先日、三ヶ月ぶりに美容院に行き

つくづく感じたことがあります。

 

「私って、気難しいなあ」

 

 

時々サービス業の方に

悪いなあと思います。

 

 

ずっとずっと

気難しさを出してはいけない

人に嫌な思いをさせるから

自分も疲れるから

 

多分そう無意識に感じて

押し込めてきていました。

そうじゃないふりをして生きてきました。

 

 

きっと周りの人は

わかっていたと思うけれど。

 

 

でももう自分が緩んでくると

そんな気難しい面も

遠慮なく出てきます。

 

 

人に厳しいし口うるさい。

冷たいし怖いです。

お客様にしたら嫌なタイプです。

特に50代にもなったので

平気で上からものを言います。

 

 

でもね

やっと

そういうこと言ってもいい年齢になったのかなとも思います。

 

 

私は子供の頃から

母に口うるさく厳しく叱られてしつけられて育ちました。

ほんとーーーに怖かった。

まあ、聞き分けが悪かったのでしょうね。

「難しい子」として扱われていたような気がします。

 

 

それが悲しくてね。

だって「難しい子」ですよ。

 

 

どうしてわかってもらえないんだろうと

ずっと思っていました。

 

 

厳しい親から逃れたくて

一刻も早く家を出たいと思っていました。

そのために結婚を使ったんですね。

 

 

今考えると

私の母も気難しい面があるので

自分が見たくない自分を

私に見ていたんだと思います。

 

 

天真爛漫でもあり

いろんな面をもってる二人なんですけどね。

 

ええ一言でいうと

魅力的ということで(笑)

 

 

私が生まれた時に

女の子だったため

祖母に「また女の子なの?」とはっきり言われて

哀しい思いをして

泣きながら私にお乳をあげていたそうです。

そんなこともあり、私に対して何かしらの感情が出てくるのかもしれません。

 

 

私はお腹のなかで

男の子であることを期待されていることを感じていたことでしょう。

でも女の子だった。

 

 

そして私は女であることに全く罪悪感を感じていません。

数年前に母から出産した後の悲しみを聞いてもです。

ごめんねとも思いませんでした。

それは悲しく辛いことだったねとは思いましたが。

 

 

だってそれは私のせいじゃないし。

 

 

そして母のせいでもない。

 

 

 

私は女で良かったと思っています。

次に生まれるとしても女がいいです。

 

 

私は一生をかけて

「私は悪くない。ママも悪くない」と

言いたいのかもしれないです。

私はこう見えて複雑さに耐えられる人間です。

単純に見えると思いますが。

 

 

祖母がひどいことを言ったのも

祖母自体が悪いのではなく

時代とか世間とか

いろんなもののせいかもしれません。

いや、そうでしょう。

ひどい世間の代表として母の前に現れたのでしょう。

 

 

今は

気難しい私を

私自身が恥じていないし

「それでいい」と

受け入れているから

こうして書けるし

「気難しさ」の裏の

「選択眼がある」

「厳しい(いい意味で)」

「本当の意味の優しさ」

「孤高」などの

長所も受け入れられます。

 

 

ありのままの自分って

どこも治せないものです。

 

 

治す必要もありません。

 

 

人はいろんな刷り込みをされてきますが

ひとつひとつ

自分に必要なものだけ選んでいけばいいと思います。

 

 

私は本来の気難しい自分のまま

このまま生きていきます。

きっと

面白いことが起きそうです。

 

 

{BBB03519-7116-459D-9F29-6F429329A984}


撮影  秋月武