書籍紹介:『ひとびとの精神史 第4巻 東京オリンピック――1960年代』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回取り上げるのはこちら、

苅谷剛彦編『ひとびとの精神史 第4巻 東京オリンピック――1960年代』岩波書店、2015年

 

 

 

 

対象となる年代に活躍した人物を通して、その時代の日本人はどういったことを感じ、考えようとしていたのかを解き明かそうとするシリーズで、本書が取り上げるのは1960年代となります。

 

サブタイトルには「東京オリンピック」と入っていますが、必ずしも東京オリンピックに関わる事柄ばかりが主題になっているということではありません。

むしろ東京オリンピックという出来事は、1960年代について考えるためのあくまで取っ掛かりに過ぎず、本書は非常に多彩な人物に焦点が合わせられます。

その一部を列挙するだけでも、「マンガの神様」とされる手塚治虫、胎児性水俣病を「発見」して生涯にわたって水俣病問題に取り組んだ医師・原田正純、「イエスの方舟」を主宰し、日本の伝統的家族像とは異なった共同体を模索した千石剛賢、普通の市民の目線にこだわってベトナムの戦場で写真を撮り続けたフォト・ジャーナリストの岡村昭彦など、多士済々と言うべき人々が本書の議論の対象になっています。

 

一読して感じるのは、1960年代というのは、戦後とはいえ完全に歴史的対象となってしまった過ぎ去った時代なのだな、という印象であると同時に、それとまったく矛盾することなのですが、戦争の問題にしろ公害の問題にしろ、この時代に問われたことは日本の高度成長期といった一時代のみに特有の問題なのではなく、今もなお問われ続けるべき事柄ばかりだということです。

高度成長というのは、ある意味で現代の基礎となる社会構造を作り上げていく時期だったわけですから、そのような印象も当然といえば当然なのかもしれませんが。

その意味で、水俣病と向き合い続けてきた原田正純さんの言葉は実に重みを持っていると思えます。

少し引用します。

 

「「水俣病が起こったときに、患者たちは貧困と差別の中で、ほんとに苦しんでいた。僕は水俣病が起こったから差別を受けたと思った。ところが、世界を歩いてみて、違うと分かった。差別のあるところに、そういう公害が押しつけられる。つまり、一つの社会が抱える負の部分は、一番弱いところに押しつけられるんです。日本が高度成長するときに、マイナス部分を、漁村や農村に押しつけた。東京じゃ起こらんわけですから。地方の人に押しつけるんだなと分かった。公害は一番弱い立場の所に集中するわけです。世界を歩いて、その構造がはっきり見えてきた。カナダでは先住民でしょ。ブラジルでも、ガリンペイロ〔採掘労働者〕とか漁民とか貧困層ですよ。公害は技術だけの問題じゃない。むしろシステムの中の差別の構造そのものが変わらない限り、弱者にしわ寄せがいく。国際的にも、弱い国に押しつける構造になっていく」。

 2011年3月11日の東日本大震災と、それに続く福島第一原発の事故。文明や科学技術への過信が招いた大惨事を地方が背負わされる構図が水俣とダブる。二つの惨禍をどう見て、我々は何を教訓をすべきなのか。その答えを求めて、震災直後から、原田さんへの取材が増えていた」

(132-133頁)

 

歴史を学ぶということは、過去を学ぶだけでなく現在についても学ぶことだという、教科書のような事例ですね。

高度成長とは何だったのか、といったことも考えてしまいます。

 

「ひとびとの精神史」というこのシリーズ、別の年代を対象にしたものについても、少しページを繰ってみたことがあるのですが、非常に面白い論考が多いです。

他の巻も読み進めたくなりました。