東京のお盆が終わった。

 

忘れていたけど、去年は準備をするために、Youtubeでそれに関係する動画を検索して見まくっていたな〜。

 

見まくるから余計に関連動画でそれ系があがってきて、しばらくは仏教関係の動画ばかり見ていました笑。

お腹いっぱい。

 

 

初めて自分で新盆の準備をしたので(父の時は母の手伝いでサブだった)何がなんだかわからず、母が書き残してくれたA4のメモをもとに、ネットや動画で調べながら準備しました。

 

なんとか準備してご住職がいらしてあっという間にお経が終わった時にはガックリしましたが。

 

 

友人に「初日朝に実家に行こうとしていたけど、腹痛で行けなかった」と言ったら「いかりんはもう一生分お墓参りしたからいいよ」と言われ、「確かに〜」と納得してしまいました。

 

 

ちょっと頭がおかしい人みたいにお墓参りをした一年だったから。特に夏の暑い盛りは、お花がすぐダメになるので、お水を変えるためにどんなに暑くても通ったし、お花を切らさないようにマメに傷んだらすぐに変えたりしていました。

半ば強迫観念みたいな笑

 

というより、その墓地でいつも綺麗なお花が備えてある、一番華やかなお墓を勝手に目指していたので、自己満足。

 

 

そしてね〜

鎌倉のお寺をいくつか訪ねて見て思ったけど、お墓って寂れていても全然いいのよね。

ある、昔の方のお墓を訪ねたら、もう何年も誰もお参りしていなそうな雰囲気で、草ぼうぼうで蜘蛛の糸が張っていたんです。

その墓地一体が、結構蜘蛛が張っていたのですけどね。

古い由緒あるお寺さんで、きっと檀家さんも高齢者ばかりなのかもしれないです。

 

その、古くて傾いていて、ちょっと日が当たらない、湿った墓地の風情がとてもよかったんです。

きっとそれが続くと無縁墓地になっていくんだよね。

そして誰もその人のことを覚えている人はこの世にいなくなり。。。

それって本来の墓地かなと思った。

それが人の人生ってものだな。

 

去年から今年にかけての1年間、お墓参りも新盆の支度もやりたくてだけど、必死にやりましたが、気が済んだというか、

自分の心が満足したら、行ける時にお参りすればいいのだと心から思う。

もちろんそれは身近にそれをしてくれる家族がいるからなのだが。

 

 

もしくは母の部屋に住んでいたから、そういう心持ちになったのかもしれない。きっとそうだね。

 

 

場所っていうのは不思議なものだ。

距離もそう。

 

 

レオちゃんのお墓参りも結局行けていない。

往復5時間くらいかかるので。

 

でもレオはそのお墓にはいないんだよな〜。

そんな気がする。

 

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