木内登さんの『かたばみ』を読了しました。
木内昇さん『かたばみ』
第二次世界大戦末期の東京から物語は始まります。
物語の中心人物の一人、山岡悌子。
17歳で岐阜の実家を出て、日本女子体育専門学校に進学した。
悌子は身長五尺七寸(約171cm)、体重二十貫目(約75kg)という堂々たる体格の持ち主で、
槍投げの選手だった。オリンピックの代表選手に選ばれるほどの成果を収めていたが、
予定されていた東京オリンピックは戦争のために中止となった。
今は大学を中退して、国民学校の代理教員として主に体育の授業を任されている。
悌子は持ち前のさっぱりした気性と槍投げで培ったスポーツマンシップで、
子どもたちを平等に、良き方向に導きたいと思っている。時にその思いは国の指導要項に合わないこともあったが。
生徒の教育に懸命に取り組む悌子だが、実は教員は一種の腰掛けだと考えていた。
というのも、悌子には幼い頃からこの人といつか結婚するだろうと思っている相手がいたから。
それはお互いの実家が近い神代清一だ。
清一は野球に打ち込むとすぐにピッチャーとしての才能を開花させた。
高校野球で甲子園に出場した後、早稲田の野球部に。六大学野球でも大いに活躍した。
清一と悌子は地元にいた頃、よくキャッチボールをしたものだ。
悌子は肩が強い。男子よりもキャッチボールがうまいと、いつも清一は悌子を褒めてくれた。
悌子とのキャッチボールが楽しい、悌ちゃんは特別な女の子だ、とも言ってくれた。
悌子は「特別な女の子」である自分が、将来清一の伴侶になるのだと
ごく自然に受け止めていたのだった。
悌子が東京の大学に進学し、中退した後も東京で教師になったのも、清一と同じ場所にいたかったからだった。
山本五十六元帥が戦死したと報じられ、国民が戦況の厳しさを感じるようになった頃、
悌子は久しぶりに清一に呼び出された。
清一は言う。召集令状がなかなか来ないから、入隊を志願したと。
そして兵隊になる前に結婚だけはしておかねばと思った、と。
いよいよプロポーズか?
ドキドキが止まらない悌子だったが……
(木内昇さん『かたばみ』の出だしを私なりにご紹介しました)
勘のいい方はお気づきだと思います。
悌子はずっと、清一を夫になる人だと思い定めていたけれど、清一の方は悌子をそうは思っていないのではないか、と。
悌子を特別な女の子、といったのは嘘ではないでしょう。
一緒にキャッチボールをして、いろいろなことを話し合える、特別な二人だったことは間違いありません。
ただ、清一は恋愛感情で悌子を見ていたのではなく、性別の差を超えた友情を抱いていたのです。
お察しの通り、清一は別の人と結婚してしまい、悌子は取り残された気分に。
そのまま故郷に帰ることに耐えられず、清一と結婚するまでの腰掛けだと思っていた教師という仕事に今まで以上に真剣に取り組もうと考えるようになりました。
ただ、悌子が良しとする教育と、戦時下の教育は相容れないことが多かったのです。
根性さえあればなんでもできるはず、という非科学的な考え方や、
何がなんでもお国のために役立つ小国民を育成せよ、という方針。
悌子はスポーツ選手です。
食べ物が体を作ることをよくわかっています。
食料が配給制になり、量も確保できず、育ち盛りの生徒たちは碌なものを食べていません。
体力がないのです。
そのひょろひょろな生徒たちに向かって、自分は竹槍訓練をしなくてはいけません。
竹槍で敵を突く、訓練をです。
槍投げをしていたのだから、槍は得意でしょう、などと決めつけられて。
悌子がやってきた槍投げという競技は決して、人間を突くためのものではないのに。
教師としての悌子の姿勢をよく表している場面があります。
それは炎天下、国の指導要綱に従って、走り込みの授業をした時のこと。
食べ物を十分に食べていない子どもたちが、フラフラになって走っている姿を見て、悌子は走りをやめさせます。
そして、校庭に寝転がり、天に向かって自分のやりたいこと、欲しいものなど、思ったことを声に出して叫ばせるのです。
この頃、「ぜいたくは敵だ」などと言われ、欲しいものを欲しいと言えない風潮でしたし、戦争に対するネガティブな発言も全て禁じられていました。
それを一旦忘れて子どもたちに心の中を口にしろと指導するのです。
今一度、自分の気持ちと向き合いなさい、と。
すると生徒の一人がいいます。
自分の気持ちは声に出さなくてもわかる、と。
悌子はこう答えます。
「そうでしょうか?人というのは誰しも、自分をあざむくことができます。したいことを我慢するうち、もともとしたくなかったんだと思い込んでしまったり、誰かを好いた気持ちに蓋をして、いつしかその相手を嫌いになっていたり。自分でも知らず知らずのうちに、本当の思いとは異なる方向に歩き出してしまうことが、よくあるのです」
(木内昇さん『かたばみ』 P41-42より引用)
この答えひとつ見ても、悌子が一生懸命に教職に取り組んでいることがわかります。
『かたばみ』では、教師としての悌子の経験や成長が描かれています。
ところでタイトルの『かたばみ』は植物の名前です。
クローバーのような葉を持ち、非常に繁殖力が強いため縁起が良いとされ、
江戸時代にはよく家紋に用いられたそうです。
花言葉は「母の優しさ」「輝く心」。
この小説にはさまざまな母親像が描かれています。
私が特にあっぱれと思うのは、悌子の下宿先の年配の女主人ケイ。
何かというと厳しい目を向けてくる、ちょっと性格の尖ったおばあさん。
子どもが生まれたばかりの時に、旦那さんが女性を作って家出したきり帰って来ず、
一人で子供を育て上げた人です。
彼女は辛辣な性格をしていますが、逃げた夫の悪口を息子にはひとことも言わずに育ててきました。
悪口を言わないどころか、いいところだけを繰り返し話して聞かせたのです。
なにがあっても子供に夫の悪口を言わないってのが信条なんだって。自分と血の繋がった人間の悪口を聞かされて育つなんて、あまりにもかわいそうだからっていうのよ。子どもがその人生で挫けそうになったときに、どうせ自分はしょうもない人間の子なんだから、ってあっさり崩れていきそうだし、そもそも自分が選んだ伴侶の悪口を言うなんてただの野暮天だからねって。
(木内昇さん『かたばみ』 P347より引用)
私がケイ婆さんの信条に親近感を持つのは、自分の実母を連想するからかもしれません。
私には産みの両親と育ての両親がおります。
そもそも、産みの両親が離婚したところから、いろいろなご縁が始まるわけですが、
実の母は、別れた夫(私にとっての実父)の悪口を一度も私に聞かせませんでした。
その理由は、ケイばあさんとほぼ同じだったようです。
(私の実の父がケイばあさんの夫のような行動をとったわけではなく、
離婚には別の理由があったことは、父の名誉のために付け加えさせてください)
私は子どもに恵まれず、自分自身が「かたばみ」を発揮することはできませんでしたが、
この小説を通していろいろな「かたばみ」を味わい、とても癒されました。
そして、人は血縁や立場を超えて、誰かの人生を温かく支える存在になれるのだと、教えられた気がします。
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