アイクのロスでの最初の仕事はメールマンで、朝早くロスのメールステイションに行きメールを取り,オフイス各部署に配布をする事,夕方部署より出されし手紙を機械にかけ切手を張り,メールステイションに運ぶ14年間。

  オマリーさんの公私共の秘書、ナイターの時の指定席はバックネット2階席のスコアー係。それが彼が一番楽しみの,それこそが彼の操作でのゴールデンタイムの時間、監督になりし思いで,席に座るアナウンサー、ビンスカリーさんより早いスコア-が出て,クレームがつく時もある。

  27年の間、朝4時に起きて家を出て球場に向かう。早い時間のフリーウエイは30分足らずで球場に着くと聞く。それから8時のオマリーさん出勤までの時間,役立つ人材に成る英語の学びが始まる。

 昨日のスポ― ツ新聞全部,そして一般紙総て,重い新聞を何時も抱え歩く姿を人々は見たと言う。。

 独学で得た英語力、ビジネスに通用したのだと。人々との会話で多くの人を,ジョークとウィットでリラツクスさせ喜ばれたと人が言う。オマリーさんもそのような彼の人柄には魅力を感じられたのではと思うのです。

 言葉は大切なコミニケーションのツール、<彼を兄弟の様にお思いくださったと。>今でもアイク&ピターオマリースポーツ、マネージメントクラス,<サイドで早稲田学生留学のサポートをされておられる> 

 今年サンデーエゴ球団購入,野球ビジネスに帰り咲かれた情熱に感動させられる一人です。

     <人生は出会いで決まる>


 出会いを大切に育てて行ければ、いつしか人の為にとなる方向へと変えられ暖かい絆へと変化させられる様になると思わされるのです。心の成長が成されると言うのかでしょうか。

  この頃私はアパートに閉じこもり,外に出る事も無く息子と2人の生活、色々の思いが懸け巡る。

 アパートの窓より花火をして火事だと思われて,消防車がいち早く到着。他いろいろと失敗をば繰り返し。

その後ボロ車のボロクスワーゲンを入手して夫のいる球場へ息子とともに,30分ほど掛けて走り出掛ける。スピ-ドメーター等おかまいなし前方にのみ集中、田舎道のハイウエイを走る。,ただひたすら、走る。

夫の元へ到着すると、おまわりさんが、後ろよりついて来ていた様で、

「アイク、お前のワイフは100キロの時速で走っていた」 と。

又、アメリカの文化、ルール等おかまいなしの私は、息子を何時も球場の芝生の上で,用を足させていて注意される。

時折売店でのヘルプ等していた。注意し見守られていた様に思うのです。言葉等いつの事やらのレベル。

 ピーターさんは時折アイクと昼食をしていました。(その頃ピーターさんはスポーケンでのゼネラルマネージャーの修業が始まり,アイクと食事を時折なさる。)

アイクは、クラブハウスで選手達にスラング英語をいろいろ教えられ,食事に行くと,ウエイトレスに習ったばかりのスラングを使い,陰で選手達が喜び見ていたと聞かされました。

アイクの憤りは凄まじかったとの事と。それが彼の英語力上逹の大きな鍵ともなったのでわ、、、。

やがて,ピーターさんのロスアンジェルス・ドジャースへのデビユーと共に,我々もボロクスワーゲンに家財道具を満載し、見送りの人々に,ホーリーマクロ、<おやおや>と言われロスへと向かったのです。

生原の渡米は最初ドジャ-スのスポーケンインデアンス3Aでクラブハウスに配属された。 


 我々もタコマ市スポーケンに同行となり英語等チンプンカンプンの私のミスの連続人生が始まりました。よくもまあ夫より長く今も生きているなあと。


 夫の仕事は,選手の靴を毎日磨く事,ユニホームの洗濯、ロードに出るチームの荷物出し、ドクターマタイ,(メキシコ人)の部下。


 毎朝7時頃1人の人が迎えに我々のアパ-トに来る。バイバイといいその車にて,球場に出かけナイターの終わるまで仕事その他に励む。


 彼の思いは,スポーケンのクラブハウスマンが,君の磨く靴がナンバー1と言われるのがゴールだと言う。


 気迫で日々靴を磨く、ピカピカに。ユニホームの洗濯。そして、ロードの荷物出しと亜大時代の監督には、選手が全てしてくれただけに逆の立場となる。大好きな夢の大リーグ野球は最初この様にスタートしたのでした。