この1か月の出来事をブログにしてきましたが、今回で最後となります。

ブログを書いていると、頭で考えているより感情を掘り下げることができたような気がして、書いてよかったと思っています。

自分の反省と備忘録を兼ね、毎回長文になってしまいましたが、今まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

【22日目~現在 怪我をしてから19日目~現在】

 

E病院の入院待機は、2週間程度はかかると言われました。

 

母は、E病院を受診した後アパートで過ごしました。私が最後に母を見てから、約1週間経っていました。

1週間前と比べ、少し痛みが引いているようでした。表情も以前より明るくなっていました。

ただ、本来の母の明るさはまだありませんでした。食欲も少ないままでした。

 

2日間アパートにいて、母はまた老健に行きました。もともと母のいた棟が、コロナ以降ようやく解放されていました。母は、顔馴染みの職員さんに会いたがっていて、おしゃべりをするのをとても楽しみにしていました。介護保険の限度額も、何とか超えずに済みました。

 

老健に行って2日後、ベットで自分で食事がとれるようになりました。

今までは、お尻に痛みが出てしまうのでベットのリクライニングを立てられませんでしたが、立てて食事ができる程度まで痛みは引いてきました。

 

さらにその5日後、普通の車椅子に座れるようになりました。

移乗は介助が必要なものの、短い時間なら車椅子に座ったまま過ごすことができるようになりましたし、足漕ぎもできるようになりました。そして、食堂で食事ができるようになりました。レクリエーションにも参加できるようになりました。

 

この間、リハビリスタッフの方が、マヒ側の足首が固まらないよう毎日マッサージをしてくれました。痛みが出ない範囲でリハビリもやるようになりました。車椅子に座ったまま、マヒのない足におもりをつけて上げ下げしました。しかし、平行棒につかまって立とうとしてみたところ、足に力が入らず立てませんでした。

やはり、筋肉が落ちてしまっていました。

 

母からの電話は、毎日ありました。

確実に痛みが引いてきていて、多少のリハビリもできるようになり、声も明るくなっていましたが、何か違和感がありました。後から聞くと、この頃あまり眠れなかったそうです。

立てないことを目の当たりにして、不安が大きくなっていたのだと思います。

母はせっかちなので、E病院へ入院することが決まっていたのに、連絡がこないのも不安に拍車をかけたのだと思います。

 

E病院から連絡があったのは、受診してからちょうど2週間目でした。

 

入院はそれから1週間後でした。

 

母は、入院する2日前に一度アパートに帰ってきました。

母は、笑顔で帰ってきました。痛みもかなり引いてきていて、別人のように元気になりました。

普通の車椅子に座って、食事もテーブルで自分で食べることができました。食事の量は以前より若干少なくなっているものの、おかずもご飯も完食できるようになりました。夜もぐっすり眠れたと言っていました。

表情も戻っていましたし、何よりもよく喋りました。

それは、紛れもなく母でした。安心しました。

 

入院当日、母は、やる気と不安と寂しさが入り混じっているように見えました。

必ず歩くぞ!!という、強い意気込みがありました。でも、不安と寂しさを打ち消すよう、自分に言い聞かせているようにも見えました。私は、絶対歩けるようになる、焦らないで、じっくりきちんと直そう、皆待ってるから、と声を掛けました。

どんな言葉をかけたら母の不安が無くなるのだろうと思い、思い付くまま片っ端から声をかけました。


E病院に着いても、母の様子に変わったところは感じませんでした。しいて言えば、少し緊張気味でした。

看護師さんに入院の説明を聞きながら、私は、やっとここまで来たと思いました。

母が怪我をしてから1ヶ月と1週間が経っていました。

長かった…。でも、母はもっと長かったことでしょう。

 

母は個室に入りました。最初の3日間のみ、コロナ対策のためです。

個室では部屋で電話がかけられるため、その日だけで3回電話がありました。初日からリハビリもやってもらったそうです。

人見知りしない母のこと、看護師の方々とも早速いろいろ話しているそうです。

 

E病院は、現在面会ができません。(老健はガラス越しの面会ができたので、母に会うことができました)

これから3か月間、母には会えず電話だけです。私は、母が私の手の届かない所に行ってしまったような気がしました。

アパートに帰ってきても、当たり前ですが、部屋の中は母がいたままの状態になっていて、余計寂しく感じました。

以前のブログでも書きましたが、やっぱり依存してるんだな、と思いました。

気持ちが入りすぎないよう、どこかで冷静さを保つすべを身につけなければならないと思いました。

 

入院の翌日、老健では手すりにつかまっても立ち上がることができなかったのに、ベットの柵につかまって立つことができました。車椅子への移乗練習も始めました。

 

3日目、平行棒につかまって立ちあがりの練習をしました。5~6回できました。車椅子への移乗練習も継続してやっています。

 


母はいつも、大丈夫じゃなくても大丈夫と言います。そういう時は、電話の雰囲気で何となくわかります。

今回は、今のところまあまあ大丈夫そうです。やはり、早速自分の足で立てたことが励みになっているかもしれません。

 

私は、まだ少し心配もありますが、ちゃんと見守って行けるよう、母に負けないよう頑張ります。

 

ともかく母は、回復への道を歩きだしました。

自分の足で、歩きだしました。

 


地元は暖かいです。

寒かった冬が、終わるんだなあ…と思いました。



母へ

私の大切な母。

いつもいつも、頑張らせてばかりでごめん。

でもすごいよ。尊敬する。

随分頼りない娘だけど、これからもよろしくね。

美味しいご飯作って待ってるからね。