自らの身体を動かし、動き回ること。

今まで過ごしていた半径の世界から、飛び出すこと。

そこに新しい世界が広がり、異質なものを取り込むことで、

これまでいた世界に刺激が与えられ、新たな反応がつくりだされる



昨日は、坂口安吾の「堕落論」を読んでいた。

ここのところ、1日1冊は、新たな文学書に触れるようにしているのだけれど、
なんだか難しい世界だなぁ~と放り投げたくなる。

その一方、なにやら、このわけのわからない世界の向こう側に、
ぼくの脳みそを改造してくれる仕掛けがあるような予感がしている。

「なにかここにあるかもしれない」

そうした気配を察知することが、ぼくをずっとつくってきた。



大学生の頃、どうやら近くの大学生たちと同じ行動半径の中では、
ぼくは新しい世界に行けない気がした。

だから、大学教授と親と友人と同級生からの反対を受けて、
休学をして、都内のベンチャー企業で1年間修行をした。

そこはマッキンゼーという世界的なコンサルティングファーム(当時は「ファーム」という言葉がかっこよかった)出身の2人がつくったコンサルティング会社だった。

会長・社長・社員1人という体制。
千代田プラットフォームスクエアというシェアオフィスの一室で、何度寝泊まりを繰り返したことか。

そのときの1年間が今の僕の思考の土台をつくっている。

ぼくの土台は、コンサルタントの代名詞になっているロジカルシンキングというより、
とにかく頭の中で考えるんじゃなくて、
手を動かして考えろ、という「作業中心の思考」だ。

「知的ガテン系」という言葉を合い言葉に、
脳が筋肉痛になるほど、考えて考えて、考えることを要求された。
(といっても、大学生の自分が死にそうなくらい考えても、
 上司にとっては、数分の思考でクリアされる問題だった)

完全に放任主義で、毎日の期日までに、約束した成果物、期待されているものを超える成果物を創りだすのであれば、なにをしていても自由だった。

その頃、毎日のモヤモヤを吹き飛ばすように、
狂ったようにブログを書いていた。(もう削除しましたけれど・・・)



異質な世界から戻ってきたら、
もうそれまでの自分には戻れなかった。

知ってしまったら最後、もう以前の自分には戻れないというものがある。

それは少年少女から、大人になる脱皮でもあるし、
思考のタイプが、違うタイプに変わることでもある。
自分で自分に通過儀礼を与えていくことにもなる。

異質な世界。

ネットが広がり、まるで全ての世界が自分の知っている世界のように見えても、
「これはわたしの知っている世界ではない」という衝撃をどれだけ経験したか。

知識は溢れるほどもっていても、半径1mぐらいの中で生きている人もいるし、
カタカナ用語をほとんど知らなくても、半径2000kmぐらいで生きている人もいる。

ぼくはその異質な世界をとりにいきたいとずっと思っている。

お金は問題じゃない。無駄があることも問題じゃない。
ただ、自分の行動している半径の生活から飛び出したい。



そう「堕落論」を読んでふと想い、そのまま池袋のジュンク堂へ向かい
常にバッグに入れておくことができる「国語辞典」を買いにいった。

「集英社ポケット国語辞典」

机の上に、自宅と会社に「角川必携国語辞典」を置くようになったら、
僕の仕事がとてもはかどっただけではなく、スタッフの能力もあがった。

言葉は、思考力だと思っている。




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