書籍紹介:『増補版 13歳の関東軍兵士――ヤポンスキー・マーリンキ・ソルダートの日々』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回はこちら、

山岸重治『増補版 13歳の関東軍兵士――ヤポンスキー・マーリンキ・ソルダートの日々』川辺書林、1997年/2012年

 

 

 

ソ連進攻後の満州で、小学校を卒業したばかりの当時13歳だった筆者が体験することになった出来事、引き揚げまでの日々について記された手記です。

 

満州国崩壊の時期についての本など読みますと、ほとんどの青年・壮年男性は根こそぎ動員で軍隊にとられていたという事情もありますが、ソ連の攻撃による大混乱のまっただ中に立たされたのは、やはり女性や子供、高齢者が多かったということがわかります。

 

本書の筆者は小学校を卒業してすぐ、燃料について研究する関東軍の一部署に入ったということで、軍人というよりは軍属に該当する立場だったのかと思われますが、いかに戦争末期とはいえ、年端もいかない少年が軍組織で勤務するというところからしてまず尋常ではありません。

その後ソ連の進攻を受け、筆者は収容所生活からシベリア送りになる寸前というところを逃れ、ソ連撤退後は国共内戦を間近に眺めつつ、八路軍への入隊を勧誘されたりするなど、激変する状況に翻弄されつつ、なんとか引き揚げ、帰国を果たします。

数奇とも形容できるその日々は起伏に富み、物語としても非常に面白く、読み応えがあります。

 

副題にある「ヤポンスキー・マーリンキ・ソルダート」というのはロシア語で「日本人の少年兵」という程度の意味だそうですね。

ソ連軍の収容所に入っている時にイワノフというソ連兵からつけられた呼び名であり、このソ連兵との交流の様子などは心にしみるものもあります。

また、軍国教育で育てられた少年が、短期間のうちにソ連軍、中国共産党の八路軍、国民党軍とさまざまな軍隊を目の当たりにすることになり、日本軍との比較を行なっている記述など、なかなか興味深いところです。

 

「日本の軍隊から始まり、ソ連軍の収容所では、ロシア兵や蒙古兵その他の人種の兵隊と、中国の内戦中には八路軍と中央軍などいくつかの軍隊に接して来た。幼い目での狭い視野と短期間の経験ではあったが、日本の軍隊との大きな違いを実感させられる場面が少なくなかった。

 これまでにも何度か書いて来たが、特徴的にいえることは、他国の軍隊では部下を殴るとかリンチめいた行為は見られなかった。当時の軍隊で私達だけが特殊な例ではなかったと思うが、あのような形でしか統率を保てなかったとすれば、誠に哀れな軍隊である。命をかけた戦争をするには、人間的な繫がりが何より必要であることを内線を通じて実感した。

 日本の軍隊は、いわゆる単一民族的国家意識が強く、同じ軍隊内でも朝鮮族の人達を公然と差別し、協力関係にあった満州国軍や蒙古軍に対しても優越的な態度で臨んで人間的な融和性に乏しかった。その点、他の国の軍隊では違う民族同士が違和感もなく和気藹々とつき合っていた。少なくとも表面的にはそう見えた。

 そのことは、敗戦国民として厳しく管理されていた時も、個人的な対応においては随分と救いになったのが印象的だった。国家体制の違いとはいえ、幼い者の目にも日本人の狭量性を痛感せざるを得なかったのである」

(324-325頁)

 

一概に結論づけられないのは無論であるとしても、軍隊の性質の背景として、単一民族国家という幻想と多民族国家である現実という両者に由来する感覚の差異を挙げるというのは、鋭い指摘なのではないかと感じました。

 

さて筆者は、無事の帰国を果たしてから就職するに際して、関東軍の軍属だった経歴を書類に記入するわけですが、そんな年齢で軍隊に入るなどありえないと言われ、経歴詐称の汚名を着せられたことがあったそうです。

最終的にきちんと経歴を証明することはできたとのことですが、国家の無茶なやり方のツケを戦後になって個人が払わされるというのは、理不尽という他ありません。

 

これでは少年兵、少年軍属という存在が歴史から抹殺されてしまう、という危機感が本書執筆の動機になったと記されていますが、歴史を記録し記憶するというのはつねに修正主義との戦いである、とそんなことも考えさせられる読書でした。