高畑勲の新作ということで、『かぐや姫の物語』です。
宮崎駿の『風立ちぬ』と同時公開とはいかなかったようです。構想から完成まで、8年を要したとか…。
物事を成すのに、それくらいかけてもいいんですね。
 
この映画、予告編からして異様。というのはその絵柄です。背景と人物が一体となった、水彩画の世界。
それがアニメーションとして動くんだから驚きです。もっとも、この試みは『ホーホケキョとなりの山田くん』で
高畑勲が実験済みです。ジブリの話を読んでいると、宮崎駿も賞賛する海外のアニメーション作家の作品に
モチーフがあることが分かります。フレデリック・パックの『木を植えた男』。全編クレパスで描かれた何万枚
もの絵が、動くのです。切り絵やクレイアニメも同様で、いわば「表現」としてのアニメーションの流れです。
 
「山田くん」で痛い目を見ていたので、「かぐや姫」に関しても当初期待していませんでした。ところが…これが
ものすごく良かったです。画のバランスがすごく良くて、すっと目に入ってきます。ストーリーも、「かぐや姫」を
忠実に再現したもので、さすが「物語の祖」と清少納言に賞された「竹取物語」、そこはハズしません。
安心して表現に注目して観ていられます。音楽も控えめで素敵なんですね。絵柄でマニアックな印象もあり
ますが、そういったアニメーション初心者にもオススメ出来る良作ではないかと思います。
 
こうした表現に目が行きがちですが、ストーリーも現代風にエッセンスが加わっていてさすがという感じです。
今回意外にも良かったのは、高畑勲が宮崎駿に似たかなり「ジブリ寄り」のメッセージに傾いていたところです。
主人公のかぐや姫がなぜ地上に来なければならなかったかというのが、物語のバックグラウンドにあるのです。
なぜかというと、それは清浄な月を離れ、色とりどりながら人間が喜怒哀楽に乱され、穢れている地上で
穢れにまみれて「生きる」ことだったんだということ。かぐや姫は、山の中から都に出て、人間たちが形成する
「社会」の中で、ありのままに生きることが出来ず、苦しさのあまり月に助けを請うてしまいます。月は、彼女を
迎えに行くというメッセージを返すのですが、かぐや姫はそこに到ってようやく自分の本来の目的に気付きます。
 
つまり「私は生きなければならなかったのだ」ということです。生きる=自分として生きるということで、死んだ
ように生きるのではないのです。社会の中でも自分を貫く、それは難しいこと…今日の現代人にもそのまま
当てはまるテーマなのではないでしょうか。そしてその穢れ多き地上を、かぐや姫は愛してもいたのです。
自分を育ててくれた翁におうな。子どもの時に一緒に山の中を駆け回った友だち。周りの優しい人たち。
草、木、獣…。しかし気付いたときには遅かった。かぐや姫は月に返されてしまいます。地上にいたときの
記憶は全て失って…となるはずが、最後のシーンでは月に向かう雲の上で、振り返って地球を眺めながら、
涙を流す姫の姿が描かれます。なんとも示唆に富んでいますよね。
 
この世に生きる価値はない、しかしその世を肯定したいという、宮崎駿の根本的な願望、ジブリの根底を流れる
作品性に、図らずも一致するのです。これは高畑勲の作品としては、とても珍しいことだと思いました。
かぐや姫と一緒に、涙を流すのもいいと思います。生きることに葛藤するかぐや姫の姿は、ナウシカのようでした。
泣いたり怒ったり、走ったり…最後は飛んだり。生き生きしていて素晴らしいです。綺麗な話でした。
やっぱり日本の昔話とか見ると、しゃんとする部分がありますね。
 
70点/100点中。