ファースト・トリップ⑪ | 徒然ブログ

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今夜の寝床が決まるときちんと自分のバックパックは自転車のカギでぐるぐる巻きにして上海の街に出かけた。当時はみんなそうしていた。バックパックには何個も鍵がついていた。

 

まずホテルから出ると上海大厦を右側に見て蘇州河の橋を渡った。上海大厦は日中戦争中日本軍の司令部がおかれていたらしい。なかなか格好いいホテルだけで今まで入った事はない。そしてこの橋が上戸彩が李香蘭を演じたテレビドラマに出てきた橋とそっくりだった。

 

「もしかしてここで撮影した?」

 

と思って盛り上がっていた。ちなみに今は跡形もない。橋の近くにはその頃上海でどこでも見ることができ孵化寸前の醤油煮卵を売っているおばあさんがいた。匂いが独特で、

 

「あれがうわさに聞いてた卵だな。絶対に何か漢方が入っているよな(汗)」

 

と思った。食べている人が大勢いたので私も買って食べてみた。値段は忘れてしまったけど一元はしていなかったと思う。

 

それで割ってみるといろんなバリエーションがあって、目玉もはっきりわかるもうそろそろ生まれる寸前卵もあったけど、中身はどろどろで形はまだという感じの卵もあって、

 

「いつ頃煮るとか決まりはないんだな。」

 

と思った。

 

「煮ているからお腹大丈夫だよな。」

 

と思って食べてみた。当たり前だけどゆで卵の味はちゃんとして、食べるとジャリ・ジャリと歯に引っかかる感じがあってそんなに何回も食べたいと思うような物じゃなかった。毛がすこし生えているバージョンもあった。

 

橋を渡ると黄浦公園がある。ここは上海が列強の植民時代には、

 

「犬と中国人は入るべからず」

 

という看板が挙げられていたそうで当時は西洋人専用公園だったらしい。大体ここら辺まで来るとうろついているとウィグル人に声をかけられた。

 

彼らは違法両替屋だった。

 

この前若い中国人に聞いたら兌換券を知らないと言われてこっちが驚いたのだが、当時私達外国人は日本円から今の人民元には両替できなかった。銀行で渡されるのはいわゆる兌換券だった。

 

当時は何でも二重価格だった。美術館でも博物館でも外国人価格と中国人価格があった。外国人価格は中国人価格の何倍、何十倍が普通だった。外国人は美術館に入る時は兌換券で支払いをしないと入れない。人民元では拒否された。しかしそこらへんのスーパーで買い物をする時外国人が人民元を使っても怒られなかった。ちなみに友諠商店という外国人しか入れなかったデパート以外、兌換券を使って買い物をしてもおつりは人民元だった。人民元は中国を出国する時再両替はできなかった。

 

ウィグル人達は私達外国人に声をかけ、人民元に両替すると言ってくるのだった。

 

もちろん違法だったが応じる外国人は大勢いた。