月曜日からバタバタと過ごした。
今日は人間ドックに入るので、昨日昼過ぎに食べてから、朝から何も食べずにいる。
節目の日を迎えてから、何か不思議な感覚に包まれている。
目の前の事、周りの人達は変わらないのに、全くストレスを感じなくなった。
思考=執着をしそうになると、
「私は大丈夫です。」
と、執着を断つ事を繰り返し行っていると、考える事自体が、ストレスになっていた事が分かった。
起業を目標としていて、数年前から、何をするか?、どう稼ぐか?などと、思考を散々巡らせて来たが、全くやりたい事が見つからない 笑
そうした事ばかり考えては、目の前の現実に嫌気を覚えていた。
やりたい事が分からない自身、状況を変えられない自身にも、嫌気を覚えていた。
最近、執着=思考をしなくなり、感じたままに過ごしていると、そうした執着をもたらしていたのは、自身のエゴであった事に気が付いた。
これまでの人生でも、転職や退職、結婚、離婚など、その時々で大きな決断を、自分でして来たと思っていたが、実はそうでは無かったのかもしれないと思い当たった。
結婚をした二人の元嫁さんとの出会いだって、色んな偶然や、奇妙なタイミングで出会っていて、離婚する際には、自分には何をどうしても、無理な状況に追い込まれて、離婚をしている。
転職にしても、たまたまお会いしたエージェントの方が、今の職を勧めてくれて、たまたまタイミングよく、今の業界の仕事に就く事が出来、そこから二十数年、同じ業界で仕事をしている。
外資の会社を辞める際にも、煮詰まっていたタイミングで、たまたま早期退職の話があり、退職をしている。
そんな事を言い出せばキリが無いのだが、自身が選択、決断をして、これまでの人生を生きて来たつもりで居たのだが、振り返ってみると、偶然や奇妙なタイミングなどが無ければ、人生を変える事が出来ていなかった事に気がついた。
衰退する業界から転職をしようとしていた際、たまたま、小さな外資の会社が、新たな大型プロジェクトを立ち上げるタイミングで応募して、業界を変わる事が出来た。
二人目の元嫁さんとの出会いは、まさに奇妙なタイミングであり、早期退職をした次の日に出会っていて、それが無ければ、おそらくサラリーマンに戻る事は無かった。
そうした事を、たまたまや偶然と考えていたのだが、改めて振り返ると、何かに、導かれていたようにも思えて来る。
ある時は自身に試練を与える為、ある時は現状を切り開かせる為、またある時は、チャンスを与える為や何かに気付かせる為に、そうした事が起きて来たと考えると、腑に落ちるところがある。
これまでの人生を、自ら決断をして、変えて来たと言う自負があり、数年前から、これからどう変えて行くか?と思案を重ねて来たが、実は、自分には、行きたい方向性を考える事は出来ても、人生を変える力など無く、望む方向に進む為や、必要な学びの為に、導かれていただけと考えると、なんだか肩の力が抜けた 笑
先のブログに、他人をコントロールしたり、変えようとしたりするのは、自身のエゴだと書いているが、もしかしたら、自分に対しても、同じ事が当てはまるのかも知れない。
自分で人生を決め、自分で人生を変える為には、強いエゴが必要だと思って来たが、実は、それらを捨てて、身を任せればいいだけであれば、むしろエゴは不要になる。
最近、離れた彼女の事を想う時、彼女とこの先、人生を共にするのであれば、エゴを捨てなければと、なんとなく考えていた。
周りとの壁を作っていたのもエゴであり、それを取っ払いたいと考えていた。
どうしたらエゴを無くせるかと思っていたが、そもそも、エゴには実は何の力も無く、むしろ不要なものであれば、簡単に捨てられる 笑笑
そう言えば、いつかのブログに、「磯際で流されるカニのようになりたい。」という事を書いた事を思い出した。
この時には既に、潜在意識は気付いていたのだろう 笑
こうした経験も初めてでは無く、不思議にも思わなくなった。
そうした気付きがあり、肩の力を抜いて過ごしていると、これまで、如何にエゴによって、ガチガチになっていたかが、よく分かる 笑
自分ではどうしようもない事を、自身のエゴで突破する事を妄信して来たと思うと、何だかおかしくなる 笑
そうした気付きと共に、最近、少し不思議な体験をするようになった。
車で、通い慣れた道を走っている時に、急に、初めて見る景色のように感じ、どこを走っているのかが、分からなくなる時がある 笑
ふと、そう言えばこの間…、たしか…と思い出す事が、夢の中の事なのか、現実なのかが分からない時がある 笑
認知症が始まっただけなのかもしれないが 笑、現実が夢の中のように、ふわふわとしている。
ついに頭がおかしくなったのかと思ったが 笑、それが夢なのか、現実なのかなんて、どっちでもいいじゃないか?と言うサインなのかも知れないと感じる。
そう言えば、いつか、山の上にもくもくと立ち上る積乱雲が、ハリボテのように見えた事を思い出した。
自分が、目の前の現実を作り出していると言う話を聞いた事があるが、その現実を疑うような現象が起きていて、これも、きっと何かのサインなんだろう。
何が起きてるのか分からないが、肩の力が抜けていて、目の前の現実に捉われなくなり、ふわふわと心地よい感覚で、ストレス無く過ごせている。
節目の日を迎え、土曜日には、足繁くお参りをして来た二軒の神社にお礼参りをした。
これからどんな変化があるのか?と思っていたら、いきなりそんな気付きに恵まれた 笑
執着を無くし、自らのエゴを捨て、日々を、ふわふわとストレス無く生きていると、良い予感に包まれるようになった。
離れた彼女から、
「で、何やりたいか、決まったの?」
と少し詰められ、自分には何をするのか決める力が無く、自然と導かれるものだよと言おうと思ったが、やめておいた。
以前は、自分で自分を常に詰めていたので、周りからそう聞かれると、何処、責められているような気持ちになったが、自分で自分を信じていると、そんな気持ちにもならない。
周りから反対されようが、周りから何を言われようが、意に介さず、自分を信じていればいい。
何しろ、これまでの人生の変化は、レールを切り替える、もしくは、誰かを乗せる、降ろすくらいの変化だったが、今回の変化は、新たなレールを作り、飛び移るくらいのものであり、これまでのように、おいそれとは行かないのだろう。
以前は、焦る気持ちがあったが、最近は、
「必要なタイミングで全て与えられる。」
事を、理屈では無く信じるようになった。
最近、スピリチュアル的な事を信じるようになってはいるが、ただただ、自分を信じているだけであり、あまり大風呂敷を広げるつもりは無い 笑
小さな事でもいいから、自分のやりたい事を、出来る事から始めればいい
明日から五連休に入る。
人間ドックの結果は、幸い、全く問題無かった。
書いていて、今感じているふわふわとした不思議な感覚は、初めてでは無い事に気が付いた。
自身が、幼少の頃、まだエゴや様々なものに縛られる前に、感じていた感覚だった事を思い出した 笑
きっと、その頃の自分に戻って、新たな人生を歩もうとしているのだろう。
五連休は、ふわふわと、感じたまま過ごそう♪