イケダムネオ人生学習帳 -7ページ目

イケダムネオ人生学習帳

「ことばは感情を変え、行動を変える。行動が変われば習慣が変わり、人格が変わる。人格が変われば、集まる人が変わり、ひとの運命が変わる。」  日々の気づきを言霊に託し、変えてみせます。私の運命。

青色光がに網膜の黄斑部に悪い影響を与えるネット記事は検索するといくらでもででくるが、あまりにも眼鏡販売業者よりの記事ばかりであることが以下のブログで書いてある。

 

-青色光はled液晶から多く出でいるような書き方ばかりだが、青空(晴天時の青空からの光)のほうが数段多くの光を発している。

-青色光の定義はあるが、実際にLED液晶から発せられる450~460nm波長がほとんどなのに、その値での遮断率を記載していない。

(400mm前後の紫外線はほとんどないのに、その範囲も含めて、遮断率50%のような記載をしている。ほぼ、誇大広告の類。)

url:http://www.m-bsys.com/knowledge/pc-glasses_kwsk

 

このウェブを見てから、多くのレンズメーカーの青色光遮断率(反射するものを吸収するやり方があるみたい。)を見ると、青色光定義は380から500nミリで、その範囲での遮断率として定義しているものばかりで、ほとんど発してない範囲を含めて、遮断率を計算しているのであれば確かに誇大広告だし、このウェブ以外にはそのようなデータの記述がないものばかりである。

 

そうなると、眼鏡店のおやじのリコメンドになるか、メーカー提示の遮断率を丸のみするかしかなのだが。。。10年後に失明しても、そのレンズメーカーを訴えることなんぞできない。レンズメーカーがリコールして、商品回収するわけでもなし。悩ましい選択ではあるが。そうなるとブランドを信じて購入するしかない。

この手の比較したサイトがあればだれか教えてください。

 

 

 

 

前回のブログでは、尖ったジジイ宣言、私生活はタイトに行う、無駄無理を極力避けて、テーマを持って日々を過ごしていくこと、肝に銘じている矢先、一生付き合っていく病気に罹っていることが判明。

加齢性黄斑変性、加齢により網膜の中心部である黄斑に障害が生じ、欧米では成人の失明原因の第1位、日本で失明原因の第4位とのこと。

ものが歪んで見えたり、中心部がすっぽり抜けて見えるらしいが、自覚症状はまったくなく、3年前に発覚した白内障の進行度合いをチエックするための年に一度の眼底検査と網膜の拡大写真で判明した。

 

信頼できそうなウエブサイトよりのコピペによると;

 網膜はカメラのフィルムに相当し、外からの光が瞳(瞳孔)、レンズ(水晶体)や目の中央部(硝子体)を通り、網膜に当たり光を感じます。網膜で光が電気信号に変換され脳に伝えられ「見える」のです(図1)。黄斑とは網膜の中心にある直径1.5mm~2mm程度の小さな部分の名称で、黄斑の中心は中心窩と呼ばれ、見ているところ(固視点)からの光が当たる部位です(図2)。黄斑にはキサントフィルという色素が豊富にあるために黄色をしています。網膜色素上皮の下に老廃物(ドルーゼン)が蓄積してきます。それにより直接あるいは間接的に黄斑部が障害される病気が加齢黄斑変性です。 

 

 加齢黄斑変性には大きく分けると萎縮型と滲出型の2つの種類があります。萎縮型は網膜色素上皮が徐々に萎縮していき、網膜が障害され視力が徐々に低下していく病気です(図4)。

  萎縮型(ドライ型)についてはドルーゼンと呼ばれる眼底沈殿の老廃物が蓄積して、黄斑部が侵食される。

 

滲出型は異常な血管(脈絡膜新生血管)が脈絡膜から網膜色素上皮の下あるいは網膜と網膜色素上皮の間に侵入して網膜が障害される病気です(図5)。異常な血管は正常の血管と異なり血液の成分を漏出させたり、血管が破れたりします。血液成分が漏出すると網膜が腫れたり(網膜浮腫)、網膜下に液体が溜まります(網膜下液)。そのために網膜が正しく働かなくなり視力が低下します。血管が破れると出血となり網膜を障害します。

(引用:)http://www.nichigan.or.jp/public/disease/momaku_karei.jsp

 

 

 

 

とのことで、ベトナム診断医は、どちらの型か、進行度合はどうなのかとの問いについては、答えなしで、この国の眼科医療レベルが

垣間見えたのだが、いずれしろ、日本において再度、検査を受けないといけない状況になっている。

 

とは言っても、自覚症状もなく、「はあ?そうですか。」といった心持である。

グーぐって見ると;

-青色光は黄斑部色素を破壊する。(pc、スマホの表示装置より)

-黄斑部色素を構成する、ルテインとゼアキサンチンの摂取により、萎縮型(ドライ型)の変性を抑制することができる。

らしい。

-萎縮型については完治はしない。

 

日本では機能性食品でルテインとゼアキサンチン含有のものが発売されているみたいで、ベトナムでも中国製が販売されているが、さすがに中国製を試す度胸はなく、当面は野菜果物摂取でどうにかならないかと思案している。

 

今後付き合っていく病気の変遷は、このブログに記録していきたい。

 

 

 

 

 

 

 

あと数日で、60歳。赤いちゃんちゃんこを着て、不気味な笑顔を浮かべたおっさんと同い年になるわけだ。あれほど達観したとうか、痴呆をさらけ出して写真を撮られるほど、寛大であればよいのだか、いまだに、自分より30歳以上若い連中と球けりして、軽くあしらわれると、必死に追いかけて、けつまずき、数か所に擦り傷を作ってくる59歳には、あの寛大さは、信じがたい。還暦とは、生誕時に戻るので、赤ん坊と同じ格好をするらしいが、確かに痴呆=無邪気=イノセントと解釈できなくもないが、齢60の、清濁併せ飲んできたなおっさんにはイノセントはないだろうから、赤いちゃんちゃんこは醜悪以外何者でもないのだ。女性の60歳もちゃんちゃんこを着るのかな?

 

齢を重ねてきたと実感し、最近分かりかけたことは、体の動きを伴った思考を重ねた行為こそが、生きる上で一番意味あることではないのかと感じている。還暦まじかのおっさんが論評するのは大変申し訳ないのだ、あのアムロのダンスをハワイで見たときに、理屈ではなく、鍛錬の中でしか生まれない美しさに感激し、偉大なアーテイストが40歳で引退するは、やはり自分しかわからない限界をたぶん感じたのだろう。おっさんの下世話な推測だが、アムロは次は自身の肉体を操り、美を作り出すクラシックバレーを始めるのではないかと思っている。

肉体で思考することが分かっている人間の次のステージを是非見たいと思っている。

 

対象を認識し、それに対して対峙し、手足、触感、匂い、味わいを全開にし、自身を研ぎ澄まし、作り出していく作業こそが、生きている証であるのではないかと思う。小説家や映画監督に憧れた時期もあるが、思念するだけの作業よりも肉体を伴う作業、その思考が生きるための思想になると思うわけだ。

音楽家は死ぬ間際まで、ギターをつまびき、サッカー選手はリフテイングをしながら死にたいと望むだろう。それはある種の悦楽であると体が反応するので、球けりは死ぬまでやめられないである。球けりはたぶんあと5年はできるだろうが,その先に何をやるか?できればそれをやりながら、死ねれば本望だろう。アドレナリン全開なら痛みも感じず、逝けるしね。 ただ、それをやるにはたるんだ肉体ではだめで、5感を研ぎ澄ます日々がある。

 

高校の同級生が脳梗塞で死んだ。同じサッカー部で、当時はつるんでいたが、やたら自己顕示欲だけは強く、チームプレイを理解しなく、ゴール前に陣取るだけで、まとなシュートを打てないし、トラップの基礎さえできない雑駁で最悪な輩だったが、訃報を聞いたその夜には、献杯をする心持になったのは、やはり齢のせいかと思いつつ、はて自分には唯一無二の友達は何人いるのかと、中学時代1名、高校時代1名、大学時代2名、社会人3名もいて、あと無二の彼ら、彼女らと共有できる時間がいかほどかと,思いを巡らせた。

 

はあ~

尖ったジジイになるしかないな。