暮らしと算命学*「無理のない老人対策」 | イケジイのおもしろ玉手箱

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暮らしと算命学*

「無理のない老人対策」

 

昭和の時代には「人生50年」と言われ続けていましたが、平成、令和と続く今日では、いつの間にか平均寿命も延び「人生100年」と、言われるようになりました。

 

平均寿命の伸びは、単に食糧事情が良くなったというだけでなく、医療技術の驚異的な進歩も取り上げなくてはなりません。

 

確かに年間医療費が30~40兆円と、国民の命の対価としては少ないのか多いのかは定かではありませんが、その大部分を老人が占めていると思うと、心苦しい限りです。

 

日頃「痛みのない生活」を長く続けてくると、ちょっとした身体の痛みを感じると、途端に不安が頭をよぎります。

人間の身体は「精密機械」のようなものですから、一部が痛みを発すると、たちまち周辺機器に支障を来すようになるものです。

 

痛みや病気は予告もなく、いきなりやって来ますから、日頃から自分の体調をしっかり把握し、「因果応報」という言葉もあるように、痛みの原因を突き止めなければなりません。

 

切り傷や骨折、捻挫などはケガの一部であり、内臓系の病気には必ず生活習慣や酒、タバコ、食生活や運動などから発生する病気は、時間を掛けていますから、一種の「老朽化」とも言える症状です。

 

最近は、エイジング・クリームなどで、還暦を超えた女性でも背筋を伸ばし、ファッション性豊かにハイヒールで、堂々と歩いている姿を目撃しても、何ら違和感もなく40代に見えてしまうのは私だけでしょうか。

 

それでも30代、40代の若い人たちから見れば、子供の存在がありますから、子供から見れば祖父や祖母の立場で、どうしてもお年寄り扱いをしたくなるものです。

 

老人の方に心がけて欲しいことは、若い人たちに頼らないことでしょうか。老後の生活設計を年金生活で賄えれば問題はありませんが、国保の年金だけでは到底生活を維持することはできません。

 

*堅い大きな物は「一口サイズ」に

老人になって一番窮することと言えば、「食べ物」でしょうか。

60歳半ば頃になると、殆どの歯が抜け落ち「入れ歯」に頼らなければなりませんが、入れ歯をはめると大きな物を口の中でかみ砕こうとしても、かみ切れず入れ歯もろともはき出さなければならなくなります。

 

自分の歯であれば、りんごや梨でもかぶりつくことはできますが、入れ歯をはめると、堅い物や大きな物は細かく切って、一口サイズで食さなければなりませんが、この辺りが老人と過ごさなければ、若い人たちには理解不能となるやも知れません。

 

老人と運動

 

人間動かないで、ずーっと何もしないでテレビを見たり、ゲームで遊んだり、デスクにかじりついて、体を動かさず極端に動きを停止させると、腹痛や頭痛を感じたり、視力が落ち、耳も聞こえにくくなってくるものです。

 

反対に体を極端に酷使する人は、肉体的な疲れから、精神的にもろくなり、切れやすく思考性が鈍ってくるものです。これも「動と静」のバランスの欠如から起こる症状とも言えます。

 

人が動くときは、何かの目的があり、手段があり、結果を得るために行動しているはずです。しかし、目的も結果もなくただひたすら、どこへ行くあてもなくさまようご老人が多くなったようですね。

 

*徘徊するときは「ネームカード」をぶら下げて

後期高齢者の仲間入りをした辺りから、私は徘徊(撮影)する場合には、僅かなお金と「ネームカード」をセットにして、ポケットに忍ばせておりますが、カードには名前と身近な連絡先を3名ほど記しています。

 

いつ何処で何があるやら分かりませんから、咄嗟に身を守る反射神経や身体も反応が遅くなりますから、事故を防ぎ切れないかも知れないからです。

 

子供の頃に近くのおばあさんが、大きな声でわめき散らしながら、時には声もあらく呟きながら、怒ってると思うと次の瞬間、ケラケラ笑い出しながら歩き去って行く姿を目撃していました。

 

中には大きな声で歌いながら、歩いている50歳代の「おばさん」も見かけたことがありますが、これもどこかの配線が切れた結果の出来事かも知れません。

 

度々目撃するときは、当人はぐるーと回って、最終的には我が家に戻っていることになりますが、症状がひどくなると、帰る家が分からなくなって、そのまま行方不明となる、ぼけ老人も多く見られるようです。

 

特に都会では一人暮らしの老人が増え、孤独死や白骨死体で発見。などとニュースの記事でお目にかかりますが、残念ながら、呆け老人に共通して言えることは、自分が呆けていることを殆ど認識していないらしい。

 

さらに「死期」が近ずくと、「物」がなくなったり、「泥棒が頻繁に現れる」こともあるようです。ひどいときには身近な人をドロボーに仕立て上げることもありますから、対応策を考えておきましょう。

 

私を可愛がってくれた、大恩人の女性も80歳を超えた辺りから、あれがなくなった、これがなくなったとわめき散らし、一時は泥棒扱いされ、対応に苦慮した経緯がありましたから。

 

さらに面白いことに、

「あのね、この前泥棒に入られて部屋の鍵を持って行かれたのよ」

ところがね、今朝玄関に行ったらね、泥棒さんが

「私が気ずかないうちに、玄関にそっと鍵を置いてってくれたの」

ひと安心よ・・・。

・・・そう、それは良かったですね・・・。

 

*徘徊時は「ウォークマン」と共に

 ・・・元気で自分の足で動けるときは・・・

老人が出かける時には、元気な時でも、自分を証明するものでも、所持していれば、転んで骨を折ったとしても誰かが通報し、助かる比率が高くなると思います。

 

しかし多くの老人が「自分が徘徊している」ことすら、殆ど気付いていないから始末が悪いようですね。

家を一歩出ると、帰る家を忘れてしまうんだろうね・・・。

 

私も休日には一人で散歩に出かけますが、自分に刺激を与えるため、イヤホーンを付け、好きな音楽を聴きながら歩を進めるのです。

 

曲によっては、周囲の情景にヒットし、まるで映画のワンシーンでも見ているような感覚に浸ることもあります。

 

歩きを早めるときは軽快なリズムに切り替え、歩き疲れてベンチで休むときは、静かなメロディーに切り替える。

これが普通に出来ているうちは呆けてない証拠ですから、どこまで散歩が楽しめるやら・・・。

 

散歩は殆ど山下公園を主体に、時には「赤い靴」のバスに乗って、港の見える丘まで行き、そこから階段を下って、人形の家を通り、山下公園にたどり着く。

 

*元気な老人には、老人扱いは禁物

あなたのご両親が痛みやボケないで健在であれば、例え70歳を過ぎたとしても生活に介入しないことです。運悪く一人親だとしても、親の方から何らかのサインがない限り、心配には及びません。

 

ただ体調を崩したときは一人で病院へ行くのも辛くなりますから、その場合は父親であれ、母親でも子供として付き添ってあげてください。

 

特に一人の場合は、話し相手が側にいないために、何かと不安材料が増幅するものです。

 

私も検診で3ヶ月に一度病院へ行きますが、元気のない父親と娘さんが付き添っている姿を目撃すると、微笑ましく感じ、仮に重病であったとしても、父親は勇気を持って自身の重病を受け入れることでしょう。

 

付き添いの役目は、単なる付き添いではなく、付き添われた父なり母は、人間としての自覚を取り戻させる、絶好の機会となることもあるのです。

 

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