宿命天中殺の運命論*
「午未生月天中殺」
日干支から導き出された「午」と「未」つまり午未天中殺が、生月支に発生している場合を「午未生月天中殺」と称します。
年干支=戊 子/
月干支=丙 午/生月天中殺
日干支=甲 申
天中殺=午未天中殺
陽干支=甲午、丙午、戊午、庚午、壬午
陰干支=乙未、丁未、己未、辛未、癸未
上記10個の干支が、月干支に発生している人が対象になります。
午未天中殺=南方欠落(子供・部下)
生月天中殺=中央欠落(現在・自分・家系の場所)
*****
*午未生月天中殺
午未の天中殺が「生月支」に算出される生月天中殺は、他家に養子、養女となって離れたとしても、他の天中殺には見られない特殊性が生まれてきます。
これは「北方傾斜」が環境との一致により、現実性に変化するところにあり、単に現実的な成功者となると言うような形にならないのです。
午未生月天中殺には「社会還元の運型」と呼ばれるもので、養家先の家系を終わらせるとともに、先祖の諸々の恩徳を広く世の中へ還元してしまう形になるのです。
つまり「無形の宝」のみを残し、有形の宝を還元するわけですから、「個から衆へ」の財産を法人に置き換え、社会奉仕的な働きをすることになるのです。
自分自身も有形の宝に捕らわれず、またその気風を養家先の人たちにも押しつけるということになります。
人生としては美になることは確かですが、回りの人たちが現実的な生き方を望む場合は、相当の葛藤は免れないものとなります。
この場合は家系の流れを終結させるために、養子へ行くようなもので、本来の養子目的から外れてしまいます。
ここに午未生月天中殺の特色があり、養子に出て本人には満足感があっても、回りの人たちにとっては良好とはなりません。
跡取りに養子を迎えたいと考える人こそ、現実有形の中に喜びを求める人であり、もし跡取りに恵まれない人がいるとすれば、それこそ神が与えた運命と言わざるを得ないでしょう。
養子、養女の縁組みなどは、人間が勝手に作ろうとしている運命であり、養子を取ろうと考える人が、午未生月天中殺の行為を喜ぶことはありません。
そのような養父、養母であれば、最初から養子は取らないはずです。しかし環境と一致しない午未生月天中殺は、特別な現象的歪みはありませんが、精神的な成長が遅く、俗に言う親離れが遅くなるのです。
それ故に長い間、回りの人たちの力をあてにするような姿が生まれ、自立心が現れなくなるのです。しかしながら憎めない人間性が生まれてくるのは確かなようです。
*****