9月に母と礼文島に旅行した際、母の話をとにかく黙って聴こうというのが私の思いでした。

話を聴いて聴いて聴きまくって

疲れて翌日から気管支の痛みが始まったのかも知れないと今思います。


翌日、清里に勉強で出かけて、母との事で腑に落ちたことがありました。

清里から母に絵葉書を出して、その後、母と何回かあったけれど

お互いにその絵葉書の話はしないけれど、確実に母との関係が変わってきたように思います。


ずっと母に愛されたくて「共感」してもらいたくて、愛されてる実感を得たくてもがき苦しんでいた。

話を最後まで聞いてもらったこともたぶんなかったと思います。


でも「愛してくれていたんだ」と今はわかります。

わからなかったダメな私に思い至ります。


(父は)働いて、(母は)ご飯を作ってくれて、食べさせてくれて、洋服を整えてくれて(いつもアイロンをびしっとかけてくれていた)、身の回りの事を全部してくれて、習い事をさせてくれて、、、、、。



礼文島のホテルで、寝る前に布団に横になりながら母の話を聴いていました。


もう何度も聴いた話だったのですが、心から受け止めたのは初めてだったのかもしれない。

父の母(母のお姑さん)から受けたひどい仕打ちの話。


私の実家は会社をしています。

結構人を大勢使っていた時期があります。

祖母は16歳で祖父に嫁ぎ一緒に会社を興し、

世間知らずのまま、経営者の奥さんになり、おかみさんとして大勢の人も使い出して、

生来のきつい気質もあって

まだうぶだった母がびっくりするような言動ばかりだったようです。


姉が生まれた時に、跡継ぎの男の子を切望していた祖母はがっかりした様子を見せたそうです。

2歳離れた私がお腹に出来たときに、母は父に「今度女の子が生まれても、貴方だけは絶対に

がっかりした態度を見せないで。男の子か、女の子かはコントロールできないし、女の子だった時に

落胆されると辛いから」と事前にお願いしていたそうです。

もし女の子だった場合に、祖母がどんな振る舞いをするか目に見えていたのでしょう。


生まれてみたら女の子の私。

祖母はその場で「また女の子なの」と言い放ち、さっさと家に帰り、

親戚の人にも電話したりして報告し、

その後、赤ちゃんの顔を見に来た

お客様には必ず「また女の子なんですよ」とがっかりした様子で話していたそうです。

同居して暮らしていた母は傷ついて、私に母乳をあげる度に泣いていたそうです。

その涙が私の顔にこぼれてしまっていた。

父はかばってくれなかったらしいです。


そんな話を礼文島で聴きました。

黙って聴いていたけれど泣けて泣けて。


そんな話を聞かされて、私だって辛いけど、女の子に生まれたのは私のせいじゃないけど

母はどんなに辛かっただろう。

今話すことだってどんなに辛いんだろう。


そう思ったら涙が止まらなくて。


私が泣くといつも母はとても嫌がります。

ぴしゃりと注意します。

私は泣き虫なので、その事でも嫌な悲しい思いをしてきました。

でも礼文島の旅館では泣いている私を見て何も言わなかった。


母はめったに泣かないんです。

今まで泣いたところを見たのは一度だけ。

父がガンでもう長くない、あと数週間で亡くなるかもしれないと私に話したとき。

確か泣いていた気がします。

母が主治医の先生に聞いて、話したのは私が一番最初。

私はその時、離婚してから3ヶ月で、実家の近くに住んでいました。


父が亡くなった時も、亡くなった後も泣いている姿を見たことがありません。

私が覚えていないだけかもしれないけれど

「私が悲しんでる姿を見せると周りの人が慰める言葉がないから」と

言っていた事が印象深いです。

たぶん、夜、自分の部屋でこっそり泣いていたのだと思います。


私は「私が女の子だったばかりに辛い思いをさせてごめんね」と心の中で謝りました。


そして、母の流した涙を肌で感じた私だから、こういう性格になったんだなと合点がいって。


人の悲しみにとても敏感。

悲しい思いをしている人をほっておけないタイプ。

悲しんでいる人がいると一緒に悲しくなってしまう。

感受性が強すぎる。


きっとそれはその母の涙のせいなのかも。


私が悪いわけではなく、祖母がいけないんだけど、謝る気持ちになりました。


そして、ずっと「共感して欲しい」「私の事を理解してくれなくて辛く当たったことを謝って欲しい」と

思っていたのですが、

許してもらうのは私のほうなんだと気がついたのです。

許してあげるのではなくて許してもらおうと思ったのです。


私と相性が悪いのも、生まれた時の心の傷のせいなのかもしれない。

私の話を聞けないのも、どうにもならないものなのかもしれない。



母はよく「子供3人連れて川に飛び込んで死のうと何度も思っていた」といいます。

(下の弟は歳が離れていたので・・)

でも、子供の寝顔を見ると死ねなかったと言います。


死にたいくらい辛い思いをしていたんだな。


ずっと聞かされてきた話だけど初めて受け止めてあげられたと思います。


人間ひとり生きていくのも大変なのに、子供を3人抱えて実家もすでになく

帰る場所もなく、父は頼りないタイプで(誰にでも優しいタイプなので親にも甘い)


私をわかってもらうんじゃなくて、母をわかってあげようと思えたのでした。

この歳になってやっと・・・・。


人生の大きな問題を少しクリアできたのかな。