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おちゃのこシャイシャイ☆ SHU DE HOJE

紆余曲折で、アフリカのモザンビークに赴任することになった男の日々を綴ってました。
現在はベトナム就業中、ブログは全然更新していません。

昨日、とあるシニアボランティアの送迎会を行った。

その方は剣道の普及を通してモザンビークとの交流・親睦に貢献されていて、

2年間の派遣期間と、さらに短期で半年の派遣期間を満了されて帰国される。

その方の活動に対する姿勢や紳士的な態度は、

モザンビーク人のみならず隊員からも尊敬される存在だった。

正直、任地が違ったのであまりお話する機会はなかったが、

とてもまぶしい方だった。一言で言って、かっこいい。


昨日の送迎会で終始思ったのは、

その方と比べて自分はどうなんだろう?

正直、最近活動に対するモチベーションが低下している自分としては、

その方がまぶしくて、若干の嫉妬もあったり、自分自身がちっぽけに思えたり。


最後の最後に、出会えたことにお礼を言いたくて、お礼を言ったのが精一杯だった。

そんな自分に対しても、協力隊員にはいつも支えられてたよと、

何もしていない自分にも真摯な応対をしてくれた。


尊敬する人の帰任は寂しいですが、どうぞ気をつけてご帰国ください。
活動お疲れ様でした。

ナマーシャという町まで行って来た。
ここには、僕が配属されている初等教員養成学校と同じ学校があり、(IFP namaacha)
ここでもJOCVが活動しているため、かねてから訪問したいと思っていた。

首都のマプトから1時間半程度。スワジランドとの国境付近にある町だ。


ナマーシャは山間部にある町で、標高が高い分、他の町と違い幾分涼しい。

昔、ポルトガルの領土だったころはポルトガル人が避暑地として利用していたところでもあり、
その名残を色濃く残した家々が立ち並ぶ。

石を基調にした建屋が一般的。
シャイシャイではあまり見られない建築様式と、
庭の手入れが行き渡っているのもとても新鮮に思えた。


そして、ナマーシャは隣国のスワジランドとの国境の町でもある。


この先がスワジランドになっているらしい。

実際、国境のイミグレーション付近まで行ってみた。

任国外旅行(協力隊で赴任している国以外への任期中の旅行)
に行っていない僕としては、国境付近まで来れただけでもテンションが上がる。


話をナマーシャに戻して。
こんな教会もあって、とても雰囲気の良い、落ち着いた場所というのがわかると思う。



この教会の近くに、IFPナマーシャはある。



ナマーシャのIFPは、シャイシャイほどの生徒数がいないため、
アットホームな印象を受けた。

情報室は、、、正直、シャイシャイよりも清潔で使いやすそうだった。



同じモザンビークと言えど、
海も近く、細かい砂が教室に入ってくるシャイシャイと、
ナマーシャでは環境の面でも大分違うようだ。

せめて、シャイシャイも砂や埃、そして熱への対策ができれば。。。

ナマーシャを訪れて、
自分の活動のヒントになることがあったのか、今はまだ判らないけど、
きっとシャイシャイの同僚と今後付き合っていく中で活きてくる、かな?


あ、あと、ナマーシャの先輩隊員がポテトサラダを作ってくれました。
普段、オトコの単純料理しか食べてない自分には、
染み渡りました。感謝!

そういえば、以前気になった曲を紹介します。。。

レストランの中で何気なく見ていたPVに釘付けになってしまった。

タイトル「ラザー・ビー」がまずカタカナ。
そして築地やら何やらが舞台。これなんだ???
ってことで、調べました。
UKのミュージックで、日本人女優だったんだね。この人が歌ってんのかと思った。
あ~、シャイシャイで見る築地とサラリーマンはとても遠くに感じた~!!

Clean Bandit - Rather Be  YouTube


聞けば、日本でもラジオなどで取り上げられていたそうな。

※後日、授業でもモザンビークの生徒に紹介しました。

Fim de semana, fiquei espantado quando vi um vídeo da música 
com meu corega no restaurante em Xai-Xai.

Este filme compreendi que tirou em japão.
Porque, este filme utilizou "KATAKANA".
"KATAKANA" saiu nome de título "ラザー・ビー"(Rather Be). 
(KATAKANA é língua japonesa para escrever palavra de origem estrangeira)
Depois voltei em casa, e já consegi buscar este filme.
Esta música compou inglês, e a mulher é a actriz japonesa.
Sinto-me muito interesante, mas também muito saudade...

シャイシャイからシャパで1時間強ほど、
北に行ったところにあるシブト(Chibuto)という町まで出かけた。


こんな感じで。マプトからシャイシャイ、イニャンバネと続く国道1号から208号線へ。
このルートは道も舗装されていて、地方の町に行くにしては便が良い。


シブトという町自体は、規模も大きく、学校や病院、市場やレストランなど、
生活する上で必要な物資・施設が揃っているという印象を受けた。


今回訪問したのは、エドワルド・モンドラーネ大学に行きたくて。
シャイシャイで知り合ったここの学生に付いていって、案内をしてもらった。


↑エドワルド・モンドラーネ大学。(Universidade Eduardo Mondlane)
モザンビークで一番有名な大学機関。
学部により校舎が異なっていて、シブトにあるのは経営関係の学部のようだ。


なんと、ホテルも併設している。


ホテルが入っている棟には、
図書館、研修施設なども入っている。

学校のPC教室にも案内してもらった。


PC教室にエアコン・・・。
ここだけの空間だけで言うと、とてもモザンビークとは思えない。

そして、ウィルス対策にちゃんと
有償のソフトウェアがインストールされていたことに感動した。

モザンビーク、まだまだウィルス予防などでお金をかける、
ということが認識されていないと思っていたので。
ハッキリ言って、僕の配属先のPC教室よりも、
ポリシーがしっかりしてるし、
利用者・管理者のリテラシーも高いことがうかがえた。

管理者の情報の先生からも話をうかがうことができ、
その後は友人の講義が終わるまで町を散歩していた。



任地ではない町を訪問するのは
とても新鮮で楽しい。

同じガザ州の町でも、雰囲気は全く異なり、いい気分転換になった。

また訪問すると思います。それではこの辺で。

いつものモザンビークでの日々をつづるブログから少し脱線して・・・。

突然ですが、問題です。


問1:アフリカにある国の数について、どのくらいかわかりますか?

①10~19ヶ国
②20~29ヶ国
③30~39ヶ国
④40~49カ国
⑤50~59カ国
⑥それ以上


問2:アフリカ諸国において、ポルトガル語を公用語とする国はいくつあると思いますか?

①1ヶ国
②2カ国
③3カ国
④4ヶ国
⑤5カ国
⑥それ以上


問1のこたえ:
⑤の50~59カ国 (2012年12月時点では54カ国)

問2のこたえ:
⑤の5カ国
モザンビーク、アンゴラ、カーボベルデ、ギニアビサウ、サントメ・プリンシペ
(もし、第三公用語にポルトガル語を指定している赤道ギニアを含めるなら⑥でも正解)

と、2つほどクイズ形式で問題を出しましたが、わかりましたか?

問2は難問ですね。でも問1については、
大体の見当くらいはついておきたいところ。

僕は協力隊員としてモザンビークに派遣が決まるまで、
この2点について、全く知らなかったです。

アフリカの国の数、それくらい高校までの教育課程で習っていてもおかしくないけど、
高校の地理とかでもアフリカに関する記述は少なかったのではないでしょうか。

おそらく、ですが、僕と同じように問2は難しくとも、
問1についても見当がつかなかった人は多いのではないでしょうか?
そのぐらいアフリカというのは縁遠い国々だっていうことだとも思ったり。

モザンビークに来て1年過ぎましたが、
こちらにいても、まだまだ知らないことだらけだって自覚しています。
モザンビークについても、ほんの一つまみ程度しか判らず、
そしてアフリカというと、その大陸の大きさに圧倒されるばかり。

「アフリカ」と一言でくくるということは、
一つの大陸という地理上の意味でしかくくれないってことなんだろうな。
それぐらい、アフリカは多様性に富んでいて、色々な顔を持っている。
知らない、ということに気づかされた1年であった、と総括できます。
あと1年、更なる出会いと発見がある、実りある1年にしたいです。

モザンビークに赴任して1年が経過した。

活動の中で、楽しいこと、大変なこと、色々1日の中であるんだけど、

最近は生活することについて、モチベーションがあがってこない。


年始にシャイシャイから8,9通のハガキを日本に向け発送したのだが、

どこからも届いたという連絡がない。というか届いてないらしい。

んじゃ、今どこにあんだろうと憤ったところで、どうしようもない。


そして最近は家の水があまりにも不安定だ。

週に1,2回、数時間だけ水が出るような状況が続いている。

水が出ないと、洗濯できない、料理できない、トイレが臭い、など、

生活で必要な基礎的な行動が取れない。


でも、体調は元気は元気なんだけどね。


あと、1年。でも悔いなく、満喫したいと思ってます。


最後に。

先日、日本の友人2人(D、T)とSkypeで会話した。

彼らと会話するのも、実は半年以上ぶりだった。

ブログの更新頻度が急に減ったこと、

心配をかけてしまっていたことに改めて気づきました。ごめんなさい。

これから、もう少し意識して更新しますね。

そろそろ、モザンビークに滞在して1年が経過しようとしている。

今日は、シャイシャイで活動されていた、
JICA関係の専門家の方の1回忌で、
現地の配属先でのセレモニーに出席をさせてもらった。

昨年の3月、僕がモザンに赴任する数週間前、

交通事故で一人の専門家が亡くなられた。


今回日本からご遺族の方も来られ、
現場や配属先を見て回る中で、ささやかな式を開催することになったので、
私たち協力隊員もお声を掛けていただいた。


専門家、といっても年齢は僕とそう大差ない。

ご遺族のご両親ともお話をすることができ、
このような境遇の中で活動している自分は色々な感情がかけめぐり胸を打った。

僕は、この事故のことを今後の隊員にも
伝えていくことが大事なんだと思っている。(事故の詳細はここでは書かない)

そして無事に帰ること。

これが僕らに課せられた一番の使命だと思う。

帰国を待っている人が日本にいることを忘れてはならない。


。。。
東日本大震災からちょうど今日は3年ですね。
今、僕は日本に対して何もできないけど、
でも悲しみから立ち直ろうとしている人たちの
少しでも励みになることがあるなら、何かの形で貢献したい。

雨季という事もあって、最近は一日のうち1回は必ず雨が降る。

気温も年間で一番高い季節となっているこの時期、

最近はよく自分の携帯に下記のようなメールが送られてくる。

Com a chuva, o risco de colera e diarreias aumenta.
Laves as maos com agua e sabao ou cinza antes de comer,
preparar alimentos e depois de usar a latrina.

僕が読むに、
「雨が降ると、コレラとゲリの危険性が増します。
ご飯の前に、手を水と石鹸、または灰?(cinzaって灰だよね?灰なのホントに?)
で洗ってください。栄養のあるものを摂り、トイレを使いましょう。」

って感じかな?

要するに、雨が多いこの時期、
コレアなどの感染症の蔓延リスクが高まるので、
ちゃんと衛生に気を配ってねってことだろう。

僕の友人のモザンビーク人もお腹を壊してたので、
セイロガンをあげた。

手洗いってやっぱ大事だね。こういう場所では特に。、、


あ、それとついでに、最近までの自身の体調について、
特に病気は今のトコロ、大きなものはしていない。

ただ、猫だと思うんだけど、ノミかなにかに足がやられているらしく、
ず~っと足首を中心に数箇所(数十箇所)、赤い斑点がある。

これについてはかれこれ半年くらい治ってはまた出来てを繰り返してて、
ちょっとずつ膿んだり痛みを伴う部分もあったりで、
年始が特にひどくなったのでJICAの保健担当の方に相談して、
適切な薬を買って処置している。

でも、結局猫を飼っているってことが何よりもの原因と思われるので、
最近はベッドにだけは入らせないようにしている。

猫で癒されている毎日なので、
彼らを追い払うなんてムリだしね。(結局、帰ってくると思うけど)

新年明けて、だいぶご無沙汰しておりました。

皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。


新年の年明けは任地シャイシャイで過ごしていました。

モザンビークの友人と海に行ったり、フェスタに参加させていただいたりと・・・。

相変わらずな感じで。


また、1月中旬は首都マプトでの隊員総会があって上京していました。

1週間マプトにいたのは赴任後初めてかな。

総会後は、シニアボランティアで二本松訓練所から一緒の方と、
一緒に旅行。

海に行っておいしいものをたくさん食べました。

モザンビークは南北に広く、北部ナンプラー州の隊員は、
なかなか首都まで来る機会がない(首都が南端に位置していることもある)。

一緒に旅行した方も、実は赴任後からは会ってなかったので、半年以上ぶりの再会。

久しぶりに一緒に過ごせて、本当にリラックスできた旅でした。


。。。
年末からここ最近まで、ぜいたくしっぱなしだったかも。

日本人と接する機会も多かったし、食事も外食が多かった。

マプトはおいしいレストランも多いしね。

でもこれからは少し節制しないとな~。お金遣いすぎてる。。。
こちらモザンビークは真夏の12月。
日本では本格的な冬が訪れてるはずですね。

まったくもってクリスマスっぽくないクリスマスは終わって、
いよいよ2013年も終わりが近づき、新しい年を迎えようとしている。

クリスマスは同僚の家に行ってきたり、普段から交流のあるモザンビーク人と過ごした。

同僚(女性)のダンナさんが南アフリカ(以下、南ア)から年末年始は帰ってくるという事を、
彼女から数ヶ月前から聞かされていたので、会いに行ってきたのだ。

旦那さんが南アに出稼ぎに行くのはこちらではごく普通のことで、
多くの家が子どもと奥さんを残して出稼ぎに行っている。

なので年末になると、南アフリカへ出稼ぎに行っていたモザンビーク人が大挙して
当国に帰省する。

旦那さんが僕にを話してくれたことで興味深かったのは、
南アでの言語の問題や、家族がそばにいないさびしさなどを語ってくれた。

歳も僕と近いし、状況は違うけど悩みは僕と似たようなところもあり、共感できた。

事情を深く書くと、モザンビークの公用語はポルトガル語。
そしてシャイシャイのあるガザ州はシャンガナ語という現地語を使用する。

一方南アでは公用語は英語だか、それ以外に多くのアフリカ諸国で話されている、
アフリカーンスを使用しているようだ。(おそらく、それ以外にも現地語があるのかな)

南アはシャイシャイからさほど遠くは無く、首都マプトを起点に考えると、
マプト~シャイシャイ間よりも南アの国境のほうが近い。

それでも国境を越えれば民族も文化も違う。
なんとなく出稼ぎに行くことがごく普通であるように思えていたが、
やはり同じ黒人でも外国人として扱われる。
彼らからすれば南アでの生活は大変な負荷となるのだろう。
そして、年明け4日にはまた南アに行くとのことだった。。。

モザンビークの中での雇用の拡大が図られれば、
家族と過ごしながら働くことが出来る。
早くそうなってほしいと期待しているが、こちらで過ごしている限り、
まだまだ現状では時間がかかるような気がしている。


違うエピソードで、昨晩バラッカ(雑多なお店。立ち飲み屋台でもある)で、
一人でビールを飲みながら友人を待っていると、
隣でお店の女性に早口の英語で話す黒人がいた。

モザンビーク人同士で挨拶や会話の節々に英語を混ぜるのは聞くが、
全てを英語で、しかも、こんなローカルなバラッカで、
まくしたてて話しているのは初めて聞いた。
お店の女性も困惑していたので、僕が仲介役になった。

隣の男性に、「彼女は英語話せないよ。ポルトガル語で話しなよ。」と英語で話す。
すると男性は、「俺は南アから来てるから、英語かアフリカーンスしか話せないよ。」との事。
だからって英語でまくしたてて、通じる訳ないだろと思ったが、
お店の女性に彼が頼みたいモノをポルトガル語で話した。

年末年始は、モザンからの出稼ぎ帰省者が増えるだけじゃなくて、
少数だとは思うが南アからも人が流入しているみたいだ。
こんなことも、年末年始のモザンビークではよくあることなのかもしれない。