前回のブログではヨーガ瞑想の進展段階について書きました。

今回はその具体的修練について書いていきます。


ヨーガの瞑想の実践法は大きくわけて8つ。


ヤマ(禁戒、やってないけないルール)

ニヤマ(勧戒、やったほうが良いルール)

アーサナ(坐法、身体性の開発)

プラーナヤーマ(調氣法、氣の体得)

プラティヤハーラ(制感、感覚器官の統制)

ダーラナ(集中、断続的な集中)

ディヤーナ(瞑想、継続的な集中)

サマディ(三昧)

になります。



順序を前後しますが、アーサナとは身体開発。

つまり身体に対する気づきです。

言葉を変えたら"身体を使った瞑想"になります。


ここでも大切なことは"気づいていること"ではありません。

"気づいていない"と"知る"ことです。

つまり気づいている状態と気づいていない状態の差異を明確に捉えていることになります。


そういう面では現代ヨガのアーサナは、そこが目的ではないので、気づいている部分のみが伸びて行きます。

アーサナ(ヨガのポーズ)をより上達させていくような方向性です。

結果、やればやるほど“自分は出来る”と言ったような自我や自尊心が肥大化していくといったようなことも起こりえます。


あくまでも、ぼくの提案するヨーガにおけるアーサナの目的は身体に対する気づきになります。

出来る様になることも大切ですが、もっと大切なことは自己の身体に対しての客観性の担保です。


その結果、安定して快適な身体性と精神性が獲得されます。

その効果はヨーガ教典によると二元性を越えるとされています。

もちろんこれも段階的にさらに進化していきます。

進化は無限です。

その初期段階としていわゆる心がブレないということが起きます。

さらに進むと良いや悪いなどを超克していきます。

好きや嫌い、快や不快などに惑わされなくなります。


これも前回の記事の自己制御と同じく、完全にそうなると言うわけではありません。

アーサナの完成とは、実践と同じく差異を明確に捉えていることです。

出来ているが明確に分かるから、出来ていないも明確に分かります。

それを都度、修正する能力を培うことで、アーサナの練度は増し、身体性が洗練されて行きます。


そして、それが進めば進むほど、二元性の超克という状態に対して、出来ない状態が短くなり、ほとんどの生命時間を出来ている状態で過ごすことが可能になります。 

安定して快適な、充実した心身の状態を獲得していきます。


そして次のプラーナヤマとは"調氣法'になります。

これは最初は呼吸法から入りますが、実際は氣のコントロール法になります。

瞑想の対象が身体感覚から氣という微細な感覚へと進展して行くと言うことです。


コントロールとは支配、制御の意味です。

しかし、どう支配、制御するかを考える必要はありません。

気づけば良いだけだからです。


今回のシリーズのテーマであるように瞑想とは気づきです。

そして、正しい気づきは対象への支配力を持ちます。

つまり氣の存在に明確に気づくことで、それを取り扱うことが出来るようになります。


勿論これも段階的に進化していきます。

成長の方向性を他者への癒しにすると、それは気功やヒーリングと言った技術になって行きますし、空間の氣を感じることで結界を張ることが出来るようになったりもします。


そして、それらの技術はアーサナ、つまり身体性の気づきの深さに依存します。


プラーナヤマの根本にあるのは氣に対する深い理解、つまり深い集中と深い気づきです。

これらを習得することで、今までの世界は完全に破壊されます。

この宇宙は物質では出来ていないと、明確な体感を伴った理解をするからです。


プラーナヤマの習得により、物質的な世界線から、非物質的な世界線に比較的安全に移行することが可能です。

もちろん物質的な宇宙を感じなくなるわけではありません。

非物質的な宇宙をより臨場感高く感じることが出来るようになります。

この段階に入ると、魔物への注意も必要です。

思い込み、思い違いに加えて、傲岸、不遜、慢心、などのリスクも大きくなります。

これは何もヨーガに限らず一般的な世界でも同じだと思います。

大きな力には、それ相応のリスクがあるはずです。

良く切れるナイフも調理に使えば良く手入れのいきとどいた器具ですが、それにより人を殺傷することも可能なように。

だからこそヨーガの初めにはヤマとニヤマという精神性を高く保つようなルールが設定されています。

もちろん、それ以外にもヤマ、ニヤマの意義は多岐に渡りますが、ヨーガの実践の過程で必ず修得される密教的な技術。

その際のリスクヘッジとしての効果はヤマニヤマの実践度合いに依存するかと思います。


氣の存在を明確に知ることで、今までの宇宙は完全に破壊されます。

ただ、こちらも破壊に終わりはありません。

アーサナ同様に出来ている、出来ていないの境界線を越え続けることで、常識はことごとく破壊され、新たな地平はどんどん広がります。


そしてこの段階を踏み、プラティヤハーラつまり感覚器官の統御が可能になることで、ヨーガにおける瞑想の初期段階ダーラナへと足を踏み入れることが可能になります。


自己に対する気づきが自己の感官への支配力を得ることにより正しい集中を身につけることが可能になるからです。


これらは個別に修練するのではなく、ぼくのやり方では同時に行っていきます。

そしてダーラナへの適正を得れた辺りから、ようやくヨーガ瞑想の四段階の最初。

“尋”へのアプローチがジワリジワリと可能になって行きます。


続く。