占拠闘争前夜  その1 | 素人短編小説

占拠闘争前夜  その1


 

 

  ううっ、私は死ななかったのか・・

 

 徐々に意識を取り戻しながら、薄目をわずかに開けると、白い霞が視界の真ん中あたりから徐々に晴れていくのを感じた。どうやら自分は生きているらしいという認識が一番に脳裏に浮かんだ。

 

 状態としてだが、どうやら私は森林の中で仰向けになって横たわっているらしかった。

 

 焦点が合うようになるまで数十秒を要したものの、なんとか視界が明瞭になってきたところで、両方の目玉だけを動かし周囲の景色をうかがうことで、自らのその状態を認めることができた。

 

 そこから少し首に力を入れ、頭を起こし、そろそろと足元の方に視線をやると黒いワークブーツのようなものを履いていた。

 

 そのほかの部分も確かめたい衝動にかられたが、自分の頭を支える上腹あたりの筋力がそれを許さなかった。

 

 私は力を抜き、どさっと頭を元の位置に放り投げた。そこは雑草の中だったらしく、私の両耳や両頬をそれがさらさら撫でた。若干のくすぐったさが自分自身の生命が維持されていることを実感させた。

 

 一日の時間帯から言えばおそらく正午の前後に違いないことが木漏れ陽の明るさや差し込む角度から知ることができた。幸い、雨風もなく猛暑や極寒の季節でもなく、厳しい天候から逃れることも不要だ。

 

 つまり、私にはまだ少なくとも日没までの数時間が残されているはずだ。そんな思いが私の精神的な安定を保つことの大きな助けになってくれた。

 

 静かに目を閉じて、二、三度深呼吸をした。

 

 まぶたの裏側に鋭い閃光が交錯する光景が鮮明に浮かんだ。

 その瞬間、私の全身がびくりと反応したが、慌てて目を開けることはしなかった。何故なら、なんの身に覚えのない光ではなかったからに相違ない。

 

 正確な過去から現在までの時間がどれほどなのかまで明らかではないが、少なくとも昨日か一昨日の出来事であることは明白だ。

 

 依然消えないまぶたの裏の閃光を縫うと、その向こう側の情景が垣間見える。数十人の暴徒化した物体が棒やら石などの粗末な武器らしきモノを持って人に襲いかかっている。

 

 その標的にされている内の一人が私だ。

 

 私たち数人も丸腰ではなく、眩しい閃光を放ちながら応戦しているが、多勢に無勢を余儀なくされ、必死に逃げている。

 

 そして、やっとの思いで渓谷に辿り着き、全員が天命をかけて激流が十数メートルほども落ち込む滝壺へと身を投じ、揉まれもがきながらしだいに意識が遠のいていく・・そこまでの光景が途切れることなく頭の中で映像化され、まぶたの裏をスクリーンに代えて投影されていた。

 

 しかし、それからどうやって岸辺に漂着し、この森林まで辿り着いたのか・・そこの部分の記憶は全くなかった。目を覚ますとここにこうやって倒れていたのだ。

 

 ハッと気がつき、しばらく耳を澄ましてみたが、渓谷を流れる水の音は聞こえなかった。襲ってきたあの数十人の捜索が仮にあったとしてもなんとか逃れられたに違いない。そんな思いが、私の情緒をさらに安定的なものにした。

 

 先ほどから両胸に感じていた変調が気になり右の手の平を充ててみると重い鈍痛があった。次いで、その手の平を見ると赤黒い血がねっとりと付いている。

 

 少し驚いたが、果たしてそれが私自身の血なのか少々疑問に感じた。確かに痛みはあるが、これほどの血が手に付くとしたら相当の傷を負っているはずだ。

 

 しかし、その感覚はない。

 

 しかも、シャツとジャンパーを羽織っていたはずだが、いくら手で探ってみても破れた跡がないように感じた。で、あれば、これはあの暴徒たちと争った際に浴びた返り血ということになる。

 

 記憶を詳しく辿ってみても、確かに激しい戦いだったことに間違いはない。双方ともかなり負傷したであろうことも思い起こせば容易に想像できた。

 

 目が覚めてから小一時間ほども経ったろうか。当初ぼやけていた私の思考力もほぼ充てん出来たようだ。

 

 左肩を起こし身体を反転させながら両手で上体を支えた。そして両膝を折り、両方のつま先で下半身を支えた。

 

 十分間ほどもこの態勢を保ちながら五感の全てを使い全身にわたり異常の有無を注意深く探った。少々のダメージは感じとれるものの、根幹に関わるものはないようだ。

 

 私は静かに立ち上がり、全身をぶるぶると震わせ、わずかに残っているストレスを発散させたのち神経を集中させた。

 

 そのとき・・。

 

「タカハシ・・おい、タカハシ!」

 

 振り向いても誰もいない。

 

「ここだ、おい、タカハシ!ここだ、上、上!」

 

 トーンは落としているが、はっきりとした声で私を呼ぶ声がし、その声のとおり後ろに立つ雑木を見上げた。