書籍紹介:『阿片王――満州の夜と霧』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

奈良の石屋〜池渕石材のブログ

奈良県奈良市とその近郊を中心に、墓石販売、石碑彫刻、霊園・墓地紹介を行なっております、池渕石材のブログです。
どうかよろしくお願いします。

本日は書籍紹介をいたします。

今回取り上げるのはこちら、

佐野眞一『阿片王――満州の夜と霧』新潮文庫、2008年

 

 

 

 

戦時中の日本軍が中国大陸で阿片を大々的に扱い、財源としていたことはよく知られていますが、本書は宏済善堂という会社のトップとして阿片販売の総元締めの立場にあった阿片王・里見甫(さとみはじめ)の評伝です。

 

里見は新聞記者としてそのキャリアを出発させて頭角を現わし、やがて満州国の通信事業を一手に管轄する満州国通信社の主幹となり、さらに上海を中心に日本が関わる麻薬売買を取り仕切るようになっていきます。

満州国を作りだしたのは言うまでもなく関東軍、その中心には石原莞爾や板垣征四郎がおり、また表の実務については岸信介に代表されるようなエリート官僚が支えていたことはよく知られていますが、さらにその背後の闇に沈んだ領域には里見のような人物がいて、甘粕正彦などとともに日本の大陸支配のブラックな部分を担っていたということが、克明に描き出されます。

 

また、満州国通信社を設立するにあたり、当時通信事業にも携わっていた電通と、競合相手だった日本新聞聯合社の通信網とが統合され、やがて電通が広告専業の会社になるきっかけとなった、といったエピソードが語られるところも面白く、満州国というものの現代日本への影響の深さが思い知らされます。

ともあれ、さわりのような箇所を少し引用します。

 

「京都大学人文科学研究所の山室信一は、満州国を頭が獅子、胴が羊、尾が龍という、伝説中の怪物キメラに例えた。獅子は関東軍、羊は天皇制国家、龍は中国皇帝および近代中国がそれぞれ含意されている。山室は、満州は日本近代史のなかで、疑似亡命空間、唯一のアジールではなかったか、とも述べている。

 そうした複雑怪奇な側面をもつ満州は、光と影が激しく交錯する人造国家だった。その国家の獅子頭となった関東軍と満州の関係について、〔中略〕古海忠之(元満州国総務庁次長)は、かつて「満州国は、関東軍の機密費づくりの巨大な装置だった」と語っている。

 関東軍の機密費の基本的な資金源となったのはアヘンだった。そして、満州国のメディア統合を図って関東軍の絶大な信頼を勝ちとり、やがて、もう一つのメディアともいうべきアヘンを思うがままに扱って「阿片王」とまで呼ばれることになった里見甫こそ、満州の闇の部分を全身で吸収し、「魔都」上海にアヘンという毒の華を咲かせた男だった」

(131-132頁)

 

ところでもうひとつ興味深いのが、里見をめぐる人間模様です。

実は本書は、里見自身の生涯と事績については本文の半分強ほどでほとんど語り終えていて、残りは里見の周囲の人物についての掘り下げにあてられています。

とりわけ、里見はアヘンの運び屋として男装の女性を使っていたのですが、この女性を取り巻く人間関係が信じられないほど複雑かつ謎に満ちていて、事実は小説より奇なりなどという陳腐な文句では表現しきれないほどのものがあります。

昭和戦前という時代、そして満州という土地が、どれほどすさまじい人間悲喜劇の舞台になっていたか、里見のように歴史に名前を残した人物でなくとも、一編の物語の主題たりうる人物がどれほどひしめいていたか、想像できようというものです。

 

なお、本書はほんの十数年前に書かれたものですが、ジェンダー観、セクシュアリティ観などについて、現代からは看過しえないような表現もいくらか使用されていますので、その点についてはご留意を促しておきます。

その点さえ除けば、戦争を背景とした大いなる群像劇として、歴史の深淵を覗くような気分にさせられる読書でした。