ファースト・トリップ⑨ | 徒然ブログ

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二三日前に鑑真号のHPを見たら、コロナの影響でお客を乗せるのは止めているみたいだけど、どうも二泊三日で日本から中国まで行けるようになったみたいで驚いた。

 

私が乗っていた頃は三泊四日、または四泊五日だったと思う。台風とかですごく船が揺れる事もあった。予定は未定だった。天候次第だった。とにかく船の中で思いっきり酒ばかり飲んでそろそろ嫌気をさしてきたころに陸地が見え始めてくるのだ。

 

陸地が見え始めるとみんないそいそと下船準備を始めた。

 

長江の両岸はどれぐらい景色が変わったのか見てみたいからそのうち鑑真号に乗ってみようと思っているけど、当時は陸地が見え始めても建物などは一軒も見えす、見渡す限り雑草が生い茂っている湿地が続いていた。『上海ルージュ』の鞏俐は映画の最後、こんなところで殺されたよなと思って見ていた。

 

海水と川の水が混ざっている河口付近はどうしてああいう風に見えるのかわからないけど、海水と淡水(?)が混ざり切っていない様子が甲板からも見えた。両方ともブルーなんだけど違うブルーなのだ。

 

陸地が見えてから船着き場に着くまで一時間はかかった。

 

何回か上海に行っている人と言うのは当時は少数で、ほとんど初めて上海に行く若者たちだった。上海は、中国という場所は一体どういう場所なのかわからないし、人に聞くと「恐ろしい話」が次から次に出てくるので「止めればよかったかなぁ」と言い出す人も大勢いた。

 

当時の中国は今と全く違う社会だった。今では中国のどこにでもスタバはあるけど、当時コーヒーは普通のを飲もうと思ったら恐ろしく高い料金を取られるので私は留学していた時は一回もコーヒーは飲まなかった。香港に行って久しぶりに飲んだら「おいしい」と思ったのを覚えている。マックだったけど(笑)

 

やっと船着き場に着くと、船からただ階段が下ろされただけだった。さぁ降りてくれみたいな感じだった。熱烈歓迎の横断幕などはなく、職員らしい姿もなく、歓迎されている雰囲気など微塵もなかった。

 

船着き場では大勢の苦力が荷物を運んでいた。苦力はこの後中国各地で見たけど本当に信じられないぐらいの大きな荷物を運ぶ人たちで、少しでもモタモタしていると上海語でギャーギャー怒鳴りつける親方みたいな人が船着き場には大勢いた。

 

私達はそういう苦力の男達が大勢たむろしている中に迷い込んだ何も知らない外国人だった。

 

NHKで松田龍平が芥川龍之介を演じたドラマを見た事がある。当時から日本から出る船は上海に到着するのが多かったようだけどああいう歓迎ムードは一切なかった(笑)

 

観光業はまだ中国に根づいていなかった。もう少したつと何でも「しぇんえん!」と言って売り付けて来る人達が出てくるけど当時の中国人は外国人は遠巻きに見ているだけの人が大多数だった。

 

大体地図は頭の中に入っていたので「多分あっち」と思って、今夜の宿浦江飯店を目指して歩いたけど夏の上海はあり得ないぐらい蒸し暑かった。若かったのでバックパックを背負って歩いたけど今だったら絶対に無理だと思う。しかも考えていたよりずっと長く歩いた。中国はワンブロックが長いという事はこの時初めて知った。

 

文革が終わり、解放改革が始まったばかりの上海はただただ暑かった。