父のお寺にいた猫





この一生働いたことがない叔父さんのことを

書いたのは


碇谷圭子『◆働いたことがない方』私事ですが叔父は生涯働いたことがない人でした。子供の頃から体が弱くて障害がありました。見るからに障害があるのがわかる人で私が子供の頃は叔父のことでからかわれた…リンクameblo.jp


感謝の気持ちもあるのだけれど

「働かなくても生きていける人がいる」って

ことなの。

 

 

叔父さんは

もしかしたら

どこかで

働こうとしたら

働けたのかもしれないけど

祖父が自分の会社の社員として

少しお給料を出していたらしい。

 

 

だから年金もわずかだけれど

出ていただろうし

社会保障も受けられていた。

 

 

時々、広い工場の前を

掃き掃除していたのをみたことがある。

たぶん、仕事らしい仕事は

そのくらいだろう。

 

 

あとは、1日自室でクラシックを聞いたり

時々パチンコに出かけていたのかな。

 

 

友達もいなかったと思うし

近所にしか出かけられない。

 

 

私の母は

過保護にしないで

もっと外の世界に出してあげたら

彼の人生変わったかもしれないのにと

祖母をちょっと非難するようなことを

口にしていたことがある。

 

 

その気持ちもわかる

そして祖父母が過保護にしてしまう気持ちも

わかる気がする。

 

 

あっというまに

私たちのほうが大人になってしまい

叔父さんはまるで子供のまま

 

 

もう随分前に

祖母が亡くなった際に伯母叔母達に

一方的に裁判を起こされて(叔父さんの意思は

もちろんなかっただろう)

伯母叔母叔父とは縁が無くなってしまった。

自分の身にそんなことが起きるなんて

変な感じだったけど

きっといろんな「損してる感覚」が

彼女たちにはあったのかもしれない。

 

 

叔父の意思はそこにはないというのが

確信できるから

叔父にはなんの恨みとか憎しみとかもない。

伯母叔母たちにも憎しみや恨みはなく

呆れる気持ちだけだが。

 

 

ときどき、どうしてるんだろう。

施設に入れられてるのかな。

と思い出すくらいだった。

一人で暮らせるとは思えないし。

 

 

一生働かなくても

生きていられる人もいるし

それでいい人もいる。

 

 

人がどんな風に生きるかなんて

何がいいとか

何が悪いとか

何が価値があるとか

絶対的なことなんてないと思う。

 

 

叔父さんと話したことで

覚えてることは何もないけれど

きっと

あのクラシックの曲の中の

美しさや悲しさなど

彼は何も言葉にできない心を

そこに感じていたんだろうな。

 

 

ある時

私が結婚していた時

実家に遊びに行って一人でいた時

近所の人が

「叔父さんが、子供たちにからかわれて

子供を爪で引っ掻いて

警察に連れていかれたわよ」と

知らせに来てくれたことがある。

 

 

私は慌てて

その現場らしきところに行ったが

もう誰もいなくて

実家の隣の会社にいる父に連絡した。

 

 

父は慌てることもなく

近くにある大きな警察に叔父さんを迎えに行った。

 

 

父も祖父も地域に貢献してきた人なので

警察署の方達も名前を言えば知っている。

 

 

それを見た時

父はずっと

そんな風に

叔父さんを何気なく守ってきたんだろうなとわかった。

たぶん、迷惑かけられたこともあるかもしれないけど

父が叔父のことを悪くいうのを聞いたことがない。

 

 

その時、父と何を話したかも覚えていないが

淡々としていたと思う。

 

 

見るからに障害があるから

子供にからかわれることがある。

そんな人が身近にいて

私にとっては大きな学びがあった気がする。

 

 

 

3月のお彼岸の最後の日に

父のお墓参りに行った。

父、祖父、祖母の戒名が刻まれていて

叔父さんの戒名はまだだったけれど

卒塔婆は何本か建っていた。

 

 

法事にも呼ばれないし

共通のお墓なのに

会いもしない親戚

そんな関係もあるんだなあ。

 

そしてそんな人は多いのかもしれない。

 

 

そして

あの世に行ったら

そんなことも関係なくなるだろうし

どうでもいいだろう。

 

 

 

私はただ、

ありがとうございます。と

子供の頃の思い出に浸るだけだ。

 

 

働かなくてもいいよ

もしそれで生きていけるなら

守ってもらえているのなら。



お金を稼いでないことで

罪悪感を感じる方が

時々いるけれど

関係ないよと言いたい。


 

そんな風に思います。