
ジェフから移籍してきて5年、羽生直剛の東京での冒険がひとつの区切りを迎えたということでしょうか。
FC東京からヴァンフォーレ甲府への、期限付き移籍が発表されました。東京にとって、羽生の貢献は
ピッチの中だけに限らないものだったと思います。「ムダ走り」というちょっと皮肉めいた言い方で表現される、
羽生の得意なプレーのように。
「走って、走って、走れ」とはもちろんオシムの言葉であります。そのオシムに「羽生はそのポジションに
もっといい選手がいても、どこかで使いたくなる選手だ」と言わしめた、オシムサッカーの象徴のような
選手です。あのときのジェフ、オシムジャパンの選手たちは日本のサッカーを変えましたよね。
それがいまの代表の活躍にもつながっていると思います。
羽生はオシムの教えを忠実に表現し、走り続けていました。どんな選手がきても、チームの雰囲気の中で
なあなあになって、最後は結局中位、というのが相場の東京にとって、全ての選手のお手本だったと思います。
いつでも「走って」いて、ちゃんと「サッカーしてる!」と思わせてくれる、気持ちのいい選手でした。
しかしそんな東京にあって、ジレンマを抱えているようにも見えました。パスをもらうため、スペースを作るため、
おとりになるために、走って、走って、走り続けたカラ走り=ムダ走りは、ほとんどがムダになっていました。
いちばん印象に残っているのは、2011年のホーム富山戦。羽生のゴールで1-0で勝った試合ですが、
試合後のインタビューで、羽生は泣いていたのでした。試合に出られない日が続き、意地の一発で男泣き。
「30歳過ぎてもまだやれる、背番号22はここにいると示したかった」と。
その思いがどれほどのものか、想像するに胸が詰まります。1979年生、日本サッカー黄金世代も今年34歳。
僕も同い年なのですが、羽生には自分を重ねてみてしまい、応援するという気持ちとは別に、特別な親しみを
いだいていました。あと何年やれるか分からない、でも、まだやれる。もっと上に行ける。その焦り。苦しみ。
オシムから受け継いだ情熱。溜まりに溜まった内圧を、小瀬のピッチで存分に発散して欲しいと思います。
走って、走って、走って…。
サポーターにしてみれば、「羽生はそのポジションにいい選手がいても、どこかで応援したくなります」。
もちろん、いつでも東京にカムバックは期待です。城福さん、貸すだけだよ(笑)。