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おちゃのこシャイシャイ☆ SHU DE HOJE

紆余曲折で、アフリカのモザンビークに赴任することになった男の日々を綴ってました。
現在はベトナム就業中、ブログは全然更新していません。

7月にこの学校を去るという予定となっているが、友人などに、
「また延長するんでしょ?」なんてよく言われる。

延長はもうしません。
去るまでに動いていることもあって。

その一つ。推薦状の作成。

PC室をリニューアルした結果、
今この教室を管理しているのは僕一人となっている。
TICという情報の授業も、僕一人で担当していて、
今なら自分の与えられている裁量も大きいと考えている。

自分が去ったあと、またカウンターパートに引き継ぐ、
ということは実は考えていない。
今までも度々ブログに出てきたXior君に託せたらと思っている。

来週の頭には出そうと思っていて、原案が完成した。
これにXiorの意見を交えて、彼の履歴書と共に提出する。
どうなるかわからないけど。
自分の培った人脈が、少しでも活かせたら、
それは自分がここにいた価値があるとも思えるし。
隊員の間でも度々話されるカンニング問題。

僕のいる学校だけでなく、中学校、大学など、
おそらく全ての学校で頭を悩ましている問題でもある。

「人の答案を盗み見る、または聞く」のは良くない、
ということは、わかっているようだけど、
実際やったもん勝ちな状況になっている状況で、
注意したって止めない。

僕は初等教員養成学校という、小学校の先生になるための学校にいて、
その中の情報科授業の担当なので、
生徒の中でも情報科授業へのモチベーションに個人差があるのはわかっている。
数学の教授法、国語の教授法の方が重要で、
配属になる小学校は電気もない所も多い。
それでも情報系に興味を持ってくれるなら、
僕がいる意味が少しでもあると思ってやっている。
だから、やる気の無い生徒にも割と寛容だし、それは自分の責任でもあると思う。

けど、やっていいこと、悪いことは確かに存在し、
外国人とはいえモザンビーク人と同じ教員という立場でもあるわけで。

先日行った中間試験において、記述式の設問を多く入れたテストを行った。
情報系の単語を答えさせる問題も重要だが、
どうやったらパソコンが立ち上がるか等、超基本的な操作方法を
ちゃんと理解しているかを見たかったためだ。

記述式の問題にする場合、概念的なことを聞く設問に対しては、
(例えば、OSとは何ぞやとかを問う問題)
多くは今まで利用したスライドの中で、
僕が「ここは重要だから、ノートに書いてね」と言った文章を丸暗記している。
そんな中、パソコンの立ち上げ、立ち下げは実機で学習した問題だから、
自分達の演習の記憶を辿って答えるべき問題となる。

こういう問題にちゃんと取り組んでもらえると、
「これは自分で回答を考えて書いているな」と、嬉しくなる。

しかしながら、今回答案をチェックしていたら、
「これは自分で考えて書いたな」というフレーズが一字一句違わない生徒が
重複して出現したことに気づいた。

なんとなく、答案全体の雰囲気で誰が写したほう、誰が見せた方かはわかったが、
悩んだ結果、両方の答案の当該の設問を無効とした。

昨日、カンニングの疑いをかけた女生徒たちと話し合った。
彼女たちの言い分は、
「試験前にグループで勉強してたから、答えが同じになった」というもの。
カンニングは現行犯じゃないといくらでも言い逃れできるし、
モザンビーク女性の場合、こういった自分の正当化はとてもうまい。

なので、「言いたい事はわかった。じゃ、2人とも実機で証明してよ。」
とパソコンを立ち上げてデスクトップまでたどり着かす、という事を指示した。
なんてことはない、パソコンのスイッチボタンを押して、
指定のアカウントにログインすれば良いだけだ。

案の定、一人はすぐにできた。
もう一人は、スイッチボタンを押してから、アカウントログインができない。
というか、右クリックを押したり、シャットダウンを選択したりして困惑している。

しょぼくれる女生徒。とにかく、自分の力で問題を解いてよ、
カンニングはダメだよ、将来の先生になる人なんだし、
と伝えたつもりだが、どこまで理解したか。
運が悪かったとしか思ってなかったらしょうがないけど、
あと数ヶ月だし、カンニングは許容しない先生だということを示したい。

昨年に学校及びJICAへ提出した要望が実を結んで、
配属先のPC教室をリニューアルすることができた。

現在新学期が始まっていて、授業計画通り進めることができているのが嬉しい。

また、今学期は情報の授業は僕が一人で受け持つことになったので、
一人で12クラスを担当することになった。

この学校にいられる最後の学期、悔いなく取り組みたい。

9台のパソコンを新調したことで、学校側もやる気を見せてくれたと思う。
カーテン(これ、言ってて1年以上経った)を新調してくれて、
想定できる部材(ケーブル関連)を学校側に負担してもらった。

僕のほうも、ただ購入するだけでなく、準備や・運用面で色々と策を練った。
その一つとして、この機会に教室全体のレイアウトから変更した。

一人1台ずつあった机は、グループワークに適さないため、
その机を撤廃し、学校に眠っていた大きい机を引っ張り出した。
そのため、レイアウト案を作成し学校側へ提出した。


↑ これは準備してるところ。色々とケーブルの不備があったりしたけど、
 今までの廃品やらを集めてなんとかなった。


↑ こんな感じで、グループワークができるように机を配置した。

また、運用面では、以前に書いたリターニルというソフトを稼動させている。

このソフトのおかげで、ウィルスの心配はなくなったと思う。
半年運用して、安定稼動の実績として学校に成果報告をしたい。

リターニルを有効化してシャットダウンすると、
たとえば初心者がシステムの重要な部分などを変更しても、自動的に戻る。
デメリットとしては、Cドライブに保存したドキュメントなどは全てクリアされる。

生徒がこの仕組みをどこまで理解してくれたのかは、ちょっとわからないけど、
今のところはそこまで混乱は無いかな。


それでは、また。


参考URL: http://www.returnil.jp/

あけましておめでとうございます。

怒涛のように、年末年始が過ぎ去って、
猛烈に暑い1月の真っただ中です。

先月、400人の生徒が卒業し、
今はまた新たな生徒を迎えるべく、入学試験の真っ最中。
去年は400人という定員のところ、1400人程度が受験して、
まあ難しいんだなという印象を受けた。
今年の受験者数は1700人強。昨年よりも狭き門となっている。

さて。
このIFPを先月卒業した生徒たちだが、
昨日にどの地区に配属されるか、といったことが発表された。
これは昨年はあまりよく事情が分かってなかった分、
あまり意識しなかったが、人生のかかったシリアスな問題だった。

というのも、400人すべてが希望の地区に配属されることは当然なく、
むしろ希望していない地区に配属になるケースが殆どのように思う。

僕の配属先であるIFP(初等教員要請学校)シャイシャイというのは、
ガザ州教育省の管轄であり、生徒が配属される地区も、ガザ州内となる。

ガザ州。僕がいるシャイシャイはガザ州の首都。
ガザ州の中では南端の海沿いに位置し、
州の北部はジンバブエの国境まで、実に広い。
シャイシャイだけ見れば割りと(モザンビークの中では)都会だが、
ガザ州全体では、他の州よりも発展が遅れていると言わざるを得ない。
当然、生徒の配属希望は首都近辺に集中する。

例えば、昨年にこのブログで紹介したマシンジールというリンポポ国立公園
が隣接している町は、ここから乗り継ぎが良くてもバスで5時間くらい。
ここまで来ると、マシンジールの小さい中心街を外れると本当に何もない。
そして小学校がそういった市街地にあるとも限らない。
また、マシンジールよりも遠い地区になると、もはやシャパもなく、
ジンバブエ行きの1日2本の機関列車に乗らないと行けないところもある。

当然、このように州の中でも環境に差が激しいため、
シャイシャイ周辺の小学校には教員の空きは、小学校の数に比べあまりない。
田舎で過酷な環境なほど、先生が慢性的に枯渇している現状がある。

そういった背景があるため、昨日の配属地区発表は、
人生が左右されるほどのインパクトがある。
シャイシャイ周辺で配属された場合は、そのほかの大学等の
教育機関も近いため、頑張れば働きながら通うこともできるメリットがある。
ガザ州郊外になってしまった場合、多少手当はあるみたいだが、
そういった隣接した教育機関もないのはデメリットである。
また、少なくとも2、3年は働かないと次の地区への希望は出せない。

お金がある生徒も中にはいるが、
多くの場合、配属地区が希望に合わないからと言って、
辞めるという訳にもいかない。モザンビークに就職口があまりにも無いためだ。

少なくともIFPを卒業し、先生になることができれば、
モザンビーク内で働き、収入を得ることができる。
が、配属地区によってここまでの差があるのは、
日本よりもずっとシビアな現状であると思う。
しかし、昨年生徒を見ていても、
そういった現実があっても、心底明るい生徒が多いし、
実に真面目に取り組んでいる生徒もいた。
一つの新しいことを目にしたときの純粋さは日本以上だと思う。

今年ももうすぐ生徒が来る。去年より、もっと話したい、教えたいと思ってる。

写真は先月行われた卒業式にて。

カルロスも退院し、お見舞いに行くのも
土日のどっちかに行けるときにって感じになった。
骨折した箇所が左足のみではあるが3か所で、
足の付け根付近も骨折箇所があるから、
まだ一人で起き上がったり、座ったりはできない。

病院でも家でも、普段は外に出れない。
この前、他の隊員もつれて見舞いに行ったときは、
彼の庭先の木陰にベッドを持って行って、
カルロスも久々に外でのんびりと過ごすことができた。

こちらでは日本とは違い、毎日誰かが見舞いに来たり、
近所の子供も積極的に手伝ってくれる。
先々の経済的な問題はあるにせよ、
今は色んな人に支えられて、
そしてゆっくり休める環境があることが大事なんだろうな。


なんだか、最近はそんな忙しいわけではないんだけど、
色んなことが一気に押し寄せていた。


少し落ち着きだしたところで、
自分の取り巻いてる近況を整理して書きます。

1.飼っている猫、ミナミの出産
 10日前くらいかな?
 買ってる猫、ミナミが3匹の猫を出産した。
 これもそのうちブログで取り上げようかな。
 今、3匹のうち2匹が目が開いて、みんな目が開いたら。
 
2.PC機材の購入申請に関する配属先・JICAとのやり取り
 これが今、一番色々と大変なんだけど・・・。
 配属先でパソコンを新たに購入しようと思っているんだけど、
 パソコン機材となると、他の職種の隊員よりも金額がすぐ大きくなってしまう。
 なので必然的に説明する資料も細かく審査される(らしい)。
 これをJICAで支援するとなると、
 それを購入するまでの経緯、目的、効果などなど、
 色々と書く書類や説明する必要があって。
 この準備やら何やら、今はこれの負担が大きいかな。
 今、大体の目途がついて、JICAからの予算も下りそう。
 年末までに納品までたどり着きたいな。

3.任期延長に関する配属先・JICAとのやり取り
 これは、色々迷ってたんだけど・・・。
 まだ正式決定ではないけど、おそらく帰国が延びます。
 2015年の7月末までになりそう。なので4か月。
 学校のスケジュールが中途半端になるのが、
 やっぱり自分の中で納得できずにいて・・・。
 正式に決まったら、ちゃんと連絡するべき人に連絡しようかと。

4.バドミントン普及活動の始動
 自分にできることってなんだろうか?
 なんでも良いから、きっと役に立つし、やってみなよ。
 と、あまりここ最近なかった他の人からの助言。
 なんだか今回すんなり受け入れることができた。
 きっと誰かに背中を押されたかったんだと思う。
 色んなタイミングにも恵まれて、
 今我が家にはバドミントンにラケットが6本あります。
 配属先の体育の授業でも紹介することができた。
 今はまだ広める段階。
 今後は、定期的な活動にしていきたいな。
 しかし生徒の運動能力の潜在的なチカラには驚かされる。
 一番良く学びに来る生徒は、3日目あたりから、
 もう僕とそんな変わらないくらいに上達した。
 (と、言っても僕もテニスをかじってたぐらいで、本格的なバドミントンの経験は無い)


5.隊員総会に向けた地域代表者としてのやり取り
 モザンビークでは年1回ある隊員総会。
 来年1月に開催するんだけど、これの幹事のような役を行ってる。
 これも、色んな調整後とやらなんやらで、
 色々と地域の意見を募ったり、代表者どうし意見を話合ったり、
 たまにファシリテートしたり・・・。
 大変じゃないけど、総会のために頭を切り替えるのが大変。

6.カメラが壊れる
 日本から持ってきたオリンパスのデジカメが壊れる。。。
 熱やら埃のせいなのかな。起動しなくなった・・・。
 日本からの出発直前に購入したから、2年持たなかった。
 なので、日本から持ってきたドコモの携帯(ガラケー)で
 写メを撮ったりしています・・・。

7.年末年始の旅行を計画中
 延長するなら、このタイミングで一時帰国しようかとも思ったけど、
 旅費が高いことと、こっちの活動スケジュールも踏まえると、
 やっぱ難しくて、日本への一時帰国はあきらめた。
 なので、今モザンビーク周辺の国への旅行を計画中。


と、まあこんな感じかな。

もうちょっと落ち着いたら、一つずつブログに書いていこうかな。

あ、あとそう言えば、先日(と言っても大分前になるけど)
8月に友人シオールと共同で行った誕生日会について、
神奈川県のホームページ内にある、「地球市民メッセンジャー」
というものに掲載されました!
かながわ地球市民メッセンジャーの記事
http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f4099/p832912.html

僕は神奈川県出身で、出国の前に県知事から、
地球市民メッセンジャーというものを委嘱されていて、
記事を寄稿してみました。

それでは、また。
カルロスの容体について。

昨日に病院に行ってみたところ、大分回復してた。
取りあえず、ホッとしてる。
まだ一人では起き上がることができないけど、
受け答えもしっかりとしてきた。

これからの生活のこととか、考えると不安もあるんだけど、
とりあえず、あと一週間ほどで退院できそう。

取り急ぎの報告でした。
良くなることを信じて、今の気持ちと起こったことを書こうと思う。

僕のブログにも度々登場していたカルロスのことについて。

水曜日の朝、まだ陽も出てるか出てないかの時間帯である朝6時前、
僕の携帯にカルロスから電話があった。
まだ頭がハッキリとは動いていなかったが、
この時間帯と、カルロスのいつもとは違う弱った声で、
何か異常事態が起きている事はわかった。
そのとき、既にカルロスは病院にいた。
事故にあったのだ。

彼は今通信会社のインフラ整備の仕事をしている。
農村などにアンテナを建てたり、メンテナンスをしている仕事だ。
彼の職場はシャイシャイから郊外に30~40分ほど車で出たところにあり、
いつもバイクを使っている。
仕事の移動でもバイクは必須であり、
今回はその仕事の勤務時間の移動中に起きた。

本当に情けない話だが、彼の奥さん、そして彼から聞いても、
全ての概要は把握しきれない。
理解した範囲で書いてみる。(それでも曖昧な部分があるのだが)
 酔っ払い3~4人組が道バタにたむろしていて、彼らをよけ損なったらしい。
 その際、転倒し、左足を強打した。上半身は無事である。
 この時、彼らはビール瓶を割ったりした酔っ払いだったらしく、
 それらをよけることに気を取られていたと思われる。
 その際、彼らの内の一人に当たってしまったらしいのだが、
 全員カルロスが転倒し、そのケガの重大さから逃げてしまったらしい。
 そして今のところ、当たってしまった男性も病院には現れてはいない。

とのことだった。
事故後、カルロスは会社の車でシャイシャイの病院まで夜間に搬送された。
それで、僕には朝方に電話をしてきたという訳だ。
僕はその時すぐに僕の家に泊まっていた友人で、
現在モザンビークに調査で来ている大学院生と病院に向かった。
病室にいたカルロスは上半身は無傷で、
頭部への外傷もなかったので少しの時間、話すことが出来た。
左足の外傷を少し見たが、止血や消毒が日本のようにはなされていないように思えたし、
左足に包まれたシーツが血で染まっていたのは気がかりだった。
帰宅し、配属先にいる間、お昼頃にカルロスから電話があった。
用件は大きくはお金のこと。
僕も気がかりだったので、明日また病院に向かうと告げた。
彼は通信会社の契約社員として働いているが、
まだまだ家族を養う事でギリギリの生活をしており、
入院の際のお金の捻出はできないことは推察できた。
しかし、この日の夜、カルロスは熱が出てしまった。
これは消毒などが適切な処置がなされていないからなのか、
詳しいことは今のところ僕にはわかってない。


木曜日。
この時、お互い(僕を介して知り合ったのだが)の友人のシオール君も連れて行った。
昨日カルロスがいた病室に行ってみると、いない。
この時、ちょうど携帯の電波も不安定になっており、彼の奥さんにもつながらない。
何度探してもいない。
両隣の病室にもいない。
シオールは冷静だったが、僕は冷静ではいられなかった。
前日の話では、まだ起き上がれる状態ではなかったし、
少なくとも1週間は入院するだろうという話だったからだ。
しばらく廊下のベンチで過ごした後、とぼとぼと病院を後にした。
近くの中学校の庭先でシオールの友人と世間話をしながら、
携帯がつながるのを待った。
ほどなく、カルロスの奥さんとつながり、僕だけ病院に折り返した。
再び病院に向かい、カルロスの奥さんとやっと合流することが出来た。
カルロスは容体が重たくなったため、
日本で言う処の集中治療室のようなところに移動していた。
そこは10床ほどのベッドがあり、訪問者の入室は一度に2人までと制限された場所だった。
この時点では、カルロスは意識がなく、呼吸器をつけてうなっているだけだった。
僕は取り乱して泣きたくなる感情を抑え、
カルロスのうつろな顔を見つめていた。

日本だったなら、こんなことにはなっていない。
ここでは、例え骨折でも、命に関わる問題なのだ。
消毒も日本のようなレベルではないだろうし、何しろ血が全然足らない。
血液バンクはあるにはあるのだが、ここでは毎日が枯渇している状態なのだ。
この日も血が足らず、奥さんのイザウラが1Lもの血を輸血した。
そして、病院内は何事も後手後手で対応しているようにも思える。
そもそも当初の対応(消毒や止血など)が適切だったのかさえわからない。

でも。ここでそんなことを考えても、いくら憤ってもどうにもならない。
明日には良くなる、そう思って自宅に帰った。


そして金曜日。
朝方に奥さんへメールをすると、昨日よりは状況は良いと返信がある。
午前中は配属先に僕は居て、
病院に行く前にお昼をシオール君の家で食べていた。
平日の昼間に友人宅にいるのも極めて稀な話だが、
僕は今思えば誰かに頼りたかったんだと思う。
シオール君の家でご飯を食べながら、奥さんから電話が入る。
今日も、医師から輸血の必要があると言われ、
しかしながら血が足りないということだった。
血液型はO型。僕はBなので協力できない。
そのやり取りを聞いていたシオール君が、快く輸血を快諾してくれた。
ここモザンビークではHIVの感染率が高く、
ちなみにこのガザ州は統計上モザンビークでも一番高い。
輸血の前に検査を行うのだか、日本にいた時はその針でさえ、
感染の心配があるため、安易に輸血はできないと知らされていた。
シオール君には、その事を僕の見解として、輸血を実施する前に
伝えとくべきと思い伝えた。それでも快諾してくれた。
すぐに病院に向かい、輸血を行った。
奥さんはずっと感謝の気持ちを僕とシオールに述べていた。
輸血後、カルロスの元へむかう。
木曜日は話しかけても判らなかったが、
今日は話しかけて視線を合わせるように移動すると、
目の光り方、少し表情の変化が見えて、意識があることは確認できた。
僕の話しかけた言葉にも、少し反応しているように見えた。

僕も奥さんも、少しだけ安堵することができた。

この国に来て、色んな嫌なこと、理不尽なことがあるし、
日本では当たり前のことができない、厳しい現実がある。
しかしながら、こう言った奥さんの懸命な支えやシオール君のように、
泣きたくなるほどの愛情や友情に何度も誰かが、そして僕も助けられていると思う。
だから、僕もカルロスと奥さんのイザウラを出来るだけ支えようと思う。

またこの状況の中、いち早く経済的支援を買ってでてくれた
友人には本当に感謝の思いでいっぱいだ。
木曜に奥さんに会った時、少々のお金と、
食料や通信で使うクレジットを奥さんに渡すことができた。
奥さんは泣いて喜んでいた。
カルロスが病院に搬送された際、
彼に買ってあげられるお金はジュースとリンゴだけだったそうだ。

明日も病院に行くけど、良くなることを信じている。
今、この綱渡りのような状況だけど、少しずつ良くなっているんだ。
シャイシャイに新隊員がやってきて、それまでになかったものが加わってくる。

おそらくこれは、自分が新隊員だった時にも、大なり小なり他の隊員に影響を与えてたんだとも思うことでもある。
それぐらい、同じ日本人が任地に来る、というのは隊員にとって影響を与えることなのではないだろうか。
そして協力隊として来る隊員は、その背景もそれぞれだし、
キャラクターも際立った人が多い気がする。

JOCV(青年海外協力隊)は年間で4つの隊次に分かれる。
僕が24年度4次隊で、3か月ごとに新しい隊員が入ってきて、またそれと入れ替わりで、先輩隊員が任期満了で帰国していく。

シャイシャイはここ半年ほど変化がなかったのだが、新隊員が2名、8月から赴任してきた。どちらも教育関係で、男性隊員。

それまでと言ったら、シャイシャイは僕を含め2人しかいなかったので、後輩ができたことは大変喜ばしいことだ。

新隊員、何故か体を鍛えることが好きなようで、(今日本で流行ってるのか?)
シャイシャイ隊員は会うたびに筋トレをすることになってしまっている。
ただの筋トレ好きかと思いきや、実に科学的なアプローチを持って解説してくるので、ついつい話に引き込まれてしまう。
そして、筋トレ→肉を食べるというのが習慣になりつつある。

今までの自炊では、なるべく野菜を多くとることを心がけてたつもりだったが、
最近では鶏や豚を買ってはBBQのようにして食べたり、バラッカで豚を注文したりしている。
そのせいか最近は胃が疲れ気味だ。

筋トレも最近は急に暑くなってきたせいで、決して1人ではやる気にはなれない。
それでも週に1回くらいのペースでカラダを動かすようにするのは、
自分にとっては良い影響だろうなと思う。

去年の誕生日はモザン人宅でカレーを振る舞って踊ってたけど、
今年は仲良かったモザンの学生と合同でフェスタを開催することに。

というのも、教育大学に通う友人のXior君と誕生日が1日違いで、
だったら一緒に誕生日会を開こうかという話になった。

モザン人との会話の中では、こういった話の半分は冗談だったりするんだけど、
誠実な人柄なXiorだったので実現することができた。

当初この企画を立てるとき、Xiorと僕の家で何をどのくらい購入するか話し合った。
人数も多く、50人規模のフェスタになりそうだったので、その人数で何を、どのくらい買うか。
トリ20羽、豚1頭、ビール3ケース、ジュース1ケース、ケーキ、などなどもろもろ・・・。
合計を計算し、二人で顔を見合わせた。
なぜなら、薪などの調理材料も含めぜ~んぶ合わせると、結構な金額になった。

こちらではお祝い事は祝われる人本人が企画するもの。
だからといってこの金額は、ちょっとな~、と僕自身は当初は少し尻込みをしていた。
しかしながら、Xiorの男気に魅せられてしまった。
彼は、「僕は今これだけのお金を持ってて、このフェスタでこの金額までは出せる」と、
かなりの金額を僕に出してきた。
大学生の彼からして、普通この金額は出せないと思う。
それに、日本人と合同フェスタなら、こちら側にオンブに抱っこなフェスタになりかねない。
彼の男気にも背中を押され、今回のフェスタを開催した。

結果、こちらで活動する日本人にも来てもらったり、準備を手伝ってくれたりで、
合同フェスタは無事開催できた。お金のトラブルもなかった。
(色々と当初の見積りから抜けがあって、Xiorには豚1頭あきらめてもらったけど)
モザンビーク料理の他に、日本人ボランティアと一緒におにぎり、大学イモを出してみた。
どちらも好評といえば好評。(中にはあまり口に合わなかった人もいたけど)
おにぎりは塩っ気が強い方が、大学イモは甘ったるくした方が、口に合うのかもね。


開催時刻予定の14時は、なんと雨。
Xiorからは、「雨があがったらやろうね」と連絡が入る。
その間、隊員と他の友人Carlosと、
僕の家でワインを開けて、フライングぎみに会を始めた。

 
雨が止んで、Xiorの自宅の中庭でフェスタを開催。
写真は身内ばっかりだけど、彼の家族やら親戚やらが集まって、盛り上がった。


ほんと、いろんな人に参加してもらい、ありがとうございました。

最後に、フェスタが終わってから写真を見返したら、
なにこれ?って写真がいっぱいでてきた。
どうやら会の途中で僕のカメラがこどもたちの手に渡り、しばらく遊ばれてたみたい。
彼らが撮った写真を少しのせます。

 
おそらく、カメラのヒモがかかってるけど、これどういう意味の顔?


こんな顔もできるんだと、少し感心。


どうでもいいけど、総じてアップの写真が多いのはナゼ?


33歳も皆様、変わらぬお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

Mais uma ves obrigado e esperamos que a nossa amizade perdure por muito tempo!
(\もう一度感謝するとともに、この友情が長く続くように・・・。)

モザンビーク島旅行について。
※ちょっと今回は写真大目な紹介になります。

モザンビーク島はモザンビーク唯一の世界遺産。
一度は行ってみたいと思っていたのが、ついに実現できた。

モザンビーク島へのアクセスはナンプラーから車で2時間程度。

行きは幸運もあって知り合いのタクシーを使わせてもらった。
帰りは、モザンビーク人の足でもあるシャパで帰った。
タクシーだと3,000Mt-3,500Mtくらいが相場なのかな。
(シャパだと200Mtだけど、もし旅行される場合は、余裕があればタクシーを奨めます)


ということで、出発。
ナンプラーの岩山を見ながら、モザンビーク島を目指す。


しかし岩山はなんでこんな形なんだろ?
隆起したんだと思われるけど、それにしても各所にこんなものが点在する。


モザンビーク島目前。
途中、水田かと思ったけど、これは塩田らしいです。


モザンビーク島に入る橋の手前。
突如現れた中国語の看板。
ここから、モザンビーク島に水を供給しているのだそう。
どこに行っても中国パワーには驚かされる。
モザンビーク島内にこういった看板がないのは、
さすがに景観を気にしてなのかな。


ということで、橋を渡る。全長約3km。
シャパでも歩いても渡れるみたい。


と、いうことでモザンビーク島に無事入島。

まずは無事に到着したということで、ビールで乾杯。


海がキレイで、そして静か。
モザンビークのレストランで、ここまで静かだと、
まるで任国外国旅行に来たかのよう。(日本からすればここも外国だけど)


↑3日間お世話になったホテル「RUBY」にて。
アメリカ人の女性が経営していた。とてもアットホームな宿。
彼女、英語がメインで、ポル語、フランス語もしゃべれる。
本当に良くしてくれました。ドミトリー1泊550mtだった。


RUBYの屋上で。
屋上は風が心地よく、ず~っといても飽きない。


当然、ビールを飲みます。


屋上で従業員が水タンクに色を塗ってた。
普通は黒なんだけど、景観を考えてるんだね。


島内は2時間程度で見て回れるくらいの大きさ。
途中、こどもに先導されながら・・・。
下の写真のような街並みを練り歩く。

 
 

街並みは島内で色々見ごたえがあって、
ホテルのあるあたりはこんな感じで、
ポルトガルが宗主国時代の建築物の味のある街並み。
その他は、モザンビークらしい素朴な家の街並みが混在する。


こういった家も混在する。
観光地化が進んでいないで、
昔ながらの漁業を営んでいる部分もあったり。
こういった場所でものんびりしたい僕には心がなごむ。


夕暮れ時に、小さいこどもが漁船で遊んでた。
こういった現地の暮らしも垣間見える。


ここはFortalezaと言って、要塞から撮った写真。
ちょうど、下の写真の左側奥に見えるFortalezaに入ったところ。


島にある桟橋にて。
このあと、桟橋を裸足で降りてみたところ・・・。


まさかの負傷。
かかとをフジツボのような貝殻で切ってしまった。


なので、しばらく桟橋で足を上にして出血を止めてました・・・w


あ、ケガのことまで書いてしまい、脱線しましたね。

モザンビーク島、fortalezaやmuseuなど、
色々と見どころはあったんだけど、
やっぱりでも一番はこどもたちかな。
島の子供たちはのびのびと育っていて、純粋。
今回の旅では、彼らが笑顔であいさつしてくれたりで、
と~っても癒されました。

 

 

 

こどもの写真も尽きないので、この辺にしておきます。
最後の写真は、対岸の大陸側からの写真。
朝、日の出は雲で見えなかったけど、
ゴザの上で犬が休んでて、波もおだやかで・・・、
個人的に気に入っている写真。


モザンビーク島、またいつか行きたいな。

ってことで、長旅を終えてシャイシャイに戻りました。
これからあと8ヶ月弱、モザンビークで生活する予定です。