本日2回目の更新です。

 

今日は西梅田のハービスプラザENT1階にあるイタリア料理店リストランテ ル・ミディひらまつで開催された宝塚歌劇団 もと雪組トップスター平みちさんの50周年コンサートを拝見しました。

 

私は初めて入店しました。

とっても素敵なお店で、テンションアップ!

 

上のサイトをご覧いただくとわかるのですが、装飾的な階段がありまして、そちらに向かって右側にピアノが置かれていましたよ。

 

まずは美味しいお料理をいただいた後、モサクさん(平みちさん)のコンサートが開始されました。

 

  平みち50周年コンサート

 

会場が薄暗くなり、スクリーンに映し出されたのは、モサクさんが0歳の時のお写真。

目鼻がはっきりしていらっしゃいます。

 

そして七五三、初めてのバレエの発表会、お父様とのツーショットなど、秘蔵映像(?)が次々と映し出されます。

 

そこにモサクさんご自身のナレーションが。

 

お父様とのツーショットでは「お父ちゃんと同じ、足が長い」とのナレーション。

確かに、モサクさんのお父様は背がスラリと高く、足が長くて、昭和のあの時代にしたら相当規格外の体型だったように思えます。かっこいい!

 

そして写真は宝塚音楽学校受験時の写真から、音楽学校の制服、初舞台へと変わっていきまして、声だけではなく、モサクさん本人が登場という流れでした。

 

モサクさんのお衣装は、ビタミンカラー黄色のパンツスーツ。

若々しいノースリーブです。

 

全身はこんな感じ。

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ちなみに、写真撮影に関するアナウンスはありませんでした。

みなさん撮影されているので私も撮影させていただきました。

そしてモサクさんご本人にブログ掲載の許可をいただきましたので、安心してご覧くださいね。

 

初舞台の写真のスライド上映が終わって、歌が始まりました。

 

セットリストは以下の通り。
 

⚫︎ララファンタシーク~愛の宝石(1973年)

⚫︎花かげろう(1973年)

⚫︎何故かしらあふるるこの涙(恋天狗/1381年)

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ここで1983年、花組から雪組に組み替えした時の話をされました。

「10年間過ごした花組から雪組へと言われ、仲間と別れるのが寂しくて辛くて、涙が止まらないくらい泣きました。だけどこれは(業務)命令なのでね。雪組へ移動したのでした」

 

そして雪組トップスター時代の歌を3曲。

⚫︎愛のカレードスコープ(1985年)

⚫︎私はカモメ(スカイ・ハイ・スカイ/1986年)

⚫︎ダイナモ(1988年)

 

ここでトーク。

「宝塚歌劇というのは、歌と、ダンスとお芝居です。

 私は元々踊ることが大好き。そして歌も頑張りました。

 お芝居については……そんな私がお芝居をすることに初めて喜びを感じたのは

 『イヴにスローダンスを』でした」

 

⚫︎輝く二人の世界(イヴにスローダンスを1982年)

 

ここでまたトークだったと記憶しています。

確か、宝塚歌劇でアメリカや砂漠の国など色々な国の人を演じた、といったことをお話しされたように覚えております。

 

⚫︎かりそめの恋(ショーポート/1986年)

⚫︎この世は一陣の風(サマルカンドの赤いバラ/1987年)

 

ここで再びスクリーンに『大江山花伝』『たまゆらの記』の東京宝塚劇場のポスターや舞台写真が映し出され、茨木童子や安宿王の舞台姿を拝見しながら聞くモサクさんの歌は、より胸に迫るものがありましたよ。

 

⚫︎うす紫の恋(大江山花伝/1986年)

⚫︎たまゆらの記(1988年)

 

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ここからはお芝居に関してのトーク。

スクリーンには『風と共に去りぬ』でのモサクさんのレット・バトラーが映し出されました。

モサクさんは『風と共に去りぬ』お稽古場で最後の通し稽古の日、家から普段化粧の上にヒゲを着け、それをマスクで隠してお稽古場入りしたそうです。

「風邪引いたんですか?」と聞かれ「まあね」と誤魔化し、いざお稽古開始で、さっとマスクを取ってみんなにヒゲを見せた瞬間「うわぁぁぁぁ!!」と稽古場に大きな声が上がったという逸話で会場の笑いを誘った後、ちょっと真剣な口調になりました。

 

「私はいろんな国のいろんな人を演じてきました。素晴らしいセリフもたくさんいただきました。だけど、今思うとあの頃は本当に意味がわかっていなかった気がします。一生懸命に台本を覚えて、一生懸命に舞台に立っていた、若かったんですね。あれから色々な人生経験を経て、今、その頃舞台で喋ったセリフを思い出すと涙が出そうになることがあります。特にレット・バトラーのセリフ」

とおっしゃった後、バトラーのセリフを語り始めます。

 

「スカーレット、そんなふうに君は子供なんだよ。

 "すみません"と謝りさえすれば、長い間の悩みや苦しみが 立ちどころに人の心から消え去り、心の傷が治ると思っている。

僕はね、スカーレット、壊れた欠片を辛抱強く拾い集め、糊で繋ぎ合わせ、繋ぎ合わせさえすれば新しいものと同じだと思うような人間ではないんだよ。

壊れたものは壊れたものさ

僕はそれを繋ぎ合わせるよりも、むしろ新しかった時のことを追憶していたいんだ。

そして一生、その壊れていた所を眺めていたいんだ」

 

会場にお越しの皆さまも私自身も、やはり色々な経験を経ておりまして、このセリフを自身に引き寄せて考えている雰囲気が漂ったのですが、そこでモサクさんは

「このセリフは今に生きているんですよ。台所でそそっかしく食器を割った時なんかにね。

壊れたものは壊れたものさって!」と笑いを誘ってから歌に移られました。

 

⚫︎君はマグノリアの花の如く(風と共に去りぬ1988年)

 

ここでスクリーンにはトップお披露目公演のモサクさんのお姿が映し出されました。

「これね、トップお披露目公演。初日、緞帳が降りた瞬間に私『3年でやめよう!』って思ったんです。なぜかはわからないけど。そして自分で決めた3年間、一生懸命に走り抜けました」

ということで第一部、宝塚主題歌のトリはモサクさんのトップお披露目公演の主題歌であり、モサクさんの代表曲で締め括られました。

 

⚫︎そして今(アンドナウ1985年)

 
ここでいったんモサクさんはお着替えに入られました。
ピアノソロは思ったほど長くなくて、あっという間にお召し替えになって再登場。
第二部の始まりです。
 
第二部のモサクさんの全身がこちら。

 

 

 

⚫︎たくさんの愛をうけとめて

もとツイストのふとがね金太さんとの出会いから生まれたモサクさんのオリジナル曲。

モサクさんの作詞、ふとがね金太さんの作曲です。

 

⚫︎The way we were(追憶)

⚫︎With the song in my heart

英語の歌を歌いたいということで、お世話になっている歌の師匠 伊藤君子さんが本日客席におられるとご紹介があり、びっくりしました。

席が離れていたのでそれまで全く気が付いていなかったのです。

 

ここからはシャンソンを2曲。

⚫︎明日は月の上で

⚫︎夏の六週間

 私は「夏の六週間」を聞くのは初めて。

 子どもより歌を選んだ母が、娘と過ごせる夏の六週間とクリスマス時期を大切に思っていること、そしてこんな母親なのに娘が手紙で「ママが大好き」と書いてくれた……という内容の歌で、不覚にもちょっと泣きました。

 

⚫︎人生の扉(竹内まりや)

 

⚫︎エターナリー

 

会場の雰囲気も、お料理も、スタッフの皆さんも全て素晴らしく、コンサートも元気な歌からしんみりと聞かせる歌まで、楽しめました。

 

モサクさん50周年おめでとうございます!!

ますますのご活躍をお祈りしております。

 

 

おまけ その1

 

本日の座席表(カード)は全てモサクさんの手描き!

 

 

印刷ではなく、実際に描いておられるのがわかります。

 
私のカードの裏面には「明るく」の文字が描かれていましたが、ご一緒した先輩のカードには「自由」と書かれていたそうです。
もしかしたら全てのお客様にそれぞれ違う文言を考えて描かれたのかも。素晴らしい!

 

 

おまけその2 本日のコース

 

 

最初に登場したのは、シュークリーム風の前菜。

写真では大きく見えるかもしれませんが、ミニトマトくらいのサイズでした。

 

 

続いて旬を味わう小前菜。

スモークサーモンやポテトとミルクベースのソースがとてもマッチしていました。

 

パン。

 

海の幸のスパゲティ・ペスカトーラロッソ

 

真鯛のサルタート 茸とチーズの焼きリゾット バルサミコソース

 

デザート

温州みかんのコンポート マスカルポーネのスフェラ はちみつのジェラートと共に

 

小菓子(これは三人分)

 

お飲み物はメニューにあるものをフリードリンク制でした。

私がいただいたのは下記の通り。

 

乾杯に白ワイン

白ワイン(注文していないけれど注いでくれた)

赤ワイン(これも注文しなかったけれど注いでくれた)

セイロンアイスティー

コーヒー(デザートの際)

 

どのお料理も美味しい上に、あらかじめアレルギー対応もしっかりしてくださるお店で、

普段のコース料理なども食べてみたいと思いましたワ。

 

 

 

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