書籍紹介:『負債論――貨幣と暴力の5000年』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回取り上げるのはこちら、

デヴィッド・グレーバー『負債論――貨幣と暴力の5000年』酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳、以文社、2016年

 



大部の書物であるにもかかわらず、出版してすぐに欧米圏でベストセラーになったという作品の邦訳です。

筆者は人類学者であると同時に、2007年末からのアメリカ金融危機に端を発したウォールストリート占拠運動の中心ともなったグローバル活動家、という横顔も持ち合わせており、本書にもそういったアクチュアルな関心は正面から読み取ることができます。

 

さて、『負債論』と名付けられた本書のテーマは、人が他人に何かを負っているという感覚が、いかにして「負債」という用語に示されるように経済化され、計量可能なものになるかということであり、そういった魔術的な転換によって貨幣と資本主義が駆動してきた有様を、世界史5000年を通じて辿ってみせることです。

なるほどそう言われてみると、他者に何か恩義があるという負い目の感覚、それゆえに負ったものを返さねばならないという義務の感覚は、現代の我々にとっては、容易に経済的な言語で表象可能なものですが、似て非なるものであり、この両者の間の裂け目に架橋することが、世界経済史の重要な営みだったということが、驚くほど豊富な歴史的・人類学的事例とともに論じられていきます。

 

ひとつのポイントとなるのは、アダム・スミス以来の貨幣の発生神話の解体です。

標準的な経済学の教科書では、貨幣のない物々交換の社会において人が必要なものを手に入れるためには、まずそれを持っている相手を探し、しかも交換のために相手が自分の手持ちのものを欲しがるという、いわゆる「欲望の二重の一致」が成立しなければならないと説明されます。

それがあまりに煩雑なので、媒介手段としての貨幣が導入されることになる、というストーリーなわけですが、グレーバーはそのような素朴で仮想的な物々交換を行なっている社会など、人類学史上報告されたことがない、すなわちそれは経済学の神話なのだと喝破します。

 

では人類はどのようにしてお互いに必要なものを入手していたのかというと、ツケですね。

小さな共同体ではお互いがお互いにどのような貸し借りがあるかを把握し、信用によって経済は回っていたのだろうとグレーバーは説きます。

そこには既に、人間的な信用が経済的な信用へと転化する萌芽のようなものが含まれ、微妙な均衡の上に社会生活と経済生活が一体化しているわけですが、貸し借りはそれだけで計算されるようなものでなく、人間関係そのものの創出と維持に密接にかかわるものでした。

これを劇的に変えてしまい、人間を数量化可能な対象と化してしまうことになるのが鋳貨の登場であり、そしてそのような貨幣の登場には想像を絶する暴力の歴史が伴っていた、というのが本書のサブタイトルの意味するところです。

少し引用します。

 

「このような計算可能性にひとはいかにしていたりつくのか? 人びとを同一であるかのように扱うことができるようになるのはいかにしてか? レレ族の事例がヒントを与えてくれる。ある人間を交換の対象にする、たとえばある女性をべつの女性と交換するためには、なによりもまず、彼女を彼女が存在する文脈から剥奪することが必要である。つまり彼女をその彼女たらしめている諸関係の網の目――それによって、その女性そのものにほかならぬ関係性のかけがえのない交錯が生まれる――から剝ぎ取り、そうして彼女を足したり引いたりすることが可能な一般的価値に転化させ、負債を測定する手段として利用することである。このことは一定の暴力を必要とする。ある女性をクラムウッドの棒一本の等価物にするためには、よりいっそうの暴力が必要となる。その女性をじぶん自身の文脈から完全に剥奪し、奴隷にしてしまうには、継続的で組織だった大量の暴力が必要なのである」

(241-242頁)

 

ここでの「暴力」とは比喩ではなく、世界史を貫通してきた具体的な暴力の発動を指しているわけであり、その詳細については本書に直接あたっていただくしかありませんが、その暴力を不可視化しておくことが「自由」という建前をとった市場経済にとって死活問題であり続けているという指摘は、本書の重要な論点のひとつです。

 

また非常に興味深く読めた理由として、資本主義や市場経済に対するオルタナティブがありうるとすればどういったものか、という想像力をくすぐる問いを、本書が常に発し続けていることが挙げられるのではないかと思います。

自由に商品をやり取りする自由主義経済、という現代社会の自明の前提に正面から切り込む、とても面白い本でした。