本番終了。心臓に毛が生えました~「指揮者編」 | アイケーブリッジ外語学院 幡野泉のブログ

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虎ノ門のアイケーブリッジ外語学院、幡野です。韓国留学後、韓国語学校を設立。中国語やロシア語講座も開始。海外の文化、言語が好きで、橋渡し業に使命感を抱いています。仕事のこと、プライベートのこと自由に書いています。

所属オーケストラ本番終了。「楽曲編」で、なぜ担当した曲に思い入れが強かったかについて書きました。大学2年生の頃、引退する4年生達がサントリーホールで最後に聴かせてくれた曲だったからです。

 

さて、私達が引退するときにサントリーホールで演奏したのは主に、フランク「交響曲ニ短調」と、外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」。このラプソディは、だいたい3年のサイクルで遠征していたワールドツアー(世界演奏旅行)に毎回持って行ったアンコール曲。その伝統は数十年引き継がれています。Wikipediaを頼らせて頂きますと……

 

外山自身も指揮をしているNHK交響楽団が1960年に行った海外演奏旅行にあたり、作曲された。完成は同年7月で、同月に岩城宏之指揮のNHK交響楽団により東京都体育館にて初演された。(中略)民謡の旋律が次々と現れて盛り上がると一旦静まり、鈴の音に続いてフルートによる『信濃追分』の静かなメロディーが奏でられる​」

 

この岩城宏之先生、そして岩村力先生、曽我大介先生、3人の指揮者の先生と、4年生最後の1ヶ月近く、私たちは欧州とアメリカで演奏を行いました。

 

岩城先生は、オーケストラ活動に熱中するあまり逆に楽しさを忘れている私たちの、若者なのに若者らしくない演奏や表情をどうにかほぐそうと、音楽以外の服装のことからマナーまでいろいろアドバイスしてくださいました。N響が初めて海外演奏旅行をしたとき、新聞に「セイコーウォッチのような演奏」と書かれ、機械的でおもしろみがないと皮肉られた悔しいエピソードなども語ってくれました(岩城先生は10年前にお亡くなりになりました)。

 

「管弦楽のためのラプソディ」に話を戻すと、この曲の長~く渋いフルートのソロはとても有名。ソロは私が担当しましたが、1年かけて曲作りをし、国内、海外合わせると20回ほど本番を経験したでしょうか。なので、それこそ「自動再生モード」になり、どんな場面でも音程を揺らす幅やトリルの数まで正確にコントロールできました。

 

さて、そのラプソディの作曲者である外山雄三先生がまさか所属オーケストラの指揮者としていらっしゃることになるとは。

 

このときの初回の競演で、私は責任あるパートを任せてもらいましたが、あまりにも緊張してしまい、厳しい外山先生に応えられずに終わったと思っています。

 

2回目の競演は数年後にあっという間にやってきて、そのときはそこまでハードなパートでなかったので、客観的に自分自身を振り返り、オーケストラ全体を見回し、そして先生が大切にしていることに思いを巡らすことができました。私も、オーケストラ全体も少し余裕が出てきたのが2回目だったでしょう。

 

そして今回が3回目の競演。責任あるパートを任せて頂くことになり、練習が始まる数ヶ月前から緊張状態にありましたが、周囲もとても心配したと思います(笑)。

 

本番より緊張した、と言っても良いくらいの外山先生との初回練習を終え(→ぶるぶる震えた)、数回のリハーサルを経て本番を迎えました。目標としていた「自動再生モード」には……なれなかった。やはり、当時の先輩方は偉大でした。


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3回目の競演にして、終演後のレセプションで、やっと先生に近づいて写真をご一緒させていただくことができました。1回目の競演から5年。続けていれば、改善しようと努力すれば、何かは変わっていくものなんですね。

 

外山先生との4回目の競演のお話も出ているとか。また、ジロリと睨まれながら「50年前のN響みたいだな」等々の、重鎮先生ならではのグッとくる嫌みを聞かせて欲しいですね。

 

この本番で、かなり心臓に毛が生えたと実感しています。改めて、協力してくれた家族や会社のスタッフ、そして、この間見守ってくれ、合奏を共にしたオーケストラメンバーの皆さんに、心より感謝します。