下大槻の斜面を滑り落ちる父の夢~大根村と下大槻
今日みた夢はこうだった。下大槻団地の敷地の端の方に両親といた。そこは緩やかなスロープになっていた。斜面は一部擁壁のようになっていた。私達は平地と斜面の境に立って、遠方をみていたのだが、父が私に躓いて斜面を滑り台のように滑って行った。 ところで秦野市の下大槻は大化以後の郷制では余綾(ゆるぎ)郡金目郷に属した。他に真田、矢名の村落も含んでいる。またこの頃は下大槻という地名はなく、大月(大槻)と呼称されていたことは前掲記事(2014年4月18日)でも前述した。この金目郷と大住郡大服(おおはた)郷に属する落幡村は秦野市成立前は大根村を構成していた。1889年(明治22年)4月1日の町村制(明治21年4月25日法律第1号)施行時以降である。