕方ありません。

 

しかし、片言の日本語ですから、集客しているとは言えどことなくぎこちなさが見られます。

 

その大先生も亡くなって15年の歳月が経ちましたが、お店の経営スタイルも一変し、ライバル店も増え、手相も「ワンコイン(500円)」というお店も出現しています。

 

*ワンコイン(500円)の手相は、何故ワンコインなのか?

はっきり言えば、手相鑑定に自信が無いから、通常1000円の手相を半額で見ているわけで、それでも勉強していなければ半額の価値も中味もありません。

 

横浜中華街での占い店はさらに店舗数も増え、中国系のオーナーが激増しており集客競争も激しく、文字通り価格破壊が始まっておりますが、こちらも「安かろう、悪かろう」で、本当の鑑定には至っておりません。

 

お店を辞めて今年で10年目を迎えますが、こうした状況下で「手相1000円」を維持し続け、時折行列している姿を見ると、

「おお、頑張ってるなぁ~~」と感心している次第です。

 

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