イケダムネオ人生学習帳

イケダムネオ人生学習帳

「ことばは感情を変え、行動を変える。行動が変われば習慣が変わり、人格が変わる。人格が変われば、集まる人が変わり、ひとの運命が変わる。」  日々の気づきを言霊に託し、変えてみせます。私の運命。

この数年、まったく更新しておりません。すんません。時折、思い起すことがあり、その都度自分はその当時何を危惧して、何を守ろうとしていたのかがブログに書き留めてあります。

子供に、十全な環境を用意してあげたいのが、いつの時代でも願うことですが、仮にできてなくても子供が安心して過ごせる場所があればそれだけ素晴らしいことです。

 

 

カンヌ映画祭で4部門での最優秀を受賞したロードムビーの類かと思い、一年前のイージーライダー以来の映画館での鑑賞。

村上春樹の世界観は今一つ好きになれない。間違いを承知で言えば、ウッデイアレンとダイアンキートンが醸し出すうそくさい世界、白い陶磁器がはかなく割れていくことに、人生を感じてしまうような薄っぺらな世界観のような気がしていて、読んだことがない。あまりにも嘘くさいと途中退場もありかと、思いきや、3時間の長尺を感じさせない、作品だった。

 

夫婦、男女間で相手のすべてを理解することで、相手のすべてを受け入れることができればそれはそれで幸せであろうが、まず現実では

そんなことはあり得ない。この主人公の夫婦も子供の死を乗り越えて、最高のパートナーとして20年間連れ添ってきたが、相手の奥底をお互いに見たいのだけけれども、見ることで、いままでの関係性を断絶させる怖さがあり、そこは見ない。見たくない。

それを夫婦円満の秘訣となるか、逃げているのかは本人次第。相手が浮気をしていても、それはそれで許してしまう、浮気を問い詰めてしますと相手の暗い奥底を嫌がおうにも覗いてしまう。。。

 

女房役の霧島れいかが秀逸で、騎乗位のセックスの場面でのよがりながら、夫婦のすれ違いの違和感をため込んだは表情は素晴らしい。

あと、岡田何某かの前世がヤツメウナギの彼女の話を語りながら、相手の暗い奥底を覗くのではなく、自分の奥底にある暗闇を見つめていくことでしか、相手とは通底しえないと結論づけることに、妙に納得してしまう自分がいた。

 

喪失からの再生の物語とのキャッチフレーズが散見されるが、大なり小なり、長く生きていれば何かを喪失してるわけで、それを感じてない

年齢の人間には響かない映画でしょうね。

 

あと、パクユリム演じるソーニャの手話でのワーニャ伯父さん劇中での最後の演技が素晴らしい。

 

<ソーニャのセリフより>

でも、仕方がないわ、生きていかなければ!(間)ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長いはてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてそのときが来たら、素直に死んでいきましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなに辛い一生を送って来たか、それを残らず申し上げましょうね。すると神様は、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るいすばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあ嬉しい!と思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち――ほっと息がつけるんだわ。わたし、ほんとにそう思うの、伯父さん。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの……。ほっと息がつけるんだわ。

ほっと息がつけるんだわ!その時、私たちの耳には、神様の御使たちの声がひびいて、空一面きらきらしたダイヤモンドでいっぱいになる。そして、私たちの見ている前で、この世の中の悪いものがみんな、私たちの悩みも、苦しみも、残らずみんな――世界中に満ちひろがる神様の大きなお慈悲の中に、呑みこまれてしまうの。そこでやっと、私たちの生活は、まるでお母さまがやさしく撫でてくださるような、静かなうっとりするような、ほんとに楽しいものになるのだわ。私そう思うの、どうしてもそう思うの……。
お気の毒なワーニャ伯父さん、いけないわ、泣いていらっしゃるのね。あなたは一生涯、嬉しいことも楽しいことも、ついぞ知らずにいらしたのねえ。でも、ワーニャ伯父さん、もう暫くの辛抱よ。……やがて、息がつけるんだわ。……ほっと息がつけるんだわ!

ほっと息がつけるんだわ。

新潮文庫 平成十三年四月十五日四十三刷 訳者・神西清

 

 

深夜食堂 中国版のテーマソングにも同じニュアンスのことばがある。

生如夏花 (Life like a summer flower)

夏の花の如く艶やかに生き、秋の枯葉の如く穏かに終りを迎えよ (夏の花の如く艶やかに生き、秋の枯葉の如く穏かに終りを迎えよ)

 

こういう映画を存続していくためにも

映画館に通いましょう。皆さん。

 

 

 

 

 

 

■ロシアのウクライナ侵略

中東シリアやアフガニスタンでの戦争では、正直、はるかかなたのこととしてしか実感しえなかったが、今回はなぜか、この戦争を間接的ではあるが、心に刺さってくる。 2022年2月24日にロシアが侵略を始めて以来、気持ちがざわついている。すこしは自身に良心というものがあるのか、イギリスでのカップ戦決勝を行うチェルシーのトーマス・トゥヘル監督の発言が、今の気持ちに近い。

 

「この試合が気晴らしになるのは明らかだが、それでも戦争があまりに近く、身に新しい出来事なので、日曜日には少しばかり良心が痛むかもしれない」

「例えば私たちは完璧に集中し、完璧に祝うことが許されるのだろうか? それとも不謹慎だろうか? これはとても新しく、新鮮なことだからそう感じるんだ。複雑な気分だね」

 トゥヘルはまた、クラブに対する批判的な声をモチベーションにするという考え方も否定した。

「自分自身やチーム、スタッフを守り、外部からの影響や不公平感から身を守るために強い仲間を作り、このようなメンタリティーを構築するのだ」

「言いたいことはわかるが、よく考えてみれば戦争がある状況でサッカーの試合に負けたとして、それが今どう役に立つのだろうか。これは単に重要度が低いだけで、残念ながら何の役にも立たないだろう。もしそうなるなら私は試合に負けても構わないと思っている」

 

 

戦争が引き起こす悲惨な現実の前には、日々のささやかな出来事、勝ち負けなど取るにたらないものだということが、すこしは良心がある人間は感じているのではないか。自身にできることは何か? ウクライナの国旗を掲げて戦争反対を叫ぶよりは、より現実的に今後のウクライナを支援する活動、例えば募金することなどしかないのではないか?

日本の立ち位置を考えた場合にでも、決して他人事ではない事態を、すこしながらでも、自らの痛みとして感じて共有すべきだろう。

 

追伸

はげの元東京都知事や宇宙人元総理の能天気でかつ高見の見物コメントにはへどがでるが、冷静かつ冷徹に分析する佐藤優氏のコメントは的を得ている。トランプのデイール能力が今は必要だ。学者風情やお坊ちゃま総理なんかは、緊急時には何の役にも立たない。

 

以下、yahooニューズより抜粋 (佐藤優氏のコメント)

バイデン大統領の弱点は、民主主義国が団結すれば全体主義に勝つものと思っていることです。世界がイデオロギーでは動かないことが、わかっていません。さらに、ソ連崩壊後の混乱で砂糖や石鹸の入手にさえ苦労した耐乏生活を経験しているロシア人が、経済制裁に屈しない人たちだということも、バイデン大統領はわかっていないのです。  アメリカ政府で国際情勢を分析する専門家のレベルが、基準に達していない。  そのことは、昨年夏のアフガニスタンからの米軍撤退を見れば明らかでした。21年7月、バイデン大統領は「(反政府組織タリバンが全土を制圧する可能性は)ありえない」としていましたが、8月にタリバンは全土を掌握。ガニ政権の正規軍は30万人もいたのに、わずか7万のタリバンにまったく歯が立たないことを、事前に読めていませんでした。アメリカ型の正義がいつも勝つわけではないという半年前の失敗から、何も学んでいないのです。  アメリカがウクライナへ軍を送らないのは、国内での賛同が得られないからです。プーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせました。第3次世界大戦のリスクがある介入をアメリカは絶対にしないとプーチン大統領が確信しているからです。バイデン大統領があまりに早くから軍事的な手段をとらないと表明してしまったため、プーチン大統領が勢いづいたのです。  バイデン大統領はロシアに対して、経済制裁くらいしか切るカードがありません。プーチン大統領は、2~3年後に結局はEU諸国が、ロシアの変更した現状を追認せざるを得なくなり、10年後にはアメリカもそれに倣うことになると考えているのでしょう。 ■トランプが再び大統領になる日  アメリカは、ロシアの暴力性を軽視したのです。ある程度の圧力をかけ、インテリジェンス情報の異例の公開だと言ってロシア軍の動きをオープンにすれば怖がるだろうと思ったのに、ロシアは怯みませんでした。またも大きな読み違えです。  私が問題だと思っているのは、アメリカのブリンケン国務長官が、2月24日に予定していたロシアのラブロフ外相との会談をキャンセルしたことです。  会談の実施は、ロシアが侵攻しないことが前提条件だったためです。ブリンケン長官は「いまや侵攻が始まり、ロシアが外交を拒絶することを明確にした。会談を実施する意味はない」と述べたそうですが、この判断は感情的すぎます。アメリカは軍事介入するつもりがないのですから、ロシアと交渉するしか手段がないのです。  外交では、相手が間違っているときや、関係が悪化したときこそ、積極的に会う努力をしなければいけません。ウクライナにおける戦闘の拡大を防ぐために、ブリンケン国務長官はいまからでもラブロフ外相と会談して、解決策を探るべきです。  ただでさえ支持率が低迷するバイデン政権ですが、ウクライナ情勢がこのまま混迷を続ければ、11月の中間選挙や2年後の大統領選挙に影響を及ぼすことは必至です。再びトランプ氏が大統領になることもあり得るのです。