目次

 

 新渡戸稲造博士(1862-1933年)の第一高等学校校長時代の教え子の1人である石井満による『新渡戸稲造傳』(関谷書店、1934年)では、新渡戸博士の『武士道』(1899年)執筆の動機を次のように大略次のように記している。なお遠因としては、ラヴェレー教授との会話があるが、それは4月17日に紹介した。

 

新渡戸博士は日本の文明は50年間で進歩したが、精神的には進歩しておらず、ある意味では堕落していると考えていた。そこで思想家としての急務として、堕落を救済する道を考えた。その道を武士道に求めた。これ以外には無いと考えた。武士道によって現代日本の思潮を知らしめる事ができれば、日本だけでなく、欧米各国民との間の相互理解も容易になる。国際間平和も促進される。このような意味で日頃から、東西両洋の間の橋になろうと思っていた。(228頁)