本日2回目の更新です。

 

昨日は夫婦で映画『ラーゲリより愛を込めて』を見てきました。

レイトショーでしたが、なかなか入りが良かったです。

 

この映画の原作は辺見じゅんさんの『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』。

かつて読んで大変感動したので、映画化されると知って、是非とも見たいと思ったのです。

 

 

 

見終わってからの率直な感想は

「日本映画ってなんでこうも いらん付け足しして原作を台無しにするのかなー」

 

ちょっときつく言いすぎました。

この映画、ダメってわけではないのです。この映画単体で見たら、普通に感銘を受けるでしょう。

ただ、原作から得られた感動をずいぶん目減りさせているように思いました。

言ってみれば、映画を 100点としたら、原作が200点だったという感じ。

いろんな世代の方に向けてわかりやすくするためなのかもしれないけど、ストーリーが安い。

 

この先ネタバレが多いにありますので、これから映画をご覧になる方、結末やストーリを知りたくない方はここで読むのをおやめくださいね。

 

 

 

 

 

 

この先ネタバレあり

 

 

『収容所から来た遺書』は実話に基づいています。

 

第二次世界大戦に敗れた日本に、追い討ちをかけたのはソ連でした。

すでに戦争は終わっていたにもかかわらず攻撃を加え、軍人だけではなく民間人をも捕虜にし、収容所(ラーゲリ)に送り込み、何年も(10年近く)強制労働をさせていました。明らかに世界条約違反です。

人間らしさを奪われた収容所生活の中でも、人間性を失わなかった人の一人、山本幡男さん。

彼は日本に帰国する日が来るのを信じて、いつも明るく振る舞い、絶望したりやけになったりする収容所仲間を励まし支えます。相手によって態度を変えることなく、人間的に振る舞う山本さんに、収容所仲間は徐々に信頼を寄せるようになります。ところが、残酷なことに、山本さんは収容所で病に倒れ、その地で亡くなってしまうのです。あと少しで帰国が叶うという時に。

 

山本さんは日本のご家族に遺書を書いていました。山本さんに励まされ、助けられた仲間は、なんとかしてその遺書を家族に届けようとします。

ところが、収容所から物品を持ち出すことは固く禁じられていました。ソ連軍は特に、記録したものは絶対に持ち出させないようにしていたようです。自分達の非人道的な行いを書き留めたものが世界に公表されることを恐れていたのです。もちろん、山本さんの遺書はそんな目的で書かれたものではありませんが、日本語が読めないソ連兵から見ると、紙に書き留められたものは全て抹消するのが安全策だったのです。山本さんの遺書も例外ではありません。

 

ではどうやって山本さんの遺書をご家族に届けたのか。

それは口述でした。

山本さんの遺書を、細切れにして、収容所仲間の一人一人が自分に割り当てられた部分を暗記。帰国後山本さんの家族の元を訪ねてそれを話す、という方法を取ったのです。

 

戦後11年も経って、山本さんの奥さんのもとに、ソ連からの帰還兵が訪ねてくるようになります。

彼らは、自分が言うことを書き留めるように頼み、自分が覚えている文章を暗誦するのです。

収容所から日本に帰ってきて、自分自身が生きていくだけでも大変なのに、それでも山本さんの家を訪ねて自分が覚えている遺書の一文を暗誦するのは、彼らが収容所時代にどれほど山本さんに支えてもらったかの証だと思います。

 

かつての収容所仲間はそれぞれバラバラに訪ねてきますから、遺書の先頭から順番に伝えられるわけではありません。口述を書き留め、文章の順番を考えて並べ替えることで、山本幡夫さんの遺書は完成するのです。

 

私は原作を読んで、感動で震えました。

 

それで映画を見に行ったのです。

 

山本幡男さんご夫婦役は二宮和也さんと北川景子さん。

収容所仲間に、松坂桃李さん、中島健人さん、桐谷健太さん、安田顕さんがキャスティングされていて、ナレーションも努めていたのが松坂桃李さんでした。

それぞれ、理不尽に収容所に連れてこられ、死んだ方がマシかと思いながらも、日本で自分を待ってくれているだろう家族を思って耐え難きを耐えています。

それぞれのエピソードは胸に迫るものがありますし、演技も素晴らしくて感動的です。

 

それぞれが主役を張れる4人ゆえ、でしょうか、遺書を「運ぶ」のがこの4人だけ、という設定になっていることが感動を目減りさせたと私は考えています。

 

と言うのも、収容所にいた人たちにはいろいろな人がいたわけです。

記憶力がいい人もいれば、全然ダメな人もいる。

だけど、それぞれが山本さんを思い、なんとかして遺書を家族に伝えるのだと、努力し、自分も苦しい中、三々五々、山本さんの奥様に会いにいき、自分が記憶してきた部分を訥々と伝えては去っていく、その部分に私は感動したのですよ。

 

だけど映画の場合、何人もの人がポツポツ現れては暗誦していくところを忠実に再現していては、それだけで2時間かかってしまいますし、見栄えも良くない。

だから、主役級の役者4人が、それぞれ長文を暗誦してやってくることにしたのでしょう。

しかも、それぞれ自分が抱えている問題(母親のことであったり、妻のことであったり)と合致している部分の遺書を暗記して口述することで、その人自身のドラマも増幅させるようにできているんですね。

私にはこの部分が一番安っぽく感じました。わかりやすすぎる、と。

名も無い元兵士たちがもたらした遺書ではドラマにならないってことでしょうか。

興行として成功させるためには、単なるドキュメントではダメってことかなぁ。

人を呼ばないと映画は成立しないのだし、それぞれの役者さんたちに見せ場も必要だろうし、難しい問題なのかもしれませんけどね。

 

あと、映画の中では、安田顕さんの役の人がいつもどこかから立派なノートを調達してきて、それを二宮和也さんに渡して遺書を書いてもらうんですが、それも変。

私は、ずいぶん昔、実際にシベリヤに抑留されていた男性に話をお聞きしたことがあります。

その人によると、何もかも手に入らないのだけれど、特に「紙」が貴重品だったとおっしゃっていました。何か書き留めたくても、紙がないと。

原作でも、山本さんの遺書は、一枚の紙ではなくあっちこっちから破ってきたようなペラペラの紙切れ何枚にも渡って書き記されていたように記憶しているんですけど…その部分については自信が持てません。

 

 

百田尚樹さんの「永遠の0」が映画化された時も、途中までよかったのに、ラストシーンにガッカリした記憶があります。

日本の映画って、原作に妙に手を加えて感動を目減りさせるものが多い気がするんですよね。

先週見た『ザリガニの鳴くところ』は、原作の世界観をそのまま再現していたものだから、余計にそう思ったのかもしれません。

 

 

ただ、原作を考慮に入れず真っ白な状態で見たならば、これはこれで感動すると思います。

生きるって大変なことだけれど、どんな状況になっても生きることを諦めてはいけない、と思わせてもらえるし、極限状態でも「真心」や「義」を大切にしなくてはいけないと思わせてもらいました。

きっとこの映画は賞を取ると思います。

 

 

それから、映画とは全く関係ないけど、ソ連(ロシア)っていつも同じようなことをしているんだな、と思いましたよ。

 

 

 

ちなみに、原作ありの映画の中で、私が最もガッカリしたのは宮部みゆきさん原作の『模倣犯』です。

ガッカリを通り越して、怒りを覚えました。

『模倣犯』は素晴らしい作品なのに、何をしてくれるねん、と。

私はあれ以来、森田芳光監督の映画を二度と見ないことに決め、それを固く守っております。

 

逆に、日本映画で原作と同じレベルの感動を覚えたのは『容疑者Xの献身』ですね。

 

 

 

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