…瘠せた話の続きだった。
最近努力して瘠せたのだが必死になってダイエットせざるを得ない理由があった。
それは、スーツが着られなくなってしまうことである。
実際、キツいなあ…と思ってきていたスーツを、なんと破ってしまった。しかもしゃがんだ時にケツの
部分が、グググッ…と割れてしまうという、今時マンガでも見ないベタさで、だ。
しかし事ここに至って、ようやくその重大さを知ることとなる。スーツを買い替えるとして、
どれだけの金がかかるか。上下一揃え5~6万、着回し用に2着買えば10万オーバー。
これは本当に痛い。そんなわけで、体型維持に本気で臨んでいかざるを得ないのだ。
また本件は、わが国がこの先数年スパンで真剣に取り組んでいかなければいけない問題なのである。
(というとまるで環境問題みたいだけど)

…と、言い訳が長くなった。言い訳というのは、男子たる者そんな小さな事をくよくよ考えざるべし、
という美意識があるからで、メシは気持ちよく大量に平らげるのが、やはり男子というものであろうと
思っている。だから、ダイエットなんてじいちゃんやばあちゃんにも怒られそうな気がして
なんだか後ろめたい。加えて、普段食っている量から大幅に減らすので、「明日自分は倒れてしまう
のではないか…」などと無駄に不安を感じてしまったりして、精神的にもかなり負担を強いられた。
まあ結局はその甲斐あって体重が戻ったわけで、今は気をつけながらも食べる量を戻している。
食事量を戻してから2週間経つが、リバウンドの兆候はなく経過はすこぶる良好だ。

さて近所のよく行く店に『めしや丼・菊川店』と『喜多方らーめん・小法師・住吉店』の2つがある。
後者は今日も行ってきたが、チェーン店でおいしい。あっさり鶏がらダシでチャーシューが12枚くらい
乗ってくるチャーシューメンは大変魅力的である。だが店によって微妙に味も違うので注意が必要だ。
その点、前者のめしや丼は完全なるチェーン店でどのお店に行っても確実に、同じ味が味わえる。
関西で言えば『宮本むなし』のような、ご飯お代わり自由の定食系ごはん屋さんだ。
定番はA定食と呼ばれる「チキン南蛮と焼肉の定食」(最近焼肉が茄子味噌炒めに変わった)780円。
これに生卵60円、納豆100円をその日の気分によって単品追加し、締めて940円のセットが
午前1時の至福の夜食タイムである。納豆も体調によって、ショーユも卵も投入せずガチガチのまま
食べたり、はたまた即刻生卵を投入して流し食いしたり(これは納豆マニアにとっては邪道な食べ方)と
さまざまな食べ方が出来て嬉しい。
だがもっとも特筆すべきは、ご飯お代わり自由というこの点に尽きる。
なにしろたくさん食べる=男らしいということを念頭に置いているので、お代わり自由という店には
「メシくらい好きなだけ食ったらいいぜよ!」という、潔く美しい男気、侠気を感じてしまうのだ。
ご飯お代わり自由というのは本当にスゴイ。我々男子が店を選ぶ時、この一点だけあればかなりの確率で
その店に流れていってしまうことは、まったく否定できない。

学生の頃、目白に680円で中華一品とザーサイ、スープに食後の杏仁豆腐がついてきて、
かつご飯がお代わり自由という、奇跡のような中華料理店があった。
目白駅前ビルコマース4Fの『蘭翠』こそその店の名で、その後『ジャスミン』に変わり現在は
ビルごと閉鎖になったと聞いている。ジャスミンはどっちの料理ショーだったかチューボーですよ
だったかでも採り上げられた街の巨匠が厨房いる隠れた名店であった。亡き先代の蘭翠も、味は同じで
これも美味かった。我々は男子4人の有志で、毎週水曜の昼メシは蘭翠で食べる会、
通称「100万ゼニーの会」を結成し、連れ立っては毎週この店に通い詰めた。
4人だと定食のメニューA~Dがすべて一つずつ頼めてオカズが充実したから4人だったのである。
100万ゼニーの会の語源についてはまた別の機会に触れることにしよう。
ともかく、本会会員(たまに入れ替わったりしてたけど)は皆食欲旺盛で、一人あたりドンブリメシ
3杯は食った。僕ですら4杯食った記憶が、たしかにある。4人で行くと10杯以上食う計算だ。
米5合以上は平らげていたということになる。

驚いたのはその後だ。
『蘭翠』は僕らが毎週5合のメシを食っていたのが影響したのか知らないが、ある日突然店をたたんで
どこかへ行ってしまった。僕らが通い始めて3ヶ月経つか経たないか、という時だったと思う。
僕らのせいとは言えない(そのくらいで潰れるとも考えづらい)が、これには少なからず責任を
感じざるを得なかった。僕達もおなかも悲しかった。
かくして僕達と蘭翠の蜜月はあっという間に終わりを告げ、ヒルメシ冬の時代が訪れる。
まもなく『やるき茶屋』のランチメニューと、蘭翠と同じ場所に復活した中華『ジャスミン』の登場で
再びお代わり自由、充実の春は訪れるに到るのだが、もう僕達はバカ食いはしなかった。
「ご飯お代わり自由」とは、「お代わりしてもいいよ」ということで、それ以上でもそれ以下でもない
ということを、目には見えないが踏み越えてはいけない一線があることを、僕達はすでに学んでいたから
なのであった。あの忌まわしき、「蘭翠の悲劇」から…。

いまでも僕は、お代わり自由の店に行くとだいたい2杯食べて「ごちそう様」としている。
または、どう考えてもボッタクリに近いような60円の生卵なんかを一緒に頼んで、意図的ではないが
己にエクスキューズを求めてしまっている自分を、発見したりするのである。
そんな時、あの完全なる幸福に満ちた短くもまぶしい時間が、懐かしく思い出されるのである。