10年前のカウンセリング時の話をシェアしていただいて

◆10年前の【魔法の言葉】仕事はぬるま湯でいっかあ

懐かしくて当時の手帳を開いてみました。

 

 

手帳は12年間分くらいは保存しているかな。

会社員時代の手帳、というか仕事のスケジュール帳はB5サイズで大きいので処分してしまいました。

村松友視先生にBarでサインいただいた年のをのぞいて。。

 

 

で、10年前の手帳。

ぎっしりカウンセリングのスケジュールが詰まっていて、該当の方のお名前も書いてありました。

 

ぱらぱらとめくると、こんな文章が走り書きでメモしてありました。(そのカウンセリングとは全く関係ありません)

 

 

「どうぶつ家族」をみていると、子供たちが親のことを本当によく見ていると思います。

それは好奇の目だけではなく、生きていくために必要不可欠な学習であり、成長への生命力となります。

子が生きていけるかどうかは、大袈裟ではなくて、母親についていけるかどうかで決まります。

確かに母親には母性があり、子を保護します。

ただ、子が自ら目覚めなければ、母親の優しさは叱咤に変わることもあります。

母親は鋭く頭を叩いたり、また脚をすくったりして、子の動きを止めます。

全てが計算されている痛さが、子に節度を自覚させるのです。

子としては初めての社会行動をそこから知るのです。

どうぶつ家族は生きる喜びを探し続けます。

 

 

たぶん、というか絶対に私の言葉ではなく、

テレビを見ながら聞き書きをしたのでしょう。

 

 

そんな風に私は何か気になると、メモして書いておく習性があるため、昔の手帳やノートを見るとはっとする言葉が書いてあったりします。

実は聴きながら書くのがとても早いです。

 

 

今回の

「子が生きていけるかどうかは、大袈裟ではなくて、母親についていけるかどうかで決まります」

 

という文章は人間にも当てはまるのではないでしょうか。

 

その母親が親として相応しくない人間だった場合、子供がどんな罪がない子であっても虐待などで亡くなってしまう場合があるし、親が、なぜか気に入らない、相性が合わない子供というのも存在することでしょう。

 

人間も動物だから。と思います。

理屈じゃないから。

 

人間は理屈で社会を成り立たせているけれど、理屈では説明できないこともありますね。

 

 

動物の番組で必死にお母さんを追いかけ、高いところから勇気を出して飛び込むカルガモの子供や

餌を探して大きな動物に飛び掛かる子ライオンたちを見ていると、がんばれがんばれと心の中で声を出してしまいます。

それは自分もカルガモやライオンと変わらないからなのだと思います。

 

 

Yukoちゃん、懐かしい10年前に旅をさせてくれてありがとうございました。

 

 

昔の手帳を開いてブログのネタにしていきます。

 

 

10年前。若い!!!!

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