西方天中殺の欠落と対策*「子丑天中殺」 | イケジイのおもしろ玉手箱

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西方天中殺の欠落と対策*

「子丑天中殺」

 

算命学における「西方天中殺」の概念は、陰陽説を主軸において、人間の環境を「方向の範囲」で捉えた手法を取っています。

 

人間生活を「方向」の中で解釈するという方法は、古代中国の思想学では常識とも言えるもので、道教、儒教をはじめとして仏教などでも、大いにこれを取り入れているようです。

 

しかし算命学の方向概念は、一点に固定するのではなく、ひとつの世界、ひとつの分野、あるいはその範囲を決定した段階において、自由に導入していくという方法を取り入れ、未知なる世界へ入り込んで、全体把握ができる技術を作り出したのです。

 

人間は生涯を歩む中で、様々な分野、様々な世界との関わり合いの中で、自己が得意とする世界もあれば、不得意とする世界もあり、国が変われば交流する民族も異なるものです。

 

どんなに立派な人間であったとしても、人生の出発点において人間の真理を把握しているわけでなく、何度も人生の壁を乗り越え、苦しみ、悲しみ、そして喜びを味わう行程の中で成長し、宇宙の真理へと辿り着くわけで、道なき道を進んでいるようなものです。

 

 

*6種類の西方天中殺

①子丑天中殺=北方の欠落と欲望

②寅卯天中殺=東方の欠落と欲望

③辰巳天中殺=天頂(心)の欠落と欲望

④午未天中殺=南方の欠落と欲望

⑤申酉天中殺=西方の欠落と欲望

⑥戌亥天中殺=中央の欠落と欲望

 

算命学では、人生の目的を見失ったり、方向を間違える危険を防ぐために考え出されたもので、その意味からも「方向の概念」というものが大切な役割を果たしているのです。

 

生活環境の中で例を挙げれば、家庭という環境の中では、「北方」に位置する目上とは両親であり、「西方」に位置する人物は配偶者にあたり、「南方」は子供たちです。

 

「東方」は兄弟、母親であり、「中央」は自分自身、「西方」は配偶者で東西の横線は自分と同格の場であり、上下の差はありません。

儒教的には長男と次男では上下の差を考えますが、算命学では長男も次男も「同格」と考えているのです。

 

しかし「役割」においては上下の差があり、長男が一家を支える役割に就けば、当然弟は役目において差が発生しており、算命学との違いは立場とその背景を重要視しているのです。

 

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子丑天中殺の欠落と対策

 

「子」と「丑」が西方天中殺になるということは、「北方」の欠落を意味し、父親を始め自分より目上に位置している場所が、欠落している状態です。

 

そのために自己を中心に考えた場合、父親との縁が薄くなったり、その恩恵を受けにくいという訳です。

このような運命の形は、運命的な流れが自分自身から始まるということになり、いわゆる「初代運」と呼ばれる形を作り出しているのです。

 

つまり親の業を継がないで、故郷を離れるなどの現象が現れてきますが、子丑天中殺は東西の時間軸である現実世界とは異なり、南北の精神世界ですから、目上からの援助を自分自身がはね返すという状態が生まれてきます。

 

しかし、子丑天中殺の人の環境が目上に従ったり、先人たちの恩恵を受けている場合は、自己の本質を発揮することは難しくなります。

この場合は、本来欠落すべきところが満たされているわけで、当然のように不満が続出し、真の自己発見には至らなくなってしまいます。

 

反面で父親を早くなくしたり、父親との縁が薄い環境下にあれば、自己の本質は無理なく発揮されることになるわけですが、これは子丑天中殺の人たちに与えられた、生きるための条件なのです。

 

ところが西方天中殺の特徴とも言える部分で、欠落しているところが自己の欲望となるところから、「北方」の位置を生涯求め続けるという心理状態が生まれるのです。

 

親との縁は薄くとも、心の中には親孝行の精神や、目上に対する尊敬の念や情愛の深さは充分に所有しているのです。

この心理状態は「北方」が欠落しているが故の現象であるために、自己の行為は反射的に「南方」へと向かっていきます。

 

南方は子供や部下などの場所であり、満たされないものを子供や部下に求めようとしたり、自己の不満を子供や部下に対してガードする行為が強く現れてくるのです。

 

*運命の開花は中年以降に

子丑天中殺の運気的特徴としては、目上を多く持つ時代、つまり若い時代では運命の発展が少なく、目上や上司が少なくなる時代、つまり中年期以降に入って、自己の本質と社会的環境が一致することになるわけです。

 

若い時代には目上を大切にし、従う姿勢が強く見られますが、結果的には目上との折り合いが悪くなったり、目上に対する期待を裏切られるような状態を作り出します。

 

子丑天中殺にとって、北方が欠落するという状態は、父親の存在を「負」とし、父親の不在が「正」となるのです。もし父親が父親らしい役割を果たしたとすれば、本人の人生は「負」となってしまいます。

 

このような運命を作り出す子丑天中殺は、父親の存在は父子間において激突の多い状況を作り出し、父親から見れば子丑天中殺の子供との関係において、何かが折り合わないなど、溶け込みにくいという状況を作り出すのです。

 

そうした関係にも拘わらず子丑天中殺の子供は、一方で父親をいつまでも求め続けるという心情が働いているのです。

運命というものは必ず相対の中で発生し、「自分」対「環境」の中で諸々の現象が生まれてきます。

 

西方天中殺は、どのような天中殺を所有しようとも、その条件に適合した環境であれば本人は何ら苦は生じないのです。

 

西方天中殺は欠落した部分が欲望となるわけですから、人間が真の満足を得るためには、心の世界を自分なりにコントロールしなければなりません。

 

しかし「苦」と「楽」とは神が与えた条件と、自分自身の生き方が一致しているかどうかにかかっているわけで、人間としての善悪を超えたところに存在しているのです。

 

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