今日みた夢はこうだった。私はどこかの学校にいた。恐らくは大学のキャンパスだろう。広大な敷地に建造物群が建っていたからだ。色々用事があって歩き回っていたのだが、ある棟に入った時、深い溝があって、その向こうに扉がある不思議な空間をみた。そこには知っている学生がいた。彼は少し歪で多少気味悪かったが、その溝の先について話した。外を知っている教員が通り過ぎていくのを見た。

ここからは夢の分析をする。これは河合塾の評価で神奈川大学の偏差値が明確に日東駒専の下とされていたのを見たからだろう。私の現役時代は少なくとも同等だった筈で、衝撃を受けた。その神奈川大学のキャンパスと夢の中の場所は何となく雰囲気が似ていた。

ところで神奈川県の「神奈川」の沿革だが、鎌倉時代中期には「神奈河郷」と表記されたりし、また同郷は鶴岡八幡宮領だった。その湊は神奈河湊と呼ばれた。また小田原北条氏の時代から東海道の宿駅として機能した。1601年に宿駅指定された。継立は当初、神奈川町だけで負担された。後に西方の青木町が加わった。1854年のペリー再来航時には応接場が神奈川となった。1858年の日米修好通商条約では開港場が神奈川となった(第3条。Britannica Japan Co., Ltd.『ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版』(EncyclopædiaBritannica, Inc., 2010年)「神奈川」)。このことから、現在の県名となっている(『日本大百科全書』「神奈川(県)」)。