まずは、ということで地元猿江町とその近辺の紹介です。
23区でも東部の江東区に位置し、古くは深川と呼ばれた地域です。いわゆる下町です。
深川ってのは川が多いから深川っていうわけでして、江戸時代以前は海だったんだそうです。
上野の山を切り崩してその土で江戸湾を埋め立てて作ったのが今の深川界隈とか。
隅田川を挟んでお城に近いほうと川向こうではかなり、生活レベルも違ったようです。
同じ下町でもこっちは貧乏人の町(笑)。川向こうっていうのはちょっとしたコンプレックスで(笑)。
地図を見るとわかるんですが、道路と民家は京都みたいなきちっとした碁盤の目のように並んでます。
これは江戸の頃の長屋の並びの名残とか。まさに、一般の“町人”の町、こういうところも好きです。
江戸時代には材木問屋が多く存在し、この辺の貯木場から江戸城のお堀まで水路を船で材木を運んだり
したんだとか。今でも木場という地名が残っており自分の家の周りにも材木屋が何件かあります。
それでも結構つぶれたりして減ってしまったんです。
それと門前仲町。深川八幡は江戸の三大祭『深川祭り』、別名水掛け祭りで有名な八幡さまです。
また岡場所というのも深川のこの辺にあったそうで、江戸時代は吉原と並んで江戸の一大ナイトスポット
だったようです。吉原と違って、岡場所はリーズナブルな庶民派。
また遊女はその分粋で気風(きっぷ)がいい、っていうんで庶民には絶大な支持を得ていたとか。
色が黒い、って馬鹿にされてたような風もあるんですが(笑)。どうなんでしょうかね?
猿江町はそんな深川の中でも錦糸町に近い北側のエリアで、益々以って微妙なエリアと言えます。
そんな猿江町についてはまた次回です!
23区でも東部の江東区に位置し、古くは深川と呼ばれた地域です。いわゆる下町です。
深川ってのは川が多いから深川っていうわけでして、江戸時代以前は海だったんだそうです。
上野の山を切り崩してその土で江戸湾を埋め立てて作ったのが今の深川界隈とか。
隅田川を挟んでお城に近いほうと川向こうではかなり、生活レベルも違ったようです。
同じ下町でもこっちは貧乏人の町(笑)。川向こうっていうのはちょっとしたコンプレックスで(笑)。
地図を見るとわかるんですが、道路と民家は京都みたいなきちっとした碁盤の目のように並んでます。
これは江戸の頃の長屋の並びの名残とか。まさに、一般の“町人”の町、こういうところも好きです。
江戸時代には材木問屋が多く存在し、この辺の貯木場から江戸城のお堀まで水路を船で材木を運んだり
したんだとか。今でも木場という地名が残っており自分の家の周りにも材木屋が何件かあります。
それでも結構つぶれたりして減ってしまったんです。
それと門前仲町。深川八幡は江戸の三大祭『深川祭り』、別名水掛け祭りで有名な八幡さまです。
また岡場所というのも深川のこの辺にあったそうで、江戸時代は吉原と並んで江戸の一大ナイトスポット
だったようです。吉原と違って、岡場所はリーズナブルな庶民派。
また遊女はその分粋で気風(きっぷ)がいい、っていうんで庶民には絶大な支持を得ていたとか。
色が黒い、って馬鹿にされてたような風もあるんですが(笑)。どうなんでしょうかね?
猿江町はそんな深川の中でも錦糸町に近い北側のエリアで、益々以って微妙なエリアと言えます。
そんな猿江町についてはまた次回です!