今日みた夢はこうだった。何かの研究者が多い会合にいる。場は和室系統だが、何段かある。そこに私の北大時代の師匠がいた。大変ご無沙汰しており、正座でお辞儀をしたが、勢い余って地面に頭が着いた。師匠は、笑みを含みながら色々仰った。師匠は横長の卓に座る3人の女性らしき人々に話しかけた後、彼らに私を紹介した。実は彼らは男性で、「池田君はね、君たちのようではなく、上手く隠して上手くやり遂げたんだよ」と仰った。

 その後、私は仲間と地下道のような所を歩いていた。地上に出ると、意外と寂れた町だった。そこで何かの場所を探していた。坂道が多いが、飲食店等が割とあった。街はずれは高速道路に接していたと思う。それから場面が変わった。再び、研究者やそれ他金持ちそうな正装の紳士が集まるホールのような所にいた。一緒に本を刊行しようとしている学会・研究会の仲間が1人いた。私と彼がいる場所が機械仕掛けで下に降りて1階分位下がった。何かが始まるようだった。

 ここからは夢の分析をする。まず初めの件。正直、ほとんど判らない。思い当たることと言えば、結婚前に付き合った方のことだ。丁度、この季節に付き合っていた。大変美人なんだが、実は男性かもと思う事があった。もちろん結局、判らずじまいだった。

 次の件。これも余り解らない。初めて行く東京都区部の駅の地下を歩いて外に出ると丁度こんな感じだろう。そういう経験は日常的に体験している。関東には研究仲間がいる。彼と研究以外でどこかに行くことはちょっと無いから、最後のホールのような所はよく解らない。

 ところで北大、つまり北海道大学なのだが、その前身が札幌農学校というのは割と知られていると思う、札幌農学校クッキーというのが結構、売れているからだ。その更に前身である開拓使仮学校は余り知られていない。

 まず明治初年、北海道開拓事業を担った官庁が1869年7月(明治2年)に設置された開拓使である。開拓使は農工諸術実用の才を教育する場を国内に設けようとしていた。

 1872年1月(明治4年)、御雇外国人トーマス・アンチセルが意見書を出した。これを受けて次官黒田清隆は当面は東京に仮小学を設置するために鉱山学、器械学、農学等の外国人教師を雇いたい旨の伺いを政府に出した。

 なお小学というのは、今の小学校とは異なる。専課学校に必要な基礎学力を教育する教育機関である。この仮小学は上記専門分野を学ぶ高等教育機関として構想されていた。結局、仮学校として開設が認められた。

 同年3月、化学、器械学、植物学、図学、医学の専門分野各1名をアメリカに求める旨を上申し、政府の許可を得た。

 開拓使仮学校は東京芝増上寺に開設された。同年4月17日(明治5年)、生徒募集を布達した。年齢は14~20歳である。

 同校には普通科と専門家があった。普通科は第一と第二に分かれている。第一は英語、漢学、算術、手習い、画学、日本地理、物理、歴史。要するに今の一般教養に相当する。第二は、専門基礎教育で、化学、器械学、測量学、植物学、鉱山学、農学を課す。

 専門課は、器械学、鉱山学、建築学、農学を主とする専門学第一から第四からなっていたが、学生の語学力不足のため開設されなかった。

 1872年5月21日の入学者は官費生50人と私費生14人である。

 この学校は札幌学校と改称され、場所も札幌に移された。当時は今の北区ではなく、中央区1~2条、西1~2条に位置していた。1875年9月7日(明治8年)に開業式を行った[1]

 


[1] 北海道大学125年史編集室編『北大の125年』(北海道大学図書刊行会、2001年)1~6頁。