本日は書籍紹介をいたします。
今回取り上げるのはこちら、
『岩波講座哲学3 言語/思考の哲学』岩波書店、2009年
19世紀末から20世紀初頭にかけて起こったいわゆる「言語論的展開」は、哲学の様相を大きく変えてしまうほどのインパクトを持つ出来事となりましたが、とりわけ言語をめぐって生じた哲学の刷新は、現状ではどのような地点にまで至っているのか、ということについて編まれた岩波講座の一書です。
個人による単著ではなく、多くの論者が参加する論文集となっています。
分析哲学とも呼ばれる言語についての精緻な哲学は、現在の特に英語圏の哲学の主流をなしており、その専門化はかなり高度なものになっているそうです。
記号論理学は普通に駆使されますし、正直申し上げて私ごとき素人では太刀打ちできない内容も半分ほどありました。
ただ、噛み砕くかのように説明してくれている論文もありますし、言語というのはやはり、専門的なテーマであるにとどまらず、私たち普通の人間の日常生活を形作る基本的な要素であり、それについてどういったことが考えられているのかという主題は総じて興味深いものです。
たとえば、レトリックという文章を修飾するための技術は、哲学のテーマとしてはいささか低く見られるというか、哲学的に論ずるに値しないものと考えられてきた節がありますが、現代の水準の言語哲学ではむしろ関心をかき立てられる問題ともなっているようで、レトリックがどのように機能するかという問いなんかは、文学に興味がある人が読んでも面白いものじゃないかと感じました。
言語起源論というのも、古典的な問題のように見えますが、結構活況を呈している議論なのだそうで、言語がどのように生じてきたかなんていうのは世界の謎の中でも第一級のひとつ、そこを解説してくれる話も面白いものがありました。
少し引用します。
「われわれの言語はひどく複雑だ。にもかかわらず、通常は苦もなく学ばれる。そしてその働きは、コミュニケーションの道具であるということに尽きない。われわれは、あれやこれやを言語で考える。つまり言語はわれわれにとって、思考の道具、あるいはむしろ素材でもある。だから、われわれは問わざるをえない。かくも比類のない言語というシステムは、いったいいつごろどのようにして生まれ、そして育っていったのだろうか、と。
この問いに答えようとすることは、地球上に言語が形成されていった太古の過程について、我々が手にしうるさまざまな知的資源と整合する何らかの仮説を作り上げるということにほかならず、その意味ではむろん、とうぶん推測の域を出るものではない。だが、推測の範囲を徐々に絞り込んでいくことはできるはずだ。では、その絞り込みは、今どこまで進んでいるのだろうか。
おそらく、現時点における研究の一応の準拠枠とでも言うべきものを形成する指針的な仮説として、次の⑴~⑶をあげることができる。これらは、ダーウィン以後の生物観・人間観と言語についての常識的理解から導かれるごく素直な仮説であり、ここから逸脱するような主張は、すくなくとも、かなり突飛なものに見える。
⑴ 言語は、自然選択(natural selection=自然淘汰)がもたらした生物学的適応の一例で
ある。
⑵ 言語は漸進的に進化した。
⑶ 言語はコミュニケーションの道具として誕生し、そして進化してきた。
さらに、言語能力というわれわれの心の働きを自然現象として説明したり、言語をもつわれわれヒト(homo sapiens, ないし分類によってはhomo sapiens sapiens)と言語をもたない他の生物における思考ないし情報処理を統一的な観点から把握したりする際に、しばしば次の⑷が利用される。
⑷ 一般に生物は内的表象(inner representation)のシステムをもっている」
(115-116頁)
本書の末尾には読書案内も載せられていて、ウィトゲンシュタインだとかラッセルだとか、この分野での古典とされる著作、論文が紹介されているのもありがたいところです。
ただ、言語というのはまずは日本語や英語といった自然言語があるものですし、一見抽象的に純粋化されている理論であっても、英語には当てはまるのに日本語には妥当しないなんてこともしばしばあるようで、そもそも言語について理論的に考えるとはいかなることか、ということも思ってしまいますね。
ともあれ言葉というわれわれが普通に使っている道具が、どれほどの不思議に満ちているかということに思いを致す読書でした。