書籍紹介:『子どもの中世史』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回取り上げるのはこちら、

斉藤研一『子どもの中世史』吉川弘文館、2012年

 


日本における中世とは、平安から戦国・安土桃山までの非常に長い期間を含む時代区分ですが、本書は中世に生きた子供の諸様相をテーマとした一冊です。

 

子供というと、自ら史料を書き残しているようなことはまずありえませんし、近代以前は歴史資料の中で言及される機会そのものが希薄なわけで、重要でありながら論ずることの難しい対象の代表格と言えるかもしれません。

そのため本書も、文書資料のみならず、絵画・図像史料を大いに利用しており、図版として収録されている点数も多く、その辺がひとつの特徴となっていると同時に、やはり豊富な図とともに議論が展開されると、より引き込まれるなあ、などと思ったりするわけです。

 

子供に対する捉え方というのは、ついつい現代の視線を過去にも敷衍してしまいがちですが、間違いなくそれぞれの時代の社会に応じた子供観というのがあったはずで、子供の生活実態や日常を解き明かすというよりは、中世社会が子供をどのような存在とみなしていたか、という点が本書の最大の焦点になります。

 

議論されるテーマは多様で、御守りについて論じた章では、中世においても子供がいかに気にかけられ大切にされていたかという側面が扱われますし、逆に労働力としての子供の人身売買や子供殺しを扱った箇所もあります。

胎児などは薬の材料とされていた可能性もあるということですから、なんとも目をふさぎたくなるような話ではありますが、生命力そのものを体現するような子供の神秘的な存在というのは、現代とは違った意味である種の畏怖とともに眺められていたようです。

 

また、社会単位としての家族が重要なものになるにつれ、子供もまたその後継者という位置づけで重要性を帯びるようになってくるわけですが、その裏腹として、子供を産まない/産めない女性、「石女(うまずめ)」という観念が明確化していき、石女地獄などという地獄が案出されることになったという指摘は、子供史を媒介に女性史、社会史、宗教史までをつなぐ視点として非常に関心を惹かれました。

少し引用します。

 

「あらためて確認するが、石女地獄は、子どもを産まなかった女性が堕ちる地獄である。つまり石女地獄は、子どもを産まなかったことが罪業と見なされる社会の中から生まれた地獄なのである。石女地獄を誕生させた社会は、女性に対して子供を産むことを強く求めた社会であったと言える。

 石女地獄の具現化は、およそ十六世紀の中世末期の社会の中で、血の池地獄や賽の河原の地獄が成立してきた状況と連動した現象であったと考えられる。血の池地獄にしても、石女地獄にしても、いわば女性専用の地獄である。〈女性史〉の立場からすれば、なぜこの時期に、こうした女性専用の地獄が相次いでクローズ・アップされてきたのかという問題は、今後さらに検討されていかなければならない。

 また一方で、〈子ども史〉という視点から石女地獄誕生の社会背景について考えるならば、それは黒田日出男氏が指摘するように、家父長制に基づいた小家族的な「家」の継承者として、これまでになく子どもの存在が重要視されるようになったことがあげられよう。さらには、堕地獄必定の地獄観の広まりと十王信仰の浸透をふまえ、追善供養の担い手としての子どもの存在が、ますます重要視されるようになったことにもよろう。

 石女地獄の誕生は、こうした子どもに対する関心の深まりという〈子ども観〉の変容とも、大いに関連する現象であったと位置づけることができるのである」

(213-214頁)

 

子供を産まないと地獄行き、などというのは今でも反動的な議員の失言としていかにも出てきそうな発想ではありますが、こういった思考がどのように定着していったか、またその背後でどういった社会的地盤の変化が進行していたかは、それこそ歴史的に問われなければならないことだろうなと思います。

 

今自分が生きている規範や物の見方から自由になるのは、これほど難しいこともないわけですが、とりわけ子供というテーマになると、現代的な価値観があまりに重いわけです。

だからこそ、虚心に史料に向かうことが大事なのだろうと、教えられた次第です。