世代論とかっていうのは物事を説明するのには便利ですが、型に嵌めるってのは大嫌いです。ただ。

岡田斗司夫の『オタクはすでに死んでいる』という本を読んだら、まったく同じことがFC東京
ファンにもいえるな、と思いました。オタクが発生して、拡大して、分裂して、死に、生まれ変わる。
その過程を世代論をもってうまくまとめています。FC東京という言葉を使えばこうです。

まず最初にファンになったコア層がいて、その人たちには自分たちが自分たちを定義づけるために、
努力する必要があったと。また、同好の士同士の連帯感からか、そういうモチベーションをなんとなく
共有していて、FC東京に対する興味の中心は多少ズレていても、互いを許しあう姿勢というか、
相手の主張に対しても勉強しようという自主的な態度、寛容性があったと。最初から世間に認められる
ことなんて期待せずに、一生一人でも趣味を楽しんでいくんだそうです。なるほど。

そこに新しくファンになった人たちが来て、それは“ブーム”によって入ってきたようなライトな
ファンであり、古い人たちは最初歓迎して、そうかそうか!どうぞどうぞ…的な感じでいたのが
どうも話してみると価値観が違う、と。そのうち古い概念(積極的に自ら勉強していかなければ
ならない、他人を許さなくてはならない、FC東京を広めなければならない、といった類の概念)は
新しい考え方に押されて廃れ、全体的にヌル~くなってしまい崩壊する、と。新しい考え方と
旧来の考え方の狭間で、つまり自分が尊重したい趣味の世界の価値観と一般人の目の間で揺れ動き、
自らのアイデンティティーを熱く語る世代になる、ということのようです。

さらにその後の第三世代は、オタクであることに悩まない、と。つまり生まれたときから東京がある
ということで、それについて学ぶ姿勢も世間の目もなにもないと。好きなことを好きな分だけ楽しむ
それで満足。FC東京がなくなることなんて想定していないのかもしれません。
第二世代の、第一世代に対する反発が第一世代を排斥し、それでもヌルヌル続けていくうちになんとなく
おかしいぞ?ヌルいぞ?おもしろくないな…という図式が出来上がってしまうのではないか、と。
そこまで崩壊してしまうならば、あとは個人で好きなこと(ポイント)を見つけて、思いっきり
極めていけばいい、と。そういった感じで本はシメられていました。

…なんでもこういう事って言えますよね!総括してうまくまとめられているので分かりやすかったです。
FC東京も、ガス時代からファンで、応援の中心になったり、印刷物を作っていた人たちがいて、その後
J1にあがって東京旋風が吹き荒れると、そこに乗っかっていった人たちがいて、味スタ移転後、根を
張った東京を好きな家族層なんかがいて。2万人くらいをスタジアムに集めて見ていると、経過がよく
分かりますね。これはオタク市場という漠然としたものよりもずっと分かりやすいのかもしれません。

僕はというと…やっぱり、根っこにはFC東京を広めたいという思いがありまして。それでポスター
なんかを、知り合いの人にバラ撒いたりしているわけなんですが。やっぱりFC東京の楽しさを、
他の人たちにも広めていきたいなあ~と思います。…まあ、ワールドカップに出て勝てない日本の
サッカーですから、そこは苦しいですよね…。まだまだマイナーで。ただ、マイナーだからこそ、
崩れずにいるのかなとも思います。サッカーファンの世界は。そのうち、ワールドカップみたいに
にわかサッカーファンみたいなのが流れ込んでくると…!!
…そのときは断固愛情を持って、FC東京について教育したいと思います!?